獣王国 後編(2 / 8)

メイスが縛られたままのその遺跡の中……足音ひとつ立てずに、ひとりの獣人が忍び込んでいた。


「……テツにゃんに任せたのは正解だったにゃあ……半分は、だけどにゃ」


人間にとっては真っ暗闇にしか映らないその場所も、夜目の利くミーニャにとってはわずかに外から差し込む月明かりだけで充分に視界良好。ふたつの眼を金色に光らせてメイスを見つめていた。


「獣王国の王様やないのぉ。えらい久しぶりやねぇ」


「さっきも会ったはずにゃ?」


「あら、そうやったかなぁ? なぁーんも喋らんとったからカカシか何かやと思うたわ」


「……お前、自分の立場が分かってないようだにゃ」


ミーニャの指から鋭い爪が飛び出した。


「指折りの戦士たちがお前のせいで重傷にゃ。獣王国の長として、みぃはお前にその礼をしなきゃならないにゃ」


「ははぁ、ならさっきの内に仕掛けてくればよかったやないの。それとも……お兄さんの前ではいい子ぶりたかったんかなぁ?」


「……テツにゃんは素晴らしい戦士だったにゃ、お前を倒すのにはこれ以上ないくらいの適任だと思ってた……でもみぃの考えた以上に優し過ぎたにゃ」


ミーニャは小さくため息を吐く。


「これでもみぃは一国を束ねる王、他者の表情を読むことなんて簡単……テツにゃんはお前に口を割らせた後もお前を殺さないだろう、何かしらの理由をつけてにゃ」


「……」


「みぃは情報なんかに興味がないにゃ。テツにゃんたち帝国の者たちと協力すれば魔王軍など恐れるに足らず。むしろ恐れるべきは、テツにゃんの優しさに当てられて改心したフリをして身内ヅラするであろう敵……お前にゃ」


指をさされたメイスは、ニヤリと不敵な笑みを返す。


「だったらどない言うん? わらわを殺すん?」


「もちろん。テツにゃんが懐柔される前に切り刻んでやるにゃ」


「ふふふ……できるんかいなぁ? フタを開けてみれば誰も彼もザコザコやった獣王国の、最後の最後の決戦をお客はんにぜぇーんぶ任せきりにしたお飾りの王様に」


「フン、言い遺す言葉はそれだけかにゃあっ?」


ミーニャが飛びかかり、無防備なメイスの首へとその爪を振り抜こうとする──が。




「──させないよ?」


「にゃっ……!?」




ミーニャの手首が真横から蹴り弾かれた。その視界に、月明りに揺れる小麦の耳と尻尾が淡く照らし出される。


「なんだか嫌な予感ニオイがしたんだよねぇ……殺しちゃダメだよ? そこの子にはご主人が明日も質問する予定なんだから」


「お前……! テツにゃんのトコのっ!」


「もぉ。ボクはシバだよ、ちゃんと覚えてよね」


腰に手を当てて頬を膨らますシバに、ミーニャは舌打ちする。


「表の警備隊はどうしたにゃ! みぃ以外通すなと言っておいたはずにゃ!」


「そうなの? 素通りさせてもらったけど」


「認識阻害の魔術でも使ったのかにゃ……? それにしてもテツにゃん、なかなかに用意周到。みぃが夜襲するって知ってたにゃか?」


「え? ご主人は知らないと思うけど」


「は?」


「だってボク、ひとりで戻ってきただけだし」


キョトンとした表情でシバが言う。


「企みのニオイっていうのかな? なんか感じてね、ご主人には『ちょっと気になることがあるから』って言い残してひとりで戻らせてもらったんだよ」


「独断? なんでまた……でも、それなら都合がいいにゃ。つまり、増援は来ないってことだにゃ?」


ミーニャはフッと笑う。


「シバにゃん、悪いことは言わないからそこをどくにゃ」


「なんで?」


「痛い思いはしたくないにゃ? 確かに今夜の決戦はテツにゃんに任せきりになってしまったけど……そもそもこの獣王国は強さが全ての国。その頂点に立つみぃの強さは決してハリボテではないのにゃ」


