第4話 アコレード

 先日のパーティーこそ賑やかだったが、私の学園生活は落ち着きつつあった。具体的な例を挙げれば、登校を門前で待ち構えている者や、教室までの短い道のりを長々と感じさせるようなお喋りの姿はほとんどなくなった。今日のような、わけもなく時間の流れが遅く感じる曇天の下でのお喋りは、一気に足取りを重くしてしまっただろう。

 普段と変わらない距離を保つ通路を、努めて正しい速度で歩む。

 だが私の足は前触れもなく止まった。

 いや、止めさせられたのだ。校舎と図書館との間、二人がようやくすれ違える程度の常に日陰がちな隙間に、何者かが私を引き寄せたのだ。力強く引かれた右腕の痛みと、急に暗くなった視界の意味に気づくまで、私はぽかんと力の抜けた表情でされるがままになっていた。

 なので、起こった何もかもを理解した直後にまなじりを釣り上げて犯人を睨み怒鳴りつけることができたのは、我ながら及第点だったと思う。

「どういうつもりですか!?」

 頭一つ分よりもう少し高い位置から、品定めのぎらぎらした視線が不愉快で、私はいっそう睨む目に力を込めた。

「お答えなさい! ロベルト・エルメンライン!」

 名を呼ばれ、降る視線の感触が変わる。

「お見知りおきいただき光栄至極、ありがたき幸せ、女王陛下」

 大袈裟なほど恭しく深く頭が下がる。艶やかな音を立ててそよぐ髪は、私と同じ黒だと思っていたが、間近に見ると灰を帯びて見えた。胸元にあてた手は淀みなく私の右手へ伸びると、手の甲を上にして彼の方へと引いた。その意味を察し、振り払う。

「……妹君に感謝なさいな」

 実際、編入初日に妹であるアニス・エルメンラインが兄のために謝らなければ、私はすぐには彼の名を思い出せなかっただろう。そして、アニスの謝罪を秤にかけても、今日のロベルトの言動は全く容認できない。

「挨拶のためにこのような場所に女性を引き込むのがあなたのやり方ですか!? それに、王位継承はまだなされておりません。女王陛下への不敬は、私の母への侮辱に等しいとお思いなさい!」

 先の中庭での振る舞いをみても、ロベルトがいささか調子に乗りやすいひょうきんな性格であることは想像できた。だからと言って、まだ王太子妃に過ぎない私を女王と呼ぶことは看過できなかった。

「いいや、俺にとってはあんたこそが正当な国の主、バンス・ヴァーチェの直系の子孫、この国の主であり、我がエルメンライン家が唯一頭こうべを垂れるに相応しい人さ」

「!」

 バンス・ヴァーチェ。まさか曾祖父の名が飛び出してくるなんて。

「あれは、バンスが納得の上で至った結論です。いえ、提案はむしろ曾祖父からしたものなのですよ」

「つまり兄に譲ってもらってようやく日の目をみることができた弟ってことだな。美しい兄弟愛があれは薄弱者だって王になれる証明さ」

「今の王国を見ても、弟たるランス・ヴァーチェを新しき王に据えたことは間違いだったと?」

 不徳を極めるタタ・ヴァーチェに翻された反旗の旗手は、タタの従兄であるバンスとランスの兄弟だった。兄のバンスは武勇に優れ、剣を携え先頭に立ち、五つ下のランスは線が細く、生来政まつりごとを好んで学び内務に才能を発揮した。

 互いの短所を補い合う兄弟、いずれがタタの後継になるべきか――内乱の終わりが近付くにつれ、兄弟を持ち上げた貴族らは密かに議論を繰り返したが、バンスは弟を王位に据えることを宣言し、終止符を打つ。「故障した身でも、辺境を守るくらいはできる。それを最後の仕事にしたい」――そう言って、バンスは片足を引きずりながら王都を離れた。

