第3話 やぎと与那国馬
ぼくは、もしゃもしゃと草を食べたら屋根に登るのが好きです。
時々は食べ過ぎて、よいしょっと上げた脚がお腹につっかえる気がするけれど、屋根に登ればそこはぐたーっと横になれる最高の場所なのです。
ものすごく暑い日は、このまま焼けて食べられるんじゃないかとヒヤヒヤするから登らないようにしています。
だって
「うちなーソウルフードだって!」
とか
「久しぶりにひーじゃー食べたいな」とかぼくを見て舌なめずりをする人間たちがいるんだもの。
最初は意味がわからなかったけど、おいしそう、と言われればそりゃわかります。
食べること、屋根で寝ること以外にも最近好きなことができました。
ちゃんと言うと、好きな子ができました。
あの子は飼育員さんに散歩させてもらえるから、たまにはぼくんちの前を通ります。
真っ黒な目にまつげがたくさん生えていて、あの子が目をぱちぱちするとぼくの「横に長い黒目が丸くなる魔法」をかけられているような気がしました。
もしかして、と水飲み場をのぞいてもやっぱりぼくの目は細長いままでしたけど。
ゆったり歩く後ろ姿もかわいくて、太陽があたると背中がきらきらしていました。
茶色になった葉っぱより、もっと茶色の体に真っ黒なしっぽが揺れています。
なんていう名前なのかなと思っていたら、ぼくと同じようにあの子が通り過ぎるのを見ていたおじいさんが
「与那国馬さん、よんなーよんなー、歩くねー」
と言いました。
「よんなー」なんてかわいらしい名前、あの子にぴったりだ!
とぼくは思いました。
名前を知らせてくれたおじいさんに感謝しました。
「よんなー」は男の子なのか女の子なのかは知りません。
あんな風にしっぽを揺らしながら歩く姿が本当にかっこいいと思うし、水たまりをうつしているような目がすてきだから、どちらでも良いと思いました。
とにかく、ただ草を食べて水を飲んで屋根に登るだけではない、楽しいことが
「よんなーを見る」ことになりました。
ぼくがあんな風に大きくなったら、まだ屋根に登れるかしら。
草をもっと食べられるのかな。
他のもっと大きな馬たちは、目が合うとフフンと鼻を鳴らすからちょっとコワイけど、「よんなー」はそんなことしない。
だから、ぼくもたまにイラついて前脚で土をけとばしたくなるけど(兄さんやぎに屋根を取られたとかそんなことで)、あの子みたいに穏やかでいるのもいいなと思うのです。
人間はどう思っているか知らないけど、意外とぼくたちは馬や犬や鳥とか「自分と同じでない生き物」とも少しなら話ができます。
少しなら、というのは例えば屋根で寝ていると小鳥が話しかけてくることがあります。
鳥たちは、今朝は雨上がりだからおいしい虫が見つけやすいとか、他の鳥とさくらんぼを取り合いしたとか食べ物の話ばかりします。
あまり興味がないので「ふんふん」と半分だけ聞いていると、あとは鳥らしく「ぴぴぴぴぴ」とか言うもんだから意味はさっぱり。
たぶん、興奮するとこちらに通じない言葉に切り替わってしまうのだと思います。
ま、聞いても面白くない話なので困ることはありません。
他の動物たちとの会話もそんな感じで、通じる部分とそうでない部分があるようです。「よんなー」とは、話が通じるのかしら。
ある夜のことです。
ぼくらやぎは夜はゆったりしているので、うとうとしながら半分夢を見ていました。
あんまり月が明るいから、目を覚ました時に水を飲みました。
すると、小さく光るものがゆらりと上から降りてきました。
最初は、月がこぼれてきたのかと思いました。
だって、雲から雨が落ちてくるんだもの、こんなに月が大きければ少しくらいはこぼれてくるものだと思いました。
でも雨ならまっすぐ下に落ちるのに、光ったものはゆらゆら上に行ったり下に行ったり。
どうやら月ではなさそう、あ、もしかして電灯に集まる虫かなと思った時、
「ホタルだよ」
と隣にいた兄さんやぎが言いました。
「なんでここまで来たんだろうな」。
おお、これがホタルか!とぼくは精一杯、目を開きました。
前に兄さんが、ホタルを何匹も見た話を得意げにしていたのを思い出しました。
「ほら、言った通りに光っているだろう」
と兄さんはさっきまでぐーすか寝ていたのに、立ち上がらんばかりに前脚を半分まげて、乗り出しています。
そうか。ぼくにとっての「よんなー」みたいに、兄さんはホタルが好きなんだな。
ホタルは一匹しかいなくて、すーっと動く後ろを細長い光が追いかけているように見えました。
ホタルはちょこんと柵の端に留まると、
「ひみつだよ」
と透き通る声で言いました。
「私がこのあたりにいることはひみつだよ。捕まえられたくないからね」。
すると兄さんは信じられない速さで
「もちろん」
と答えました。
「だれにも言わない、約束するよ」
と言った兄さんのツノが嬉しくてふるふると揺れていました。
ホタルは鈴が鳴っているような返事をして、またふわりと飛びました。
「それからね」
とホタルはぼくの鼻先まで飛んできて、
「よんなーっていうのは、ゆっくりって意味。あの子の名前じゃないよ。今度、自分で聞いてごらん」
と言うと、すーっと飛んでいきました。
月の方へ飛んで行ったので、ぼくも兄さんもまぶしくて目をもっと細めてしまって、ホタルがどっちへ消えたのかは見えませんでした。
ホウホウ、と遠くで鳥が鳴く声がしました。
ぼくも兄さんも、ホタルがいなくなってからしばらくぼーっとしてただ、だまっていました。
たぶん、兄さんはホタルと話せて胸がいっぱいで、あの鈴みたいな声を何度も思い出しているのでしょう。
ぼくはと言えば、よんなーが名前じゃないこともびっくりしたけれど、
「自分で聞いてごらん」
という言葉にどきどきが止まらなくなりました。
そういえば、屋根にいる時は坂を上がってくるあの子が近くなるのです。
昨日なんて、一番ぼくから近いところで立ち止まりさえしたのです。
話しかけてみようかな。答えてくれるかしら。
「お、おなまえは?」
てぼくがひっくり返った声でたずねたら、笑われないかな。
「いい夜だな」
と兄さんが言いました。
「うん」
とぼくも言いました。
いつの間にか、月には半分くらい雲がかかっていて、ぼくのまぶたも雲みたいに降りてきてすうっと眠ってしまいました。
いつもなら「びくっ」としてしまうコウモリの羽音も、気にならないほどぐっすりと。
朝がやってきて、またいつものように人間たちがぼくらの前を歩いていきます。
ぼくはあの子にどう話しかけようか考えながら朝ごはんを食べて、よいしょと屋根に登りました。
すると目の前にあの子の顔がまっすぐ、こちらを向いていたのです。
「よんなー」と口から出てしまいました。
あ、しまった。違う、名前はよんなーじゃないってせっかくホタルが教えてくれたのに、ぼくのばか!
するとあの子は、丸い目をころりとぼくに向けて
「うん、よんなーよんなー食べるさーね。ふふふ」
と笑ったのです。
ぼくもふふふと笑いました。
「ほらほら、ここの草じゃなくてあっちへ行こう」
と飼育員さんが言うので
「またね」
とあの子が言いました。
「うん、またね」。
名前は聞きそびれたけど、嬉しくて身もだえして、屋根から転げ落ちそうになりました。
下で兄さんがあきれています。
もし今度、ホタルが来たらお礼を言おう。
月がホタル色になったら、また来てくれるような気がしています。
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