もう引き返せない
朝食を食べ、歯を磨いてうがいをし、顔を洗って自室に入る。お母さんはいつもの、表情筋の動かなくなったような、それでも安心しきった顔をしている。これを見るのも、もうすぐ最後だ。
電気のついていない自室の中で、僕は等身大の鏡を見ながら、パジャマを脱いでボクサーパンツだけの自分の体毛のない裸の体を見つめる。肉がついているわけでも、太っているわけでもない、平均的な身長の体。ひんやりした冷気を感じながら、左腕に、僕は手を当てる。この体の左腕に、僕は何回も傷をつけてきたのだ。
でももう、今日で、そんな日々から解放される。
僕は白い息を吐きながら、クローゼットから冬服を取り出す。定期テストが終わり、今はもう、十二月の初めに差し掛かっている。
黒いヒートテックの上に、胸に黒いラインが入ったベージュの服を着る。緑色のズボンを履き、しっかりとボタンを留め、チャックを閉じる。ポケットにもチャックがついている茶色い上着を羽織り、黒い靴下を履いて、僕は鏡の中の自分を睨む。今日なら、僕は亜黒に告白できる。間違った自分を、正すことができる。
亜黒に告白して、あの時のような言葉を浴びせられるのは、もうわかっている。だけど、僕は拒絶されても、亜黒が好きなんだ。この魔法で自分は変わっても、亜黒への想いは変わらない。
頭の中では、亜黒の弾く、優しいのにどこまでも深くて、それでもその深みを探るのを拒まれてしまうような、あの音色がゆっくりと止まることなく流れている。
「友達と遊ぶ約束あるから、行ってくる。昼ごはん、一緒に食べていくね」
財布の入ったショルダーバッグを肩にかけ、靴を履きながら、玄関で後ろにいるお母さんにそう言う。
「うん、いってらっしゃい」
後ろからのお母さんの声を聴きながら、僕はドアを開け、十二月の外気に触れる。
外に出て、ドアが閉まると、ガチャンと内側から鍵を掛けられる音がした。もう引き返せないぞと言わんばかりに。
覚悟なんて、とうに決めている。
僕は階段を降り、マンションのロビーへと向かった。自動ドア越しに、外で待っている亮二が目に入る。
僕は亮二の方へと進み、自動ドアが開かれる。
お、主役登場だ、と言わんばかりに、ぱっとした明るい顔で、亮二は僕の方を向く。
「ごめん、待ったよね?」
そう言うと、僕が受けてきた傷など何も知らない亮二はぷぷっと笑い、言った。
「そういうセリフはあっくんが彼氏になってから言ってやれよ!」
その言葉は、まーくんならきっと大丈夫だ。というような意味のものなんだろう。悪意なんて全く無い。
「そうだね!」
僕は、自分の言った言葉が本当に面白く感じて、明るい声で返した。
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