淵緑の呪術神(2 / 8)

とある町に、ひとりの女が足を踏み入れた。


「ここも、モンスターによる襲撃の痕が見えますね……」


フードを目深に被ったその女エルフ──ジャンヌが見渡す町並みは、あちこちの建物が倒壊していた。


しかし、不思議と人々の表情は暗くない。その訳は、冒険者ギルドを訪ねると明らかになった。ひとりのおじさん冒険者が気分を昂揚させて語り聞かせてくれた。


「いやぁ、10日ばかり前のことだけどね、最近Sランクになったっていう冒険者さんがこの町に来てくれてさ。町に攻めてきていたモンスターの軍勢を倒してくれたんだよ」


「……その冒険者の名は?」


「確か、テツ……いやタツ、あるいはトツ……? なんだっけな、あまり特徴のない名前だったから覚えられてないんだがね。確か二つ名は【異邦の救済者】だったかな。そっちはなんかカッコイイから覚えてるよ」


……やはり、テツト様でしたか。


この10日、ジャンヌが巡った他の2つの町でも同じような話を聞いた。町にフラリとやってきたかと思えば、他の冒険者では達成不可能だった討伐依頼を軒並み消化して去っていったのだと。


「……ふふっ」


「ん? なんだいお嬢さん……もしかして、あれだな? 【異邦の方】のファンだな? 最近増えてるんだよ。他の町も同じように救ってるみたいでさぁ」


「ファン、ですか……そうですね、そうとも言えるのかもしれませんね」


ジャンヌは微笑んで返した。




* * *




ジャンヌはその町で宿を取った。宿屋のおばさんはとても親切に対応してくれた。


「アタシはねぇ、ここ数年、こんな穏やかな気持ちになったことはなかったんだよ。余裕がなかったんだろうね。誰に対しても辛く当たってた。恥ずかしいことだよ」


しみじみと、おばさんが言う。


「例の【異邦の方】にも冷たい対応をしてしまってねぇ……でも、彼らがこの町を救って、ここ数年の生活の全てを変えてくれたよ。アタシは自分が恥ずかしかった。謝罪したいと思っても彼らはすぐにフラリと別の町に行ってしまった後だったさね。だからアタシは、せめてこの後悔を忘れないように、これからこの宿に来てくれた人には目いっぱい親切にしようと思ってるんだよ」


「そうでしたか……」


「あ、でもだからといって宿代を負けたりはしないからねぇ? ガッハッハ!」


「あ、はい……」


ジャンヌは普通に定額を払い、部屋に案内してもらう。


……ずいぶんと話好きのおばさんみたいだけど、ただその言葉にあった親切は口だけではないらしい。これまでのどの町よりも部屋は綺麗にしてあったし、その日の夕食も丁寧に作られたものだった。


「ここならゆっくりと体を休められそうですね……」


ジャンヌはさっそくベッドへと横になった。少し、呼吸が楽になる。こういった少しの動作で実感することが多くあった……自身の限界が近いだろうということを。


淵緑カエラズの呪い……」


──それは頑なに人間を憎む里の教えに従おうとせず、ひたすらにテツトを想うジャンヌに……この世のエルフを束ねる男がかけた解呪不可能の強力な呪いだ。


『聖女ジャンヌよ。その呪いはお前が人間を癒すたびにお前を蝕むだろう。お前が人間を愛すたびに深く魂に根差すだろう』


フラリと里に訪れたそのエルフの男は、呪いで縛ればジャンヌが改心するとでも思ったのだろう。エルフの聖女としての上辺でしかジャンヌを見なかったその男は、しかし本質を見誤った。