ミーニャが無造作に手を振るうと、地面に大きな爪痕が付いた。


退くかにゃ?」


「ううん。退く理由がないもん」


「残念だにゃ、シバにゃん──」


瞬間、ミーニャの姿が立ち消えた。シュババッと、辺りの床や壁を蹴り跳ねる音が遺跡内部に反響する。


「──みぃの速度についてこられるかにゃ?」


「おっと」


シバが体をズラすと、元居たその位置に鋭い爪痕が3本刻まれた。


「にゃっにゃっにゃっ! 避けたにゃっ? でもその幸運がいつまでも続くとは思わないことにゃ!」


「ミーニャ、ボクと戦うつもり?」


「戦う? シバにゃんもテツにゃんと同じで生ぬるいにゃ! これから行われるのは一方的な攻撃にゃ!」


ミーニャは縦横無尽に跳躍を重ねさらに加速する。もはや足音はなく、暗闇の中で風を切る音だけが響く。


「えぇと、シバさんといいましたっけ? わらわを置いて逃げたほうがええんとちがう?」


椅子に縛り付けられて身動きの取れないメイスがため息交じりに言う。


「ナメとったけど……あの王様、普通に強いようやわ。シバさんもわらわを放っておいた方がメリットあるんやないの?」


「メリット?」


「お兄さんに言い寄るわらわのことが気に食わんのでしょ? せやったら王様にわらわのことをらせておいた方がええやない」


「確かにメイス、ご主人に軽口を利くお前のことは気に食わないけど……それとこれとは関係ないよ」


「関係ない……?」


「だってボクのお前に対する感情オモイは、ご主人のために動きたいっていうボクの意思オモイには関係しないもん」


シバは当然のように言う。またもや背後から仕掛けられたミーニャの攻撃を容易くかわしながら。


「くっ──当たらにゃい……っ? 手加減し過ぎてるのかにゃっ? シバにゃん……みぃ、本気を出すにゃ。だから、殺されない内にとっとと立ち去るにゃっ!!!」


ミーニャが壁にその脚を着けると、ミシミシと、その太腿の筋肉が大きく膨れ上がった。


「みぃの【忍脚にゃんきゃく】は音の速度に匹敵するにゃ。シバにゃん、メイスの側から離れるにゃ──いっしょにバラバラになりたくなければにゃっ!!!」


バビュンッ! 音と共にミーニャの鋭く光る爪が迫る。が、しかし──




「──音の速度って大したことないね。音ってそもそも、後ろからいてくるものじゃなかったっけ?」




ミーニャの背後。いつの間にかソコへ移動していたシバは、ミーニャの体を後ろから抱き寄せるように捕えていた。


「……はにゃっ!?」


「あーー~ん──」


シバはミーニャの後ろで、大きく口を開けたかと思うと、


「──ガブリっ!」


「フギャッ!?!?!?」


ミーニャの首筋にかぶりついた。


「むしゃむしゃ」


「はにゃにゃにゃ、食べられるぅっ!? フギャーーースッ!!!」


「なーんちゃって、食べてないよー」


シバはアハハと笑うと、ミーニャの体を放した。


「これに懲りたらもうメイスを殺そうとしちゃメッ! だよぉ?」


「……はぁっ、はぁっ……!」


ミーニャはかぶりつかれた首筋に手を当てながら、戦慄せんりつしたようにシバを見た。


「……目で、まるで追えなかった……! シバにゃん、お前……その速度……!」


「えっ? 普通に走っただけだよ、この遺跡に入ってくるのと同じくらいの速さで」


「お、表の警備隊を素通りしたって……そういうことかにゃっ……!」


「ん? なにが?」


「……なんでもないにゃ。神獣フェンリル、まさかこれほどのものだとはにゃ……」


ミーニャは大きくため息を吐いて天井を見上げると、


「仕方にゃい……帰るにゃ」


そう言って遺跡の出口へと歩き出した。


「シバにゃんが居る限りは……みぃたちにそのメイスは倒せにゃい。なら仕方のないことにゃ」


「じゃあもう戦わなくっていい? よかった~!」


「ただ……メイスが魔王軍幹部だってことは忘れることにゃかれ。危険なヤツにゃ」


「そうかもね。でも、ボクはご主人の判断を信じてるから」


「……はぁ。分かったにゃ。強さこそが正義、ならみぃはシバにゃんの信じるテツにゃんの判断を信じることにするにゃよ」


ミーニャは呆れたようにそう言い残すと、音を立てず夜闇に姿を消した。




「……お礼を、言った方がええんよね?」




メイスはポツリとこぼす。


「おおきに。シバさんのおかげさまで助かったわ」


「別にお礼なんて要らないよ。言ったでしょ? ボクはご主人のために動いてるんだって」


シバはそう言うと、メイスの椅子の横に体育座りした。


「……帰らんの?」


「まだ他にも狙って来るヤツがいるかもしれないから」


「じゃあ、まさか朝まで居るつもりなん? どうしてそこまで……お兄さんに何か頼まれたわけでもないんやろ?」


「そんなの必要ないよ。ボクがご主人のためにしたいだけだもん」


「そんなん……ただ都合のいい奴になるだけなんとちがう?」


「? 言ってる意味がよくわかんない。ボクはただ、ボクのことを好きって示してくれるご主人に、いっぱい好きを返したいだけだから。それがボクの思うパートナーって存在の役割だから」


「パートナー……」


メイスは目を丸くすると、小さく、納得げに息を吐いた。


「そういう信頼関係も、ええね」




ふたりの間にはそれ以降特に会話らしい会話もなく、しばらく経って遺跡の中に陽光が差し込んできた。

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