第67話 コミヤミユウ
「ピーナッツが出てきたときあったよ」
フリッツ・ハッセンのラウンドテーブルの足はそれぞれ4本の金属の細い棒が合わさってできている。それらが一緒になる下の方はポケット状になっていて、ちょうど赤ちゃんが座った目の高さだ。この家に来たばかりの幼い冬凪とあたしは競うようにそこに色んなものを詰め込んでいたとクロエちゃんが懐かしそうに話してくれた。冬凪とあたしが何を突っ込もうと、決して叱ったりしないで、次は何を隠すか、変なものとか面白いものを見つけたらミユキ母さんとクロエちゃんは報告しあって楽しんでたんだそうだ。あたしも何を入れたかまでは忘れてしまっていたけれどその時の二人の笑顔は何となく覚えていた。あー、手乗りカレー★パンマン挟んでたな、そう言えば。
冬凪もあたしも本当の子供ではないのにクロエちゃんとミユキ母さんの愛情を目一杯受けて育ったんだ。それが鬼子のエニシだとしても幸せなことに変わりはないと思った。
鬼子のエニシ。さっきクロエちゃんがぽろっと言った、「ミヤミユがそうだったから夏波も鬼子使い」っていうのがそのエニシに関わることのような気がした。
「あたしとコミヤミユウの関係って?」
鞠野フスキが勝手に付けた偽名というだけではない関係。それをクロエちゃんは知っている。するとクロエちゃんはソファーから立ち上がって窓際まで歩いて行き、
「玄関脇の奥に山椒の木が何本か植えてあるでしょ」
窓にへばりついて見えもしない山椒の木を確認しようとした。玄関の脇の裏庭に通じるスペースにあたしの身長より高い山椒の木が並んでいる。暗がりであれが目に入ったらドキッとするし、夏になるとアゲハの幼虫がわんさかついてキモいから、あたしはなるべくその存在を忘れて生きている。だから、そういえばあったなと思ったくらいの山椒の木だ。それが何だと言うのだろう? 冬凪が何か知ってるかもと顔を見たけれど首を横に振っただけだった。
「あれ、コミヤミユウがこの世にいた証なんだよ」
鬼子は死ぬと人から忘れ去られてしまう。それは普通の人の記憶から消えるばかりではなく、この世にその人がいた記録までが抹消されてしまう。そうなると、その人が関わったものを残すことくらいでしか証がたてられないんだよと言った。
「鞠野フスキはコミヤミユウにも忘れてない家族がいるって言ってた」
「おー、懐かしい名前。夏波、先生に会ったことあるんだ」
ミユキ母さんとクロエちゃんは大学の鞠野ゼミで一緒だった。だからクロエちゃんは鞠野フスキのことを先生と呼ぶ。
「おかしいな。先生が辻女辞めたの夏波と冬凪が入学するずっと前のはずだけど」
とすこし考えた風だったけど、そこはクロエちゃん、
「ま、いっか」
話しを続ける。
「何だっけ?」
「コミヤミユウには生きていたことを忘れない、つまり普通じゃない家族がいるって」
冬凪がフォローする。
「そうそう。それあたしたちのこと」
は? サラッと言ったけど。
「フジミユと双子の姉妹」
「随分前に亡くなったお姉さんって?」
庭でマリーゴールドが風に撫でられて気分良さそうに揺れていた。
「あ、それはマリって子だけどあたしはよく知らない。ミヤミユは小さい時にフジミユと生き別れてユウと一緒に育ったから苗字もコミヤ」
そんな人がいたならなんであたしに教えてくれなかったんだろう。そう思ったのが顔に出てたんだと思う。クロエちゃんが、
「ごめんね。夏波にこのこと話すには、鬼子って教えなきゃだったから」
と申し訳なさそうに言ってくれた。
「で、ここからが本題なんだけど」
とクロエちゃんは改まった様子で言ってから
「鬼子が忘れられるのって前に生きた人生の影響を受けないためって言われてるんだよね」
前に生きた人生? それじゃあ、次の人生があるみたい。人生は一回切り。だから面白いって配信ドラマか何かで言ってなかったっけ?
