淵緑の呪術神(5 / 8)

「ホラ、ジャンヌ。立てるか?」


「あっ、はっ、はひっ……!」


ジャンヌは恐る恐るといった様子で、俺の手を取った。そしてゆっくりと立ち上がった。パッと見た感じ、本当にケガとかは無いようだった。


「お、お手を煩わせまして申し訳ございません……それにしてもテツト様、本当にどうしてここに……」


「ああ、手紙を貰ったんだよ。俺が拠点にしてる町にある冒険者ギルドのサラサさんから。『エルフの女の子がテツトさんを訪ねてきました』ってな」


「あっ……」


どうやらジャンヌにも心当たりはあったらしい。


「俺を訪ねてくるエルフなんてジャンヌ以外心当たり無いし、手紙によれば『深刻そうな表情だった』からって……気になってな。ジャンヌが行きそうな町を片っ端から巡ってたところだったんだよ」


「そんな、テツト様に対して祈りを捧げることしかできないこんな無力な私なんかのために……」


「い、祈り……? いやまあそれは置いておいて、『私なんか』ってことはないだろ。確かに1回しか会ってない間柄ではあるけどさ、でも忘れがたい縁だったろ、互いに」


俺はエルフに会ったのは初めてだったし、オークを倒したのもあの時が初めてだった。ジャンヌはとても良い子だったという記憶も、ちゃんと俺の中に残っている。


「……ぐすっ」


「えっ……?」


「ごめんなさい、ただ……嬉しくて……!」


感極まったように涙を流し始めるジャンヌ。えっ? 俺……どうすればいい?


「えっと……いい子いい子……」


とりあえず慰めるように頭を撫でておく。……いや、いいのかこれで? 分からんぞ? マジで分からん。


「こ、こここ、これはっ! 頭ヨシヨシっ!? あの、伝説の……!」


「あ、やっぱ嫌だったかっ?」


「いいえまったく全然そんなことはっ! むしろこれ以上ないご褒美です摩擦熱で焼き切れるまでナデナデヨシヨシしていただきたいですっ!」


「そ、そうっすか。じゃあ……」


「でへ、でへへへ……」


「……」


なんだろうな、発言の勢いがオタクそのものなんだが……まあ嬉しそうならいいか。まるでシバみたいに目を細めて気持ちよさそうにしているし。


「……嗚呼、幸せですぅ……」


「それならよかった。まあこんなヨシヨシすることくらい、ぜんぜん大したことじゃないんだけど」


「いいえ、そんなことはありません。少なくとも私にとっては……テツト様が、ずっとずっとお会いしたかったテツト様が、まさか私なんかを心配して駆けつけてくださって、その上また助けてくださるなんて……本当に夢みたいで……!」


ジャンヌは潤ませた瞳で、満面の笑みを浮かべる。


「ずっとテツト様に申し上げたかったのです。あの日、8年と8カ月と12日前のあの日……私のことを助けてくださり、本当にありがとうございました」


ジャンヌはそう言うと、深々と頭を下げてきた。


「ジャ、ジャンヌ、よせよ。お礼ならあの時ちゃんと言ってもらったろ?」


「はい。それでも、もう一度申し上げさせてほしいのです。あの日、私の世界の全てが変わりました。それまでの人類を恨み続けるだけの世界に生きていた私に、新しい世界を見せてくれて、想像させてくれて、恋をさせてくれて……本当にありがとうございました」


ジャンヌが両手で俺の手を握って、涙に濡れたその顔で俺を見上げてくる。つい、心臓が跳ねてしまう。


「テツト様、大好きです。テツト様は、私の世界を照らしてくれた神様なんです。微力な私ですが、どうか……恩返しをさせてください」


「お、おう……」


めちゃくちゃ敬愛の念を抱かれて神様扱いされていろいろ戸惑ってしまうことはあるけれども……とにかく、晴れやかな笑みを浮かべるジャンヌは、とてつもない美少女だった。そんな美少女が触れんばかりの距離まで顔を近づけてくるんだから……鼓動も速くなろうものだ。


……確かに幼いころからその片鱗はあった。綺麗な顔立ちをしているな、と思った記憶がある。その幼子が、10年近くの時を経るとここまで美しい女性に変貌を遂げるのか……!


