淵緑の呪術神(3 / 8)
「なっ、コイツ……!?」
「……えっ? あれ、アタシ……確か斬られたはずじゃ……」
おばさんは不思議そうに、血が出ていないかを確かめるように自分の体を触っていた。しかし、その出血は止まっている……否、その傷自体が元々無かったように消え失せていた。
「死人が蘇った……!? そんな回復魔術、あるはずが……!」
盗賊団の男たちは呆気に取られたようにそれを見ていたが、ジャンヌはすでに次の動きに入っていた。
「私相手によそ見をするとは、救いようのない愚か者共め」
「うおっ!?」
ジャンヌが杖を向けると、男たちの両腕が背中に回されて光の輪のようなものに縛られた。
「なんだっ!?」
「足もです」
シュルシュルっと光の糸が滑るように移動してその足も同様に縛り付けると、身動きを封じられた男たちはその場に倒れ込んだ。
「くっ、くそ……! 聖職者のスキルかっ!?」
「それ以外ないでしょう?
ジャンヌは一番手前の男に冷たい視線と、その顔に鋭いつま先蹴りを叩き込むと、それから未だに不思議そうに首を傾げている宿屋のおばさんの元へと歩み寄った。
「傷はもう、大丈夫でしょう」
「えっ? ええ……不思議なことに。アンタが治してくれたのかい?」
「はい。恩に対して恩で報いたまでです。あなたは私を庇ってくれたのですから」
「……ああ、そうだった。武器を持った男たちがいたから、アタシはとっさにアンタを……」
「ありがとうございます、宿屋のお方。あなたはまだ走れるでしょう? このまま町の外へと避難をしてください」
「あなたは、って……アンタはどうするんだいっ? 逃げないのかいっ!?」
「ええ。私はこの町を……テツト様がせっかく救いの手を差し伸べたこの町を、このままにしておくわけにはいきませんから」
ジャンヌはそう言って、それから振り返りざまに杖を横に振った。
──ガキンッ! と、その杖はいつの間にか忍び寄ってきた盗賊の男のひとりが放った攻撃とかち合った。
「さあ、宿のお方。行ってください。ずっとそこに居られても、これ以上は邪魔になるだけですよ」
「う……わ、分かったわ。ありがとう、旅の人!」
おばさんを見送って、それからジャンヌは杖でその襲い掛かってきた盗賊の男の足を払う。柄で顔面を殴りつけて転ばすと、杖を振るう。その男もまた、光の輪に拘束されて身動きが取れなくなった。
「くっ……! 接近戦もできんのか、このエルフ……!」
「はぁ? 何を言っているんでしょうか、この猿は。当たり前でしょう。人里に降りるにあたって、私が【神】であるテツト様以外の人間の男──雄猿ふぜいに触れられないための努力を怠るわけがないでしょう?」
「ぐぎゃっ!?」
ジャンヌは踵で盗賊の男の顔を何度も踏みつぶしながら言う。
「正直に本心を言えば、私は人間の町がどうなろうがどうだっていいのですよ。ただ、せっかくテツト様が救ってもたらした平穏を、我が物顔で壊すお前たち猿共が憎いのです……! テツト様の温情を何と心得ているのですかっ?」
「ぐぅ、や、やめっ……!」
「ああ、汚らしい! クズ、吐しゃ物、生ゴミ以下のエテ公めがっ! お前みたいなのが居るから人間全体の価値が下がるのよただ生きてるだけでテツト様の邪魔になってる自覚がないのかしらこの世から消え失せろお前が息をするだけで世界に淀みが溜まるのよ……!」
──ジャンヌの中で、テツトはもはや信仰の対象だった。
誰も彼もが人間すべてを悪だと言い張るエルフの里で、ジャンヌだけは決して曲がることの無いテツトへの想いを抱えて生き続けてきた。里には仲間などいなかった。それだけに、毎日繰り返しテツトへ向けて祈らなければ、心が圧し潰されてしまいそうだったのだ。
テツトと共有できたあまりにも短すぎる時間を何千何万と反芻して繰り返すその祈りは日を、年を追うごとに強くなり……いつしかジャンヌにとってテツトは神と同列の存在となっていた。
だからこそ、そんなテツトの残した輝かしい軌跡に泥を塗る者を許すことなど到底できなかった。
「はぁっ、はぁっ……!」
ジャンヌは盗賊の男の顔面を蹴り潰し終わると、息を整える。
……ああ、いけない。つい、感情が昂ってしまった。こんなことで体力を使うわけにはいかないのに。
「──おいおい、ずいぶんとやってくれるじゃねーの」
背後からネットリとした声がかかり、ジャンヌは振り返った。こちらに向かって男が歩いて来ていた。一見して風に吹かれれば倒れてしまいそうなほどの長身で細身の男だ。しかし……その身にまとう雰囲気はこれまでの盗賊団の男たちとは別格のものだった。
「あなたがボス?」
「そうだなぁ、そうなるなぁ……」
男が薄く笑った。かと思えば、その姿が目の前から消える。
「──ッ!」
ジャンヌは弾かれたように後ろを向き、男が後ろから振り下ろす刀を杖で受け止めた。
……速いっ!