……どれだけの痛みも苦しみも、想い人を想えない辛さに比べればどれだけ楽なものだろうか。


ジャンヌの心は呪い程度に屈するものではない。ただしかし、日に日にその侵蝕は進み、体力と精神を削っていく。


「早く、テツト様に会わないと」


会って、幼き日に誓ったことを果たさねばならない。必ずもうひと目会って、あの時の感謝の気持ちと、形のあるお礼をしたい。


「聖女の力……テツト様ならきっと使いこなしていただけるはず……」


まぶたを閉じる。呪いに力を削がれ続けて、どうやら体力も精神も疲れ切っていたらしい。驚くほどジャンヌの意識は急速に深い眠りへと落ちていった──。


……。


……なっ……。


……起きなっ……。


「──起きなよっ! 旅の人っ!」


体を揺さぶられて、ジャンヌの意識は覚醒した。目の前にあったのは宿で受付してくれたおばさんの顔だった。


「なっ、なぜあなたがこの部屋に……」


「なぜもへったくれもないよっ! ホラ、起きたなら逃げるよっ!」


「えっ……」


その剣吞な雰囲気と深夜だというのに外から聞こえる騒がしい物音に、ただごとではないことは分かった。


「行くよっ!」


おばさんに腕を引かれて起こされ、ジャンヌは慌ててフードを被り、脇に置いていた聖杖を手に宿から出た。


「これはっ……!」


宿から出た先に広がっていた光景は、破壊。町のあちこちの建物から火が出て、住民たちが何かから逃れるように走り回っていた。


「いったい、なにが……?」


「盗賊団さね……! 町のあちこちで人を殺して略奪もしているみたいだよ!」


「町の治安維持隊は……? 冒険者もいるはずですが……」


「分からないっ! だけど今ヤツらが暴れてることだけが事実だよっ! いいからアタシたちも町から逃げるんだ!」


着の身着のまま、寝間着姿のおばさんに手を引かれ、ジャンヌも走った。訳を聞いている暇も無さそうである。他の住民たちの背中を追う。町の北の出口がある場所だ。


「この角を曲がればあとはもうすぐ──!」


おばさんが角を曲がり、そして……ジャンヌはドンと突き飛ばされた。おばさんに。


「えっ……!?」


思わず、後ろに尻もちを着いてしまう。その直後のことだった。


──ザシュッ! という音が響く。これまでジャンヌの手を引いてくれていたおばさんのその体から、鮮血が舞った。その体は力無く路上に倒れる。


そして、その曲がり角から現れたのは……武装をした男たち。それらの手に持つ武器からは多くの血がしたたっていた。


「お……? おいおい、見ろよ。コイツ、エルフの女だ」


男のひとりがジャンヌを見て、目を見開いて言う。


「今どき珍しいじゃねーの。売ったら相当な値がつくぜ」


「ホントだ。確保だ確保。檻に入れとくぞ」


「傷をつけんなよ。こんなレアものの商品価値が下がったら、オレたちが親分に殺されるぜ」


男たちは淡々と、倒れるおばさんの体をまたいでジャンヌの方へと歩んでくる。


「あなたたちは……?」


「見て分かるだろ。盗賊だよ。これから名を上げて、いずれ帝国一の盗賊団になる予定のな」


「なぜその女性を害したのです?」


「女性……? ああ、いま殺したこのババアのことか。そんなの、別に理由なんてねーよ。オレたちはすれ違った商品価値の無さそうなヤツらを皆殺しにしてるだけだ」


「……そうですか」


ジャンヌはそれから立ち上がると、静かに聖杖を構えた。


「おいおい、やめろよ。まさかオレたちとやり合おうってのか? ケガでもされたら困っちまうんだがな」


男たちがせせら笑う。しかし、ジャンヌはそれを相手にしなかった。


「【聖女の回復セイント・ヒール】」


ジャンヌが静かに唱え、聖杖の石突きで地面を打つ。すると、ジャンヌを中心として円を描くように、穏やかな緑の波動が瞬く間に町全体へと広がっていく。


「なっ……!? 何をしやがった……!?」


男たちのその疑問は簡単に解決する。


「──ん、うーん……?」


ムクリ、と。先ほど盗賊団の男たちによって殺されたはずの宿のおばさんの体がわずかに動いた。

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