「……テツト様? いかがいたしましたか?」


「い、いやっ? なんでもないよ。それで、恩返しって? 俺はジャンヌとこうして再会できただけで嬉しいし、それ以上に何か望むことも無いんだけど……」


「……ありがたきお言葉です。ですが、これは私には必要なくなるものであり、今後のテツト様にとってきっと役立つものとなるでしょう」


ジャンヌはそう言うと、両の手のひらを器のようにして差し出してきた。そこに、清らかな緑色の力が溜まっていく。


「これは【聖女】の力です」


「聖女の、力……?」


「これを、テツト様に差し上げたいのです」


その緑の力は丸くなり、ひとりでに浮き上がると、俺の方へと漂ってくる。


「い、いやいやいや、え? なんで聖女の力を俺に……? それを俺に渡したら、ジャンヌはどうなるんだ……?」


「力を失います。しかしそれでいいのです。私の命はもう、長くは……」


その時だった。




──プチュンっと。緑の力は空気中へと弾け散った。




〔げに不届きである〕




何者かの低い声が聞こえたかと思うと、ジャンヌの体の内側から深緑の力が濁流のようにあふれ出す。


「──あぁっ!? まさか、そんなっ!」


「ジャンヌ……これはっ!?」


「あぁ、あぁぁぁぁぁッ! ダ、メです……! テツト様……離れてぇッ!」


「グッ!?」


突然その深緑の力から数多の木々やツタ、枝葉が勢いよく伸びてきてしたたかに俺の体を打ち、押しのけた。


「なんだよ、これ……!」


俺はとっさに剣を引き抜いてそれらの木々を斬り刻む。だけどもう、俺の体はジャンヌからかなり遠ざけられてしまっていた。


〔愚かにも想いを成就したか、聖女よ。その成就を持って我が顕現する……この淵緑カエラズの呪術神が〕


その低い声は、ジャンヌの体からあふれ出してきて、今は宙へと浮かぶ深緑の力の中から響いてジャンヌへと語りかけていた。


〔お前の力はエルフの力。決して蛮族に渡すべきものにあらず〕


今度は逆に、ジャンヌの体が沈んでいく。その深緑色の力の中に。淀んだ沼に飲み込まれるように、次第にジャンヌのその白い肌が見えなくなっていく。


「ジャンヌッ!」


何が起こっているのかは分からない。これまでに見たことのない現象だ。だけど……このまま手をこまねいているわけにもいかない。


「うらぁぁぁぁぁッ!」


俺が近づこうとすると、ジャンヌを飲み込むその力から、俺を遠ざけようと勢いよく木々の枝葉が伸びてくる。それらを斬り伏せながら俺は駆ける。


「ジャンヌ──ッ!!!」


俺は駆ける。斬る。駆ける。斬る。そして迫る。


「俺の手を掴めッ! ジャンヌッ!」


このままじゃジャンヌが手の届かない、どこか遠くへと連れ去られてしまう気がして。俺は必死に手を伸ばす。


──しかし、その手は弾かれた。他でもない、ジャンヌの手によって。


「なっ……!? なんで……!」


「……恩返し、できずに申し訳ございません……テツト様」


「ジャンヌッ! もう一度、手をッ!」


「逃げてください、テツト様……これはこの世のエルフ種を束ねる者の、決して解けることの無い呪い。戦って勝てるようなものではありません」


ジャンヌは儚げに微笑んだ。


「さようなら、テツト様。私はもう、充分に報われました。本当に……今日まで、こうして生きて来れて本当に良かったと、私は胸を張って言えます」


「ジャンヌッ!」


「ありがとう、ございました──」


俺の手は空を切る。ジャンヌの体はすべてその深緑の力の中に完全に沈み込んだ。

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