 引退とも辺境警備ともつかぬ余生の共には、一本の杖と、後にカメリアの父へ命を繋ぐ伴侶姿があったと言う。カメリアは実際に彼と家族の肖像でそれを見ていた。白い髭に隠れて、乾いた唇が微笑んでいるのが分かるほど穏やかな絵画は、バンスが自身の人生をどのように捉えているか如実に表していた。

「……勝手なことをお言いになると、了見の狭さが露見しますわよ」

 何も知らないくせに。

「勝手? ああ、そうさ、バンス・ヴァーチェはたった一つだけ勝手をした」

 ロベルトの目が燃え上がったかと思った。明るい橙の虹彩の中心で、絞られた瞳孔に獣の気配を見つけ、私は思わず逃げ出すことを考えてしまう。力のこもった踵を叱咤し、辛うじてその眼差しに対峙し踏みとどまることができた。私は、小動物などではない。

「バンス・ヴァーチェは、一人で勝手に身の振り方を決めてしまった。共に泥の中を駆けずり、血の匂いにせ、戦火の夜を超えた誰にも、何も、言わずに!」

「……」

 彼の目に燃える感情の正体を知り、私は何を言えばいいか分からなくなる。

 最も苛烈な前線に立ち身を尽くしたバンスに、エルメンライン家をはじめ騎士たるを栄誉とし付き従った家々は、信じていたのだ。次の王位を頂くのは、この最も貢献した男に違いないと。

 なのに、彼は勝手に身を引いた。自らに寄せられた信頼をかえりみることもせず。バンスただ一人を追いかけ、支えた人々にとってそれはどれだけ寂しかっただろう。裏切りだと見なされるほど冷淡な態度だと評されても、私にはとがめることはできない。少なくとも、その資格はないように思えた。

「早急な……混乱の後、空位を作らないため、早急な判断が必要だと思ったのでしょう。……けれど……あなた方の怒りももっともですわ」

 私はつい先刻まで無礼で仕方がないと思っていた目の前の男に、哀れな気持ちを抱き始めていた。騎士の家名に先祖の亡霊を宿し、なんて息苦しく生きているのだろう。

「謝ってほしいわけじゃないさ。ただ……」

 ロベルトが携えている帳面の間から、きらめくものを引き出した。薄く細長い形状のそれが、十分な長さの刃物であると気付いた瞬間、私は意地を張って逃げ出さなかったことを大いに悔やんだ。

「……!」

 ゆっくりと、真っ直ぐ向かってくるそれを視界に拒むように目を閉じ、肩をすくめる。

 ロベルトが短く笑う気配、それから胸元で握られていた両手を無理矢理に開こうと筋張った指が絡む。

「な、何を……っ」

 力ずくで開かされた手に、短剣の柄が押し付けられる。握れ、と強要する指が私に剣を手放すことを許さず、自然、切っ先はロベルトの方を向いた。

 研ぎ澄まされた金属が皮膚を裂き、肉を割り開き、骨の間隙かんげきを縫い、内臓へ突き刺さる。全ての感触を味わうかもしれないという恐怖に、指が引き攣るように震えた。

 まさか、私の手で死ぬことでエルメンラインの誇りを全うしようなどと、妙な考えを抱いたわけではあるまい。そんな愚かなこと、考えないでほしい。願いを込めて見つめると、ロベルトは短く笑い、掴んだままの私の手を大きく右に、それからロベルトの頭頂を掠めて左に動かした。剣身けんしんが右肩に軽く触れ、次いで左の肩に。

