第68話 夕霧物語

 暗い林道をクロエちゃんも冬凪も押し黙ったまま歩いてゆく。あたしも声を出したらいけないような気になってしまって一言もしゃべらないでいた。でも、気になるのは森の暗闇の中で時折する音、あたしの歩く速度に合わせるように下草を掻き分け踏み分けて何者かが移動する音だった。

「冬凪聞こえる?」(小声)

 すぐ前を歩く冬凪に声を掛けてみた。

「聞こえてるよ。あれはヒダル」

 ヒダルとはダラダラ坂でいたずらをする妖怪だとミユキ母さんが言っていた。でも今聞こえている音にはそんな空想の話とは違う実在感があった。

「大丈夫なの? 襲われたりしない?」

「こっちが死にそうにならなきゃ何にもできないから大丈夫」

 やっぱり危険な存在なんだ。あたしは左右の暗闇に目を凝らしてヒダルを目視しようと思った。たしかに木々の合間に何かが蠢いているのは分かったけれど、その実体が人なのか獣なのかまでは分からなかった。

「さ、着いたよ」

 先頭のクロエちゃんが林道の向こうが明るく見える場所に立ち止まった。冬凪とあたしもその横に立って開けた景色を見下ろした。そこは爆心地より急な斜面で囲まれたすり鉢状の土地で縁は梢が高い杉の木に囲まれ、底には鳥居と参道と社殿があった。

「四ツ辻神社の奥宮。鬼子神社だよ」

 始めて来たはずだけれど、なんだか懐かしい感じがした。

 クロエちゃんは斜面に沿った石段を下りて行った。冬凪とあたしもそれについて鬼子神社に向かったのだった。ヒダルがついて来るかと思って振り向くと、あたしたちが立っていた林道の切れ目のところに沢山の何かがうずくまっているのが見えたけれど、それ以上降りてくる様子はなかった。

「ヒダル、ついてこないね」

「ここは強い結界が張ってあるから」

 冬凪が教えてくれた。するとクロエちゃんも、

「ヴァンパイアもここには入れない。あたしたち鬼子の安地なんだよね」

 と言った。

 鳥居は三本足だった。宮木野神社や志野婦神社のは三本と言っても真ん中が途中で切れている簡略版だけれど、ここのは参道方向の地面に斜めに付いていた。社殿は正面に階があり屋形のような建物で奥に長さがあった。誰も参拝に来ないなのか、さい銭箱や鈴がなかった。階を上り襖を開けて中に入る。中は真っ暗だったのでクロエちゃんがリング端末で照らしながら、

「ちょっと待ってて、明かり探してくる」

 と奥に入って行った。しばらくして、

「あったけど、こんなの不気味すぎ」

 と手にしていたのは赤い和蠟燭と取っ手の付いた蝋燭立てだった。

「怪談とかに使うやつ」

「そうそう」

 でも、どうやって火を点けるんだろうと思っていたら、

「たしかこの辺に」

 とクロエちゃんが鴨居の中を手探りし始めた。

「あった。点くかな」

 と手に持ったのは上の部分が銀色で薄青色で透明のライターだった。そのライターを何度か擦ってようやく火が点くと、その火で和蝋燭を灯した。みんなの影が揺らぎながら社殿の壁に映っている。クロエちゃんが蝋燭立てを床に置いた。社殿の中には何もなく、板敷の床は土埃が浮き、いつのか分からない足跡がたくさんついていた。一番奥の、普通なら鏡とかがある高くなった場所には何も置かれていなかった。神様不在の神社。そんな感じがした。

「さて。ここに夏波を連れて来たのは」

 とクロエちゃんが壁の上のほうを指した。そこにはいかにも昔のものといった絵が何枚か掲げてあった。漆塗り風の黒い額に縁どられ、素朴な彩色の絵は所々絵の具がはがれてキャンバスの板目がむき出しになっていた。それがあたしにおそろしいことが描いてあるという印象を与えた。

「額絵って言ってね、この神社の縁起、どうやって建てられたかってことね、が描いてある」

 冬凪が説明してくれた。

「夕霧太夫と伊左衛門の物語だよ」

 それからクロエちゃんはその一枚一枚の絵を示しながら、鬼子の祖と言われる夕霧太夫とその従者、伊左衛門の死と再生の物語を語って聞かせてくれた。

 一番右の絵には吹抜屋台の寝殿に人々が配されていて、ただそれが物語絵巻とかで見る宮中ではないのは、中央に描かれた女性がどう見ても遊女で、そのまわりに集まっているのが酔客、禿たち、それと彫が深く肌が浅黒い3人の異国の人だったから。その三人のうちの一人は軒を超えるほどの大男だった。そしてその横にいるのは髭面の戦国武将のような男。そして細身の若い男。この三人にどこか見覚えがあると思ったのは、豆蔵くんと定吉くん、それにさっきあたしたちをポルシェにのせてくれたブクロ親方にそっくりだったからだ。

