淵緑の呪術神(6 / 8)

「くそっ……! ジャンヌッ!」


俺はジャンヌを飲み込んだその深緑の力に向かって剣を振り下ろす。しかし、空を斬るようにまるで手ごたえを感じることができない。……実体がない? いや、違う。この感覚……これは……!


〔──無駄なことを。愚かなり、人間……〕


「っ!」


深緑色の力の語り掛けに、俺は剣の横なぎで返す。しかし、やはりそれを斬ることは叶わない。


「くっ……! おい、ジャンヌを返せッ!」


〔却下する。我は淵緑カエラズの呪術神。務めを忘却した聖女から、その力を回収する者なれば〕


「そんな都合、知ったことかッ!」


再び剣を振るう。やはり、手応えがない。


〔低能め。無駄だという言葉が理解できないらしい〕


「そう易々と受け入れてはやらねーってだけだ!」


〔無駄なものは無駄。聖女の体はとうにこの世には無い。我が呪いの中をさまようのみ。人間がどう足掻こうとも触れることすら叶わぬ〕


「この世に、無い……?」


〔我が呪いの内はこの世と隔絶された世界なれば〕


「……」


その深緑の力は淀んで濁っており、その中をうかがうことはできない。しかし、この中に世界があって、そしてその中にジャンヌが居る……なるほど。


「戦う舞台が違ったってことか。それなら話は簡単だな」


俺は片足をその深緑の力の中へと突っ込んだ。


「俺もその中に行けばいい。そんでもって、ジャンヌを引っ張り上げて来てやるまでだ……!」


俺は全身をその淵緑カエラズの呪術神の中へと沈めていく。不思議なことに、さっきまでいくら剣を振り回しても実体の無かったはずのその深緑の力は、今は沼のような感触を伴って俺の体を包み込んでいる。


「待ってろよ、ジャンヌ……!」


俺は頭の先までをその緑の中へと沈めた。




〔……やはり人間は低能。自ら呪われに来るとは〕


淵緑の呪術神の声が響く。


〔我が淵緑カエラズの呪いは無限に広がる出口の無い迷宮世界なれば。永久の終わらぬ時をさまよい過ごし、絶望するがいい。人間……〕




* * *




……。


……。


……えーっと?


ここは、どこだろう。


「確か俺は呪いの中に足を踏み入れはずだけど……ここは、森か……?」


辺りはうす暗い。灰色の霧が立ち込めているようだった。その奥には木々が立ち並び、木々の間を埋め尽くすように植物たちが生い茂っていた。しかし、ただの森では無いことは確かだ。


「植物の配置が規則的過ぎるな……」


明らかに人為的な人が通るための通路が俺の前後に伸びている。たまに大きな公園とかに行くとある垣根を使って作った迷宮、そんな雰囲気があった。


「おーい! ジャンヌッ! どこに居るんだーっ!?」


大きな声を出して問いかけてみるも、返事はない。というか木霊すら返ってこない。


「どれだけ広いんだ、ここ……」


少し胸中に不安を覚えつつも、俺は歩き始める。とりあえずは自分の目の前にあった道を行く。少し歩くと、突き当り。左右へと折れる曲がり角があった。俺は腰を落とし、そしてずっと手に持っていた剣を構える。


「──フッ!」


警戒しながら飛び出る。しかし、何かトラップが発動することもなければモンスターが襲い掛かってくることも無かった。


「……右に行くか」


それから俺は歩き続ける。その道はずっと伸びていた。十分以上歩き続けても周囲に変化は見られなかった。


……もしかしたら不正解の道なのかもしれない、引き返した方がいいのかもしれない。


俺がそう思い始めていた時、しかしようやく突き当りの植物の壁が見えた。


「また左右に分かれる道、か……」


ここで右を選択したら、元来た方向に帰るだけになってしまう。


「左、だ」


俺は左の道を選んで進んだ。そして歩き続ける。


俺は歩き続けた。


時折現れる曲がり角を選択し、進み続けた。しかし、何も無い。たまに連続で右を選択してみた。元の道に帰るだけだった。相変わらず罠もモンスターも何も無かった。途中で謎の地下への階段が現れることも、秘密の抜け道が現れることもなかった。


俺は歩き続けて、そして、体感で数時間が経とうとして……気が付く。


「眠くないし、疲れもないし、腹も減らない……?」


試しに、俺は剣で自分の手のひらを傷つけてみた。血が出た。痛む。


「幻を見せられているわけではない、のか」


前に一度、どこかを旅している途中に聞いたことがあった。幻術をかけられている場合はその術の内側で自傷するなどして自分を目覚めさせることができる、と。


確かあの呪い──淵緑カエラズ呪術神とやらは、こう言っていた。『我が呪いの内はこの世と隔絶された世界なれば』と。


「世界の理が違うのか……?」


例えば魔力。これは俺が元々居た世界には無かったものだった。しかし、俺が転生した先の世界では当たり前に用いられるものだ。


それと同じように、この世界における時間や、人の体の食欲や睡眠欲といった欲求の概念がこれまでの世界と異なる、そういう可能性もある。


「進もう……」


俺は歩き続けた。


そして体感で1日目が過ぎた。相変わらず疲労感も何もない。手のひらの傷は癒えないまま。そして、何も起こらなかった。


「……この迷宮、ただ進むだけじゃダメなんじゃないか……?」


俺は剣を引き抜き、構える。そして左右に道が分かれる地点のその突き当り、木々と茂みでできた壁に向かって斬撃を浴びせる。壁には穴が空いた。その先には新しい道があった。


「よしっ! ここから進めば……!」


しかし、その先は同じような道が続くだけだった。突き当りの壁を連続で破壊して進んでみても、ゴールが現れるようなことも、ギミックなどが起動することもなかった。


そうして2日目が過ぎた。


……。


3日、4日……1週間が過ぎた。何も、起こらない。


……。


……。


……。


おそらく1カ月。何も起こらない。


「ッ!?」


ガクンっ、と。気づけば俺の膝が地面に着いていた。


「……これはっ……」


自分の声を久しぶりに聞く。そういえば、声を出したのは体感で2週間ぶりだった。


「脚が……」


脚が、いや脚だけではない。体が言うことを聞かなくなりつつあった。


……精神の変調。それが、肉体へと影響を及ぼしつつあった。


「……何やってんだろ、俺……」


……俺は、確か……。


……そうだ。俺は、ジャンヌを助けにきたはずだ。


「立たないと」


俺は立って歩くのを再開した。

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