「ほう? オレの初撃を避けるヤツなんざ、クロガネイバラの嬢さん以来だねぇ」
ジャンヌが振り回す杖の攻撃を避け、男は余裕の表情で口笛を吹いた。
「コイツは長期戦になるかもなぁ。ま、望むところではあるがな。長引けば長引くほど俺に有利だ」
「……っ!」
町のいたるところから、盗賊団と思しき男たちが歩き出してくる。
「くっ……! 冒険者や、守衛たちはいったいなにをして……」
「そんなもん、あらかじめ全員殺してるに決まってんだろ? オレの築いた盗賊団には自警団崩れや冒険者崩れが多い。ヤツらが非常時にどう動くのかくらいは把握しているからな、先回りして潰させてもらった。この町にはもう、お前の仲間になってくれるやつなんざいねーぜ?」
「……仲間など、そんなものは居なくても、これまで私は──」
言いかけて、カクンと。ジャンヌの足から力が抜けて、地面に膝が着いてしまう。ジャンヌの顔が苦しげに歪む。
……くっ、こんな時に能力を使った反動が……!
「おお? どうした、不調か? そりゃ幸運なことだ。オレとしても、お前のその貴重な体に傷ついてほしくはないからなぁ」
「黙れ……私は、お前たち猿共などには、決して……!」
「諦めろ。さっきの緑の波動……あれはエルフ、お前がやったんだろう? 町全体を包み込むほどの癒しの力だったからな、さぞかし体力を奪われているに違いないさ」
「知ったような口を利くな……!」
ボスの男の言っていることは実際、てんで的外れだった。別にあの能力は体力が奪われるわけではない。しかし……使えば使うほど、今の呪われたジャンヌが追い詰められることは確かだった。
「野郎どもっ! 全員で押さえ込め! 傷はつけるなよっ!」
ボスの男が周りに指示を下す。
「でも、ボス……こいつ反撃してくるんじゃ……!」
「安心しろ、喰らっても杖の一撃くらいだ。聖職者のスキルに人間相手に直接ダメージを与えられるものは無い」
ボスの言葉を受けて、多少は安堵した様子の盗賊団の男たちがジャンヌとの距離を狭めてくる。
「くっ……やめろっ!」
……人間の雄共に触られるなど、死んでもゴメンだ。
「寄るなっ……!」
……私は、テツト様にひと目会い、その御身体の熱を少しでも感じ、そしてこれまで私の心の支えとなってくれたその感謝を伝える、それだけのためにここまで旅をしてきたのだ。こんなところで穢れるわけにはいかない。
「おいおい、よく見たらごのエルフ、相当な美人だぜ?」
「なあボス! 傷をつけなきゃいいんですよねぇっ? だったら売る前にみんなでコイツを楽しみませんかぁっ?」
「ああ、そりゃあいい──」
迫る下衆な猿共の声は、しかし。突如として舞い込んだ強い風によって遮られた。ジャンヌの側まで寄っていた盗賊団の男たちは軒並み吹き飛ばされる。そして代わりとばかりにその場に立っていたのは、一頭の巨大なオオカミと、そして──
「──よかった。ぎりぎり間に合ったかな?」
そこから飛び降りてきたひとりの男。
「やあ、ジャンヌ。久しぶり。大きくなったな」
その声は懐かしの……
「テツト様っ……!」
ジャンヌが10年近く毎日欠かすことなく祈りを捧げていた冒険者テツト、その人のものだった。
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