「最初の額絵は夕霧太夫がいた阿波の鳴門屋の場面だよ」

 クロエちゃんが説明してくれた。夕霧太夫は阿波の鳴門屋という街道一の楼閣でとても人気があった遊女だったそうだ。そして一番近くにいるかわいらしい禿さんが伊左衛門で、この二人のつながりが鬼子の最初のエニシだと言った。

「次のは鳴門屋が炎上した時の場面」

 隣の額絵は阿波の鳴門屋が炎に包まれ、夕霧太夫が火中でもだえ苦しんでる様が描かれてある。すでに体は赤く焼けただれ、まるで火炎地獄で責めさいなまれる亡者のよう。

「次のは伊左衛門が、焼亡したあとの瓦礫の山の中から夕霧太夫を引き出す場面」

 焼け落ちた瓦礫の山から黒々とした異形の者が引き出される様子が描かれてあった。夕霧太夫は真っ黒な消し炭のような状態になっても生きていたのだそうだ。

「その横の絵が三人のアラビア人と伊左衛門が鬼子神社で再会する場面」

 ここに再び豆蔵くんと定吉くんとブクロ親方が登場する。そして旅姿の遊行上人(この人だけ説明付)が山の彼方を指ししめていた。

「遊行上人が夕霧太夫を青墓にあるブルーポンドに連れて行けと言ってる」

 ブルーポンド? ここだけなんでカタカナ?

「それでその次の絵が、黒焦げの夕霧太夫を幟旗のぼりばたの付いた土車に乗せて、伊左衛門と三人のアラビア人たちが街道を運んでゆく場面」

 道中の様子が描かれている中、暗い山道の箇所で夥しい数の怪物に一行が襲われていた。赤い襦袢や青い半纏を着たその怪物は、皺の多い灰色の顔をして長い牙と黄色い目、そして両手の先が大きな鎌爪になっている。

「これはひだるさまって言う怪物だけどヒダルとは別次元の強敵。あのユウでさえ手を焼いてた。あたしたちは地獄の獄卒って言ってた」

 婉曲した刀、シャムシールを振り回して先頭で交戦しているのは大男の豆蔵くんや定吉くんとブクロ親方だ。けれども相当苦戦しているのが分かった。伊左衛門などは片足を切り落とされてしまっている。

「その次は、青墓の杜の近くの六地蔵の前でアラビア人たちと伊左衛門が握り飯を分けあっている場面」

 この先に危険が迫っていることを知っている伊左衛門はここで豆蔵くんたちに別れを告げるけれど、豆蔵くんたちはそれを聴き入れず最後まで夕霧太夫に付き従うと言っているのだそう。

「その次の場面は、青墓の杜でこれまでにない数のひだるさまに襲われた一行の激戦の雄姿が描かれているはずなんだけれど、絵がずいぶん痛んでいてよく分からない。ただ、アラビア人たちはみんなここで斃れてしまうのは次の場面に描かれていないことから分かる」

 そしてクロエちゃんは一番左の額絵を指して、

「これが物語の最後で夕霧太夫が伊左衛門と共に入水する場面」

 ブルーポンドに着いて二人はここで死を迎えたのだった。

 ―――あたしは水の中にいた。

水に呑まれたあたしは美しく蘇った夕霧太夫と水の中で目があった。

「またすぐ会える」

 夕霧太夫の口がそう言っていた。あたしは少しも怖くなかった。夕霧太夫の言葉があたしにこれ以上ない安堵を与えてくれたから。

 きっと会える。

 夕霧太夫とあたしとは次の世でも必ず会えると思った。

「夏波。大丈夫?」

 気づくとクロエちゃんの腕の中にいた。気を失っていたらしい。

「あたし、この話のこと知ってた」

 誰に聞いたのでもないけど、記憶のどこかにしまってあったのを思い出した。

「鬼子はこの物語の記憶を持って生まれて来るからね」

 クロエちゃんはあたしの前髪を優しくかき撫でながら言ったのだった。



※2024/04/21 エピソードタイトルを「鬼子神社」から「夕霧物語」に変更しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る