第4話 白、ホワイト、プテ(マレー語)

 沖縄は豚肉料理が多いから気を付けて。スーパーでは材料のラベルを確認してね、ラードとか豚エキスなんてのもあるんだよ。

 「ぶた、ブタ、豚」「酒、酒類、アルコール」

 イスラム教徒に禁忌の文字は真っ先に覚えた。


 教えてくれたのは、アイニの先輩で沖縄留学からマレーシアに帰国したばかりのアイシャだった。

 「きっと寮のおばさんも近所の人たちも、あらまたアイちゃんね、覚えやすいさーって言うよ」。

 アイシャの言う通り、入れ替わりでやってきたのがアイニだったから、すぐ親しげにアイちゃんと呼ばれた。

 日本語が上手で冗談も言える先輩と違って、同じアイちゃんでもおとなしい自分はなじめるだろうか。

 考えても仕方ない、新しい世界を見てみると決めたのだ。


 沖縄に着いて5日目に、アイシャが紹介してくれた玉城さんという女性がたずねてきた。30代の玉城さんは、昔マレーシアに留学していたそうだ。

 「わー、あなたが新しいアイちゃんねぇ?アパ カバ~?ふふ、マレー語はずいぶん忘れちゃったさ。こんなして沖縄にわざわざ、若い人が来るのが嬉しいわけ」。

 先輩から聞いていた通り、沖縄の人が話す日本語は独特な気がする。早口ではないし、なんとなく耳障りのいいリズムだ。

 「アイちゃん、週末、動物園に行ってみないねー?」

 アイニは幼い頃、獣医になりたかったくらい動物好きで、沖縄こどもの国は絶対に行くと決めていたから飛びあがりたいほど嬉しかった。でも、ありがとうございます以外に言葉は出てこなかった。

 

 動物園に行く前日、ヒジャブ用のスカーフにサファリテイストの一枚を選んだ。サテン生地は薄いクリームイエロー、細い茶色の線でキリンや象などが描かれている。

 いかにも動物園ぽくて恥ずかしいかな、と迷ったがプレゼントしてくれた親友の顔を思い出し決めた。


 「それ動物のスカーフね?かわいいさー、ぴったりよぉ!」

 会うやいなや、玉城さんはくりっとした目を見開いてほめてくれた。

 「マラッカにも動物園あるよね。こどもの国は小さいけど、いい散歩になるよ。散歩、ジャランジャランね」。

 コイにエサをやったり、ハムスターを触ったり、アイニが珍しがったので、自販機のアイスを買ってもらったり。

 「象はガジャ、キリンはジラフ、ワニはブアヤだよね。へびは何だっけな、ちょっと待って。えーと、ウラール!」

 マレー語を思い出す玉城さんは楽しそうだ。

 電話きたさ、アイちゃん見といてね追いかけるよと言われひとりになった。

 

 ゆるやかな坂がスロープになっている。ライオンエリアだ。

 急にどきどきしてきた。ひとりになったから?日本語で話しかけられたらと心配なのだろうか。ライオンだから?いやいや21歳の私はいまさら怖がりはしない。

 

 のそり、と寝そべった大きな後ろ姿が見えた。

 「ホワイト、ライオン。White Lion?」

 カタカナのラベルを読んでから、ハッとして目を凝らした。初めて見る白いライオンは、思ったよりは白くない。

 白、と言うとアイニの脳裏にはお祈りの時に着替えるローブが浮かぶ。

 12歳のあの日。お祈りが終わって立ち上がったアイニの白いローブはお尻に赤色のシミが広がっていた。

 「カカ!アパ トゥ?」(姉ちゃん、なにそれ?)

 後ろにいた妹のソフィアが指差し、母がすさまじい速さでアイニの腰にタオルを巻き付けた。すごく気まずかった。最悪のタイミングで迎えた初潮だった。

 あぁいやだ、せっかく沖縄まで来て初めてのホワイトライオンを見るのになんでしょうもないことを思い出すんだろう。


 ライオンは立ち上がっていた。空を見上げて鼻先を動かしている。伸びをする。

 「ほんとにBig Cat!ネコ、ね」と思わずつぶやき笑ってしまう。

 大きくても小さくても猫は猫。

 半泣きでローブを手洗いした自分は、ライオンほどには大きくないがひとりで外国に来られるくらいには大人になった。まだ、たったの1週間だけど。

 手を振ってこちらに来る玉城さんが見えた。

 〈今日は、とても楽しかったです。私は動物が大好きです。初めて、ホワイトライオンを見ました〉

 玉城さんに言いたいことを心で練習した。

 「アイちゃん、写真撮ってあげよう、はい。ちょうどライオンこっち見て上等さー!」

 なぜか実物より白く映ってくれたライオンと、意外にかわいく笑えた自分のツーショットは宝物になりそうな気がしている。

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