 そうしてロベルトは、大いなる満足を込めて「よし」と一言。

「うん、今はこれでいい。じゃあな、我が女王陛下」

 短剣を取り返すと、まるでもう用は無いという風に背を向ける。最後の意地で、ロベルトの姿が完全に見えなくなってからつめていた息を一気に吐き出した。

「あ……叙勲式アコレード……?」

 両の肩を剣身で撫でるように打つ動作だけをみれば、叙勲式の真似事というには十分だった。もっとも、本来のそれは使えるべき主人の前に跪き行われるものなのだが。

「最初から終わりまで……なんて人でしょう」

 無理矢理呼び止めて、勝手に騎士を気取って。

「……でも、そう、なるほど。こうなるわけね……」

“美瑠”の思考が思いがけず声になる。

 本来『物語』は副題の通りベルタの物語だが、その主軸はセルジオ、カメリアを巻き込んで作る三角関係にある。しかし、先のお茶会でベルタと『物語』の中で生じるべき揉め事は起こさなかった。つまり、私は“カメリア”が座るべき三角関係の一角に収まることを拒否したのだ。三角関係の中でやがて愛を憎悪に変え、ベルタへの復讐とセルジオへの反逆のために動き出すことになるのだが、三角形が崩れたことで愛憎の連鎖をも絶たれたと思っていた。

 だがどうやら、各々の事情や心情でカメリアの肩を持ち、結果としてベルタと対立する立場になる者が、三角形の外側から現れてくるらしい。その一人がさっきのロベルトだったというわけだ。

「だからって、あれはないわよね……」

 力を込め押さえつけられていた指に、剣の柄を覆う動物の皮と、骨ばった男の肌の感触が残っている。左右それぞれ五本の指を握って開いてみる。一本一本が間違いなく自分の意志で動かせることを確認し、消えゆく痺れの余韻を見つめた。

“カメリア”に騎士の誓いを立てたロベルトは、どういう気持ちでセルジオの友人でいるのだろう。この世界で過ごした十七年の記憶と、“美瑠”の記憶を総動員しても、彼の人となりに深く踏み込んで知っているものは何もなかった。だが、彼の名は“美瑠”の頭のどこかに引っかかるものがあった。『小説』の後半、物語も結末に向かおうとするどこかのシーンで、エルメンラインの名を読んだ気がするのだ。けれど、どういう経緯で彼の名が書かれていたのか、思い出すことができなかった。それだけ印象が薄かったか、あるいは『ベルタの物語』としてはそれほど重要な場面ではなかったのかもしれない。もやもやとした不安や想像を振り払うように首を振る。

 例え強引に迫られても、一方的に誓いを立てられても、私がやることはただ一つ。ベルタと問題を起こさず、対立せず、自分の命を守ること。そのために必要な手段を、『物語』の流れを自分に引き寄せることだ。

 これから度々、理由なんか付けずにベルタと会えればいいのに。

 先日のお茶会の感想を聞いたりなんかしちゃって、あわよくばソフィーと一緒に薬草園でちょっとした語らいの時間を作り、可能な限り親交を深めたい。最終的に、彼女から「セルジオが好きだったことがある」という言葉の一つも引き出せるようになれば完璧だ。そうしたら私は「血脈のことはあれど所詮親同士の決めた結婚なのだから、二人の気持ちが一緒ならばベルタとセルジオが結ばれることこそが本来あるべきものだろう」という具合に背中を押して、立ち回ってやればいい。

 時間はかかるだろう。けれど、自分がセルジオの子を授かるよりは、まだ選択肢として選ぶ価値があるように思えた。

 ベルタとセルジオのこと、ロベルトのこと、頭の中でいくつもの結び付きそうな物事をくっつけては離しながら、教室を目指して大理石風の磨かれた廊下を進む。ヒールの音を鳴らさないよう、滑るような一歩一歩の合間に、すれ違う生徒たちへの「ご機嫌よう」を挟む。慣れたものである。

「ご機嫌よう、カルナウフ様」

 だから教室の前でソフィーと鉢合わせた時も、同じように少しだけ膝を曲げて挨拶をしたのだ。

 だが、ソフィーは膝を曲げて返すどころか、ぎゅっと口を結んで、皴の浮いた唇を微かに震わせるばかりだった。

「?」

 ただならぬ様子に、次にどう声を掛けるべきか迷っていると、ソフィーは眉間に力をいっぱい込めた鋭い目つきで私を頭から足までゆっくり眺めてから「午後、帰る前に薬草園まで来てくれ、絶対」と言った。

 私は一も二もなく頷くことしかできなかった。


 * * *


【件名】

【本文】残りのチェックちょっと待ってて

    ていうか読んでて気になったことがあるんだけど 今度色々言うから

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