淵緑の呪術神(8 / 8)

「シバぁぁぁぁぁあッ!」


仲間のその名前を叫び続けながら、俺はひたすら正面に【真空斬】を撃ち続けていた。


── 【真空斬】。その技は威力も凄まじいながら、もうひとつ特性があった。それは【対象物に当たるまでの空気抵抗を受けない】というものだ。


『空気を圧縮して撃ち出された斬撃を全くの同タイミングで打ち出した魔力でコーティングするんだ。それによって、摩擦係数を限りなく0に近づけることができる』


……のだそうだ。この技の考案者であるヴルバトラがそう言っていた。


さて、だんだんとその【真空斬】によって破壊された壁の音は小さく、そして聞こえなくなっていく。


〔自棄でも起こしたか、人間。げに見苦しきこと……〕


淵緑カエラズの呪術神が俺をあざ笑ってくるが……今のうちに笑っているがいいさ。


……。


……。


……。


俺はただ正面に【真空斬】を撃ち続けるだけの作業を、恐らくは半年近く繰り返した。もはやその先の壁を壊せているのかも分からなかった。でも、それでいい。俺はいったん剣を鞘に収めた。そして待つ。


「シバぁぁぁッ! 俺はここに居るぞー!」


叫び続けてその時を待つ。


……。


……。


……。


──フワリ、と。突如として鼻をかすめたその愛しい香りに、俺の頬は緩んだ。


「……久しぶり、シバ」


〔うんっ! ボクが来たよ、ご主人っ!〕


俺の隣にいつの間にか現れていたのは、柴犬姿のシバだ。そのフワフワな頭を、俺の体にこすりつけてくる。


〔……って、久しぶり? ってどういうこと?〕


「いや、なんでもないよ。こっちの話だ」


俺にとっては体感上は何十年ぶりって感覚があるけど、でも表の世界ではやはり年月は経過していないらしい。


〔ところでご主人、ここはどこ? とりあえずこの場所に来てから真っ先にご主人のニオイと声がしたから走ってきたけど……道がくねくねしてて嫌になっちゃうよ〕


「そーだな。ここはちょっと広いダンジョンみたいな感じかな。ところでさ、シバは俺にたどり着くまでどれくらい掛かった?」


〔えっ? んーとね、1時間くらい走ったかな?〕


「……そうか」


シバの大きな体を撫でつつ、俺は確信を深める。この∞の世界の矛盾について。


「なあ、シバ。ここでさ、シバにやってもらいたいことがあるんだ」


〔うん、いいよっ! 何をすればいいの?〕


「俺を乗せて【全力】で走ってほしい」


俺は目の前に大きく空けられた穴を指差した。俺がこれまでずっと【真空斬】を撃ち続けてきたから、その先は奥が見えないほどの遠くまで直線のコースができている。


〔この穴……どこまで続いているの?〕


「俺にも分からん。けどたぶん……限りなく∞だ。限りなく∞に近く、この穴は続いている」


〔それなら衝突とか気にせずに全力で走れるけど……でも、ご主人。全力で走るボクの背中に乗るのは……ご主人にとってはかなりの負担が掛かると思うよ?〕


「構わない。覚悟はできてるよ。その上で頼む、シバ」


〔……分かった。じゃあ、乗って!〕


「ありがとうっ!」


俺はシバの背中へと飛び乗った。その柔らかな体毛に埋もれるようにして、姿勢を限りなく低く、シバへと抱き着く。


〔神獣が……何故人間の手の内に……?〕


呪術神が困惑の声を向けてくる。


〔いや、しかし、何をしようと無駄なこと。ここは∞の世界。淵緑の迷宮。お前らがどう足搔こうとも決して抜けられる場所では……〕


「∞……お前はずいぶんと簡単にその言葉を使うけどさ、お前は∞の意味を分かってるのか?」


〔その問いへ答える意義を解せぬ〕


「答える価値が無いってか? じゃあ勝手にしゃべらせてもらう。いいか、∞っていうのはさ、終わりを観測できないからこその∞なんだ。しかし、お前はその∞を自分で作り出し、その世界で何をしようが自分に観測できるとうそぶいている……おかしいだろ? 観測できないからこその∞を、観測できるなんてさ」


〔……〕


「なあ、∞に続くかに思えるこの迷宮が続く範囲ってのは、呪術神、お前が【観測できる範囲だけ】なんじゃないか? お前の観測範囲でしか俺が動けないから体感上で∞に感じるだけ……ただの【見せかけ】だ」


つまり、その話でいくとどうなるのか? それはこれから全て明らかにするところだ。俺はシバの背中を軽く叩いて、合図を出した。


〔行くよ、ご主人っ! しっかりと掴まっていて……!〕


「ああ、頼んだ──っ!」


──ヒュンッ! と、風を斬るかのようにシバが駆け出した。


「っ……!」


限りなく平らに近い状態へと体を倒していてもなお、その速度によって掛かるGが俺の肉体を責め、体中の関節が悲鳴を上げる。俺は、遠のきそうになる意識をしっかりと保ちながら、シバの背中をガッチリと掴んだ。


〔消えた……!? いったいどこへ……!〕


呪術神はどうやら俺たちを見失ったようだ。


「どこへ、か……そりゃあ決まってる。お前の言う∞の果てだ」


俺の言葉通り、仮にこの世界が本当の∞ではなく、呪術神が観測できる範囲までしか続かない世界なのだとすれば、その観測範囲セカイの果てにあるのはなんだろうか。おそらく──【無】だ。