「前世ってこと?」
「まあ、簡単に言うと、そう。鬼子って何度も生き直すっぽい。知らんけど」(死語構文)
真剣な話の時は使っちゃいけないんだよ。死語構文まじむずい。クロエちゃんはそんなことお構いなしに話を続ける。
「で、夏波の前世はコミヤミユウなんだよね」
って言われてもピンとこない。だって知らない人だもの。単刀直入すぎて感情も置いてきぼりだし。
「あんまり感動ないみたい」
しばらくあたしの表情を見ていたけれど急にソファーに座ってジタバタし出した。
「ほら言ったじゃん。そんなこと夏波の人生に何の関係もないって」
きっとミユキ母さんに言いたいんだと思うけども。
しばらく落ち込んだ風だったクロエちゃんは、時計を見ると、
「時間だ。出かけるよ」
と言って立ち上がった。夕方の5時を回ったところだった。
「どこ行くの?」
「辻沢の西山」
N市から電車とバス乗り継いで行くとなったら2時間以上かかる。着くのは夜になってしまうだろう。
「今から? 明日じゃダメ?」
「フジミユに早めに連れて行けって言われてるから」
クロエちゃんの決断力と行動力にはいつもびっくりする。ちょっと行ってくると言って出かけ、電話してきたと思ったら「今、なんでかパリにいるんだけど」って言ったりする。でもそれがクロエちゃんの今の成功を支えているとミユキ母さんが言っていた。
〈♪ゴリゴリーン〉
「お迎え来た。はーい。ちょっと待っててすぐ支度するから」
冬凪とあたしは急いで着替えて玄関を出た。するとそこに血のように真っ赤なポルシェが止まっていた。そしてその運転席からこちらを見ているのは、
「ブクロ親方」
いつもは作業着姿なのに今はスーツに蝶ネクタイとおめかしして、しかもそれがとっても似合っていた。それを見て冬凪がびっくりするかと思ったけれど当たり前のように、
「こんばんは」
と言ったので、豆蔵くんと定吉くんの件といい、あたしの知らないエニシが方々に張り巡らされてると改めて思った。
クロエちゃんが助手席に、冬凪とあたしが後部座席に座った。ボボボボボと重低音のエンジンが掛かって出発。ポルシェの後部座席は狭かったけれど、鞠野フスキのバモスくんよりはなんぼか快適だった。なにより風が吹きすさんで寒いとかない。涼しいのはクーラーが効いているからだ。
バイパスを走るポルシェの車窓から見えるのは、田んぼと畑と田んぼと畑と田んぼと畑と田んぼ。たまに竹林。飛ぶように風景が流れてゆく。これが全速力というものだよ。鞠野フスキくん。
バイパスを降りてそのまま西山地区へ向う。山並みが近づきワインディングロードを軽快に走る。山が深くなり、沿道の木々が高くなってきた。もうすぐ峠を越えるというところまで来た時、ブクロ親方はポルシェを道脇にある駐車スペースに停めた。クロエちゃんと冬凪とあたしは、そこで降りた。ブクロ親方は、
「着きました。ここからは歩いて行ってください。明日の夕方、四ツ辻に迎えに上がります」
砂利の音をさせてポルシェをUターンさせると、峠の方には行かずにワインディングロードを下っていった。もう山は暗くなりかけていた。まるで置いてきぼりを食らったような気分だ。
「クロエちゃん。何処へ行くつもり?」
クロエちゃんは一人で暗闇が迫った森の中に入っていく。冬凪もその後をついて行くので、あたしはしかたなくそれに続くしかなかった。
森の中は真っ暗だった。
「冬凪」
前を歩く人が実は異形の者だったという怪談を思い出して呼んでみた。冬凪だけでなくクロエちゃんも振り返ったのだけれど、二人ともその瞳は金色をしていたのだった。
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