淵緑の呪術神(7 / ∞)

俺は歩き続けた。


森の迷宮を、ただひたすらに前へと進み続けた。


……。


……。


……。


たぶん2カ月が経った。何も起こらない。


……。


……。


……。


おそらく半年が経った。何も起こらない。


……。


……。


……。


きっと1年が経った。


立ち止まってみた。


……。


……。


……。


もしかするとこれで2年。


ずっと立ち止まっていても何も起こらなかったので、俺はまだ歩き始めた。


歩き続ける。


……。


……。


……。


あー、たぶん、5年?


俺はまだ歩き続けていた。


疲れていないから当然ではあるが、1度も座ってはいなかった。


……。


……。


……。


えっと、5年の時からどれくらい経った?


いち、にー、さん……


ああ、たぶん10年が経った。


俺はまだ歩いている。


……。


……。


……。


〔──げに不可解。人間、お前の思考はどうなっている?〕


……。


……。


……。


「えっ?」


しばらく経って、声が聞こえたことに気がついた。誰かの声を聞いたのが久しぶり過ぎて、それが声だと気づくのにも時間がかかったのだ。


〔不可解。その思考が理解できない。人間、お前は何を考えている?〕


「なにを……なにをって?」


〔……歩き続けて気が狂ったか……否。お前の歩みは確かな意志を持っている。何も考えずに歩き続けているわけではない〕


「そりゃ、そうだろ……」


何を言っているのだろう。そもそも、俺が淵緑カエラズの呪術神の中へと飛び込んだのは明確な理由あってこそだ。


「ジャンヌを助ける。俺はそのためにここへ来たんだから……ジャンヌを助けるために歩いてるに決まってるだろ?」


〔……不可解〕


呪術神が困惑したような声を出す。


〔お前はすでに、体感上で【20年以上】は歩き続けている。何も刺激の無い空間で、ただひとりずっと。……生物の精神はそれに耐えられるように作られていない。どんなに強固な精神の持ち主でも、数カ月と持たずに精神は崩壊するはず〕


「精神崩壊……? ああ、モンスターも罠も出てこないと思ったら……お前の狙いは俺をここに閉じ込めて精神崩壊させようってことだったわけか」


……なんというか、それは相手が悪かったな。


「──心なんざ、とっくの昔に折れている!」


俺は断言する。思えばこの迷宮をさまよい始めて1カ月のころ、この迷宮に膝を着いたあの時にはもう、俺の精神は限界で崩壊を始めていたのだ。


「だけど……それがなんだっていうんだ。心が折れたなら、すぐに治せばいい。それだけだろ」


〔不可解。そんな単純な話ではない。一度折れた精神は二度目も容易く折れるもの。いくら精神を健常に保とうと努力したところで……お前の居る環境はこの迷宮に変わりはない。自死以外の選択肢の無い、この終わりの無い牢獄に囚われている限り、お前の心は何度でも折れるはず〕


「だったらまた治せばいい。1回でも10回でも1万回でも。何度だって、折れた心を引っ付けてまた歩き出せばいい」


俺は別にメンタルが強いわけじゃない。女の子にフラれたら普通に泣くほど落ち込むし、テニスの試合に負けたら立てないほどに悔しがる。ただ、俺はそこからの回復速度が異常に速いのだ。特に、この異世界に来て10年経った今は、尋常ではないくらいに。


「この迷宮を歩きながら後半の方は毎分毎秒、1歩歩く度に精神崩壊してたぜ、俺は。ポキポキポキポキと心が折れ続けていた。だけどよ、その度に回復し続けた」


〔──不可能。そのような精神状態、前例が無い……!〕


「知るか。ただひとつ言えるのは、お前じゃ俺を殺すことはできない。俺はこのまま無限時間だろうが歩き続けるぞ」


俺は再び歩き出し始める。


「おい呪術神、そろそろ吐けよ。ジャンヌはどこにいる」


〔手遅れ。ヤツは死んだ〕


「それを俺が信じるとでも? というか、俺は確信している。ジャンヌはまだこの世界のどこかで生きているって」


俺は体感上、すごく久しぶりに腰に差していた愛剣を引き抜いた。


「ああ、しっくりくるな。やっぱり鈍ってない。疲労や眠気が襲ってことないことから分かってはいたけど……この世界の時間は止まってる。だから筋力が衰えることも、剣技が錆びることもないわけだ」


〔無駄……聖女はすでに死んでいる。聖女自身がそれを望んだゆえに。聖女が、お前が差し伸べた手を払いのけたことが物語る通り〕


「いいや、死んでないし、ジャンヌは死なんて望んでいない。ジャンヌは俺に最後『助けて』と言っていた。だから俺は、この迷宮の奥へとジャンヌを助けに行く」


〔愚かなり。聖女はひと言たりともそのようなことは言っていない。加えてこの迷宮に奥という概念などない。∞なのだ。お前の標としている者は何もない。全て無駄な行為だ〕


それでも俺はやはり歩き続ける。


「それを決めるのはお前じゃないよ呪術神。どこまでいっても奥が現れないなら、さらに先に奥があると俺は勝手に決めつける」


〔……愚か。この∞の世界は我の産み出したもの。我はこの世の全てを観測できる。なればこそ断言できる。真にこの世に終わりなど無いと〕


「あっそ」


……。


……。


……。


10年、20年が経つ。


俺はまだ、歩き続けている。


〔──愚かさを優に越える。不可解。人間、お前はなぜ迷いもなく、なぜそれほどまでに歩き続けられる〕


恐れさえ孕んだ声で、呪術神は再度俺に語り掛けてきた。


……それにしても、こいつは何度も何度も飽きずに、同じことしか訊いてこないな?