「お前がこの世界の続きを観測する速度を超える速度で、俺たちが無の世界へと突っ込む……! そうすりゃどうなると思うっ!?」


無であるはずの世界に何かが存在することになるという概念的な矛盾。それが引き起こす現象についてまでは俺も理解できないけど……この世界の理を越えられることだけは確かだ。


〔ご主人っ! この先、道がないよっ!? 真っ暗だっ!〕


「突っ切るぞ、シバッ!」


〔うんっ! ご主人となら……どこへでもっ!〕


俺とシバは、その∞の世界の果ての壁へと勢いよく触れた。




* * *




──モンスターすら寄せ付けない森の深淵、そこに楽園を築いていたエルフの男が顔を歪ませる。


かつて自らが定義したはずの∞の世界の外側に異物があふれるのを感じて。


──現実世界と呪いの世界、そのどちらでもない狭間の【無】の空間に【有】ができた。


「論理破綻が起きるな……」


男は舌打ちする。これまでその男の思い通りにならなかったのは数十年前の帝国との戦争の結果くらいだった。


「誰だ。俺を不快にさせるのは……ことごとく、殺す」


男──この世全てのエルフを束ねる者、ジルアラドは重い腰を上げた──。




* * *




「うわっ!?」


〔うひゃあっ!?〕


俺とシバは、唐突に外へと投げ出されていた。その淵緑の世界の外──現実世界へと。


〔──くっ、がぁぁぁッ! クソッ、我が世界が、壊れた……!? あり得ん……我が主の築いた論理が破綻したとでも……!?〕


低い声が耳を打つ。振り返ればそこにあったのは深緑色の力。淵緑の呪術神だ。そして、


「ジャンヌ……!」


その力に沈められるようにして、目を閉じたジャンヌが囚われていた。呪術神の作った∞の世界とやらが壊れて、その内側に囚われていたものがすべて再びこちらの表の世界へと現れたのだろう。


……これは、チャンスだ。


「ジャンヌのことは返してもらうぞ……!」


俺は間髪入れずに跳ぶ。その呪術神へと向かって。


〔げに不快なり。『返してもらう』……? 聖女の力はエルフのもの。エルフに還るもの。すなわち我が主のもの。下等な人間の手の内に在るべきものにあらず……!〕


ジャンヌの体の自由を奪っている深緑色の力の周りから木々が突出して俺の突進を阻もうとするが、しかし、


〔グルルルルッ!!!〕


俺の前に躍り出たシバが、それらを全てその爪で切り裂いた。俺を阻む障害は無い。俺はそのまま、剣を振りかぶって呪術神へと迫る。


〔無駄なこと。いかに近づかれようとも、お前の攻撃は我には──〕


「通じない、か? 本当に?」


この世に斬れないものは無いらしい。かつてヴルバトラはそう言った。『この世に有るもので実体の無い物は無い』と。


固体──当然斬れる。


液体──勢いがあれば斬れる。


気体──何年もの特訓を経て斬れるようになった。


「呪術神、お前のその体を構成しているのは……魔力だろ?」


〔……!〕


魔力──何事にも揺らぐことのない緻密な魔力操作の腕を手に入れた今の俺ならば、それすらも斬ることだってできる!


「らぁぁぁあッ!!!」


一閃、走らせたその太刀筋が呪術神の体を真横に斬り割いた。


〔不可解ッ……!?〕


「じゃあな、呪術神」


深緑色の力から解放されて落ちてきたジャンヌの体を受け止めて、それから背を向ける。


〔こんな、ことが……!〕


ボロボロと木々が腐り落ちるかのように崩壊を始めた呪術神からは、もう俺たちに襲い掛かれるほどの力を感じない。


〔覚えているがよい……我が主がこのまま聖女を人間に預けるなど許すはずがない……必ずや、お前たちを滅ぼしに……!〕


「上等だよ、来るなら来い。ただ、呪うことでしかジャンヌのことを縛り付けられなかったヤツが大したタマだとは到底思えないけどな」


〔……おのれ。その言葉、努々ゆめゆめ忘れるな人間ふz──〕


呪術神は言いかけのまま、その途中で完全に消え去った。


「……終わった、か」


大きく息を吐く。


……疲れた。本当に。体感でいったいどれだけの時間を一睡もせずに歩き続けていたことか。まあでも、その甲斐はあった。


「──スゥ」


俺が目を落とせば、そこには俺に抱えられる形で安らかに寝息を立てるジャンヌの姿があった。


「救えたんだ。なら、万事良し……」


「──ご主人ご主人っ! あのヘンなヤツ、倒したねーっ!」


「シバ……」


またもや素っ裸の美少女フォルムで俺の元へと駆け寄ってくるシバに、いつもなら『まずは服を着なさい!』と注意するところだが……残念ながら俺ももう限界だ。


「スマン、ジャンヌのことを頼む」


「えっ? うん。でもご主人、この女の子っていったい……」


「俺は、寝る……」


グラリと揺れる意識の中、俺は辛うじてジャンヌの体をシバへと預けると、そのまま地面へと倒れ込んだ。


「ごっ、ご主人っ!? ご主人──!」


薄れゆく意識の中で、シバが何かを叫んでいるのが聞こえたが、襲い来る強烈な睡魔に打ち勝つことはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る