獣王国 後編(5 / 8)

飛び込んだ闇の中、俺は手探りで前へと進む。


「メイス……メイスーッ! 返事しろ、どこだっ!?」


声は吸い込まれるように真っ黒の空間へと消えていく。


……呪い。以前ジャンヌを助ける時に飛び込んだことがある。でも、ここはソコとはまるで違った空間だ。あの時は無限に続くかのような木々の迷宮で、体感で何十年にもわたる日々をさまよったが……ここはそもそも何も無い。


「……人に何も刺激を与えず暗闇に放置しておく拷問があったな、そういえば」


極大の刺激を与える肉体的拷問によって心をへし折られる人間も多いが、いっさいの刺激ストレスの無い空間に放置されてもまた、人は精神を歪ませるそうだ。


「ったく、そんなもんに付き合ってられんぞ……!」


悪態吐きながらも覚悟を決める。どうやら今回も長期戦になりそうだ……と、しかし。



──ヒソヒソ、ヒソヒソ。




「……なんだ?」


誰かが陰で話すような、そんな声が聞こえた気がした。聞き間違いだろうか……いや、違う。




──ヒソヒソ、ヒソヒソ。




物音ひとつしなかったこの空間で、聞き間違いなど起こるはずもない。この暗闇の中に誰かがいるのだ。


「……メイスかっ!?」


俺は再び問いかける。すると、


「ご主人……」


後ろから聞き慣れた声がした。振り向けば、そこに居たのはシバだ。


「シバッ! もう駆けつけてくれたのか、早かったな……!」


ホッ、とする。前の呪術神との戦いで閉じ込められた空間はとても広く、時空もねじ曲がっていたようだったから、今回ももしかしたら合流に時間がかかってしまうと思っていた。


「よかったよかった……ところでみんなは? ロジャたちは連れてきてくれたか?」


「ご主人……」


「ん? ……シバ?」


シバの様子がおかしい。彼女は感情の消え去ったような瞳で俺を見つめていたかと思うと、その唇を開き、




「──ご主人は、ボクたちを騙してたんだね」




冷え切った声音を響かせた。


「……え?」


「ご主人……いや、凡夫テツト。お前は、ボクを、ボクたちを騙した。その【女の子にモテる】スキルを使用して」


シバの黄金の瞳が、氷柱のように俺を射抜く。突き付けられたそのあまりに突然の言葉に、俺は動けない。




「──テツト様、全て嘘だったのですね……」




シバの後ろから、今度はジャンヌが現れた。その目から涙を流して、血が滲むほどに唇を噛み締めて。


「私たちの心を操って、【まやかし】を見せたのですね……。ヒドい……ヒドいです……。私は、私たちは、あなたに全てを捧げたのに……あなたが私たちに与えたのは虚構だけだったなんて……」


「ジャンヌ……」


俺が右手を伸ばそうとすると、突然、俺のその手は真横から突き出してきた手に握られ、止められる。


「……」ギロリ


「……ロジャ」


「……シショー、サイテー」


ベキリ、と。そのまま掴まれた俺の腕はロジャにへし折られた。


……不思議と、痛みはなかった。




──ズプズプ。




俺の足元が柔らかな沼となり、俺の体を地面に引きずり込もうとしていた。


「今度は……マヌゥか」


「……たかだか人間ふぜいが、精霊である私に名前を与えようなどとおこがましいのですよぉ」


ヌプリと沼から顔を出し、マヌゥが氷のように冷え切ったまなざしを向けてくる。


「このまま飲まれて、長く苦しんで死んでほしいのですぅ。神獣であるシバさんをたぶらかし、聖女であるジャンヌさんをけがし、人の可能性の宝庫たるロジャさんの人生を歪め、そして精霊の私を凡夫の身で契約し縛りつけたその罪を……あがなう時なのですぅ」


地面へと沈んでいく俺を、シバが、ジャンヌが、ロジャが、マヌゥが汚らわしい獣を見るかのような瞳で見る。


「死ね」


「死んでください」


「……シネ」


「死んでほしいのですぅ」


四人は俺に率直で、それ以上ない願望を突き付ける。外を覆う闇は俺の心にまで手を伸ばして──しかし。




「──なるほどな、今回はこういう趣向なのか」




俺は折られていない方の左手で剣を抜き、沼と化した地面を思い切り斬り裂いて、その返す剣で俺の手前──俺に手を伸ばすように差し迫っていた禍々しい【負のエネルギー】を両断した。


「……!?」


驚愕に顔を歪める4人の前に、俺は再び立った。


「精神攻撃ってヤツか……。人の迷いや弱みに付け込み精神的に無防備になったところで俺の心を支配しようって魂胆だな?」


「ご主人……何を言っているの? ボクたちは本当にお前を憎んで──」


「黙れよ。シバはそんなこと、絶対に言わねぇ」


揺るがぬ確信を持って断言した俺に、目の前のシバの形を模したナニカは息を飲んだ。

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