「歩き続ける理由は変わっていない。ジャンヌが助けてと言ったからだ。だから俺はジャンヌを助けるために歩いている」


〔愚か、愚か、愚か……! 聖女は『助けて』などと言ってはいない。すべてお前の記憶の捏造である。聖女は自ら死を望んでいる……!〕 


「望んでない。たとえジャンヌがそう口にしていたとしても、それは望んでのことじゃない。ジャンヌは助けてと言っているんだ。俺には聞こえた。確かに聞こえた」


俺に最後まで縋らないようにと、言葉を押し殺して涙を流していた。ならそれが全ての答えだろう。


……ジャンヌが絞り出したその涙を、俺は救い取ってみせる。


「……そろそろだな」


俺は∞に続くその迷宮の、左右へと道が分かれる突き当りで立ち止まり、腰を落として剣を水平に構えた。


〔不可解……この迷宮に攻撃しようとも、同じ道が続くだけだとお前はすでに知っているはず〕


「そうだな。確かにこれまでだったらそうだった……でも」


俺は剣に魔力を込める。それは、まるで揺らぎの無い流れをしていた。


──魔力の流れは、それを使う持ち主の精神状態に左右されるものだ。慌てている人間の魔力の流れは乱れてその効果を落とすし、逆に落ち着いていれば落ち着いているほどに身体強化や魔術術式の効果は大きなものとなる。


「呪術神よ、今は少しお前に感謝してるフシすらある。この淵緑の迷宮世界で俺は何十年間も精神を折っては治してを繰り返したよな……そのおかげで、俺の【精神の崩壊と再生メンブレリカバー】はゼロコンマゼロ数秒の域に達した」


俺はもはやどんな精神状態からでも1発で回復できる。つまり、どのような状況下であっても魔力の流れは常に一定。少しの乱れもそこには無い。


「完全なる精神の安定化を手に入れた今、俺は完全なる魔力操作技術を手に入れた。これで、ようやく実現できる」


〔何を……〕


「知ってるか、呪術神。この世界の剣技におけるひとつの奥義はカマイタチだ。これを発生させる条件は、体の動きと魔力の流れをできる限りで一致させることだった。でも、この世界の剣技の神髄はそのさらに奥にある──」


そう、『できる限り一致』。それでカマイタチが起こせるのだ。であれば、それを【完全一致】させたら……? 


俺は剣を大きく後ろに振りかぶり、そうして正面の空間を大きく切り裂く。肉体の運動方向ベクトルと魔力の運動方向ベクトルを完全一致させて。


──ズザンッ! という音と共に、目の前の道が大きく開けた。突き当りの木々の壁に穴を空け、そしてその先の壁にも巨大な穴を空けている。


〔なっ……!?〕


「……ふぅ、できたできた。これは【真空斬】って名前の技なんだってさ。ちなみに勇者ヴルバトラがこれを会得したのは、15歳の時らしい。確かに開戦の日もこれを使ってたし……スゲーよな。俺はこの迷宮で何十年もさまよって今ようやくその域にたどり着いたってのに」


さて、新技会得を祝って万歳三唱でもしたいところだが、それはさておきそろそろ本題だ。こっちの技はメインではない。この迷宮を打開するためのリーサルウェポンを呼ばなくては。


俺は【真空斬】を手前に撃ち続け、もはや肉眼ではとらえきれない何百何千メートル奥の壁を破壊しながら、大きく息を吸い込んだ


「──シバぁぁぁぁぁぁぁあッ!」


俺は叫ぶ。俺の大切な仲間のその名前を。




* * *




〔──あれ、ご主人がいないや〕


その大きな柴犬──シバは町で暴れる盗賊団の男たちを皆殺しにして、テツトと別れた場所まで戻って来ていた。しかし、そこにはテツトのカマイタチにやられて倒れ伏す盗賊団の姿以外まるで見当たらない。


〔ご主人~~~? どこぉ~~~?〕


地面に鼻を着けて、クンクンクン、とニオイを嗅ぐ。しかし、テツトのニオイはそこで途切れていた。


〔う~~~ん、やっぱりどう考えても、あの深緑色の力が怪しいんだよねぇ。なーんか嫌な感じもするし……〕


シバの目の前にあったのは、街中に不自然にも木々を生い茂らせる不思議な深緑色をした、沼のような力の塊だった。


〔……ご主人がボクを置いてどこかに行くわけないし、だとしたらきっとあの力のせいでどうにかなっちゃったんだ、きっと。許せんッ!〕


グルルルッ! と喉を鳴らして、シバはその深緑の力──淵緑カエラズの呪術神の呪いに触れる。


〔ご主人を返せ~~~ッ!!!〕


そうしてシバの体もまた、その呪いの中に飲み込まれていった。

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