第65話 命を賭けた誓い
鞠野フスキがバモスくんで去った後、白漆喰の土蔵の扉の前に立つと背筋がゾクッと寒くなった。後ろの冬凪があたしの肩に手を置いて、
「夏波。あそこ」
振り向くと爆心地の中心あたりに白い浴衣姿の黒髪の女性が立っていた。気づくとあたりが別世界にズレ込み見始めていた。どんどん音が遠のき色が褪せて来ていた。
「どうする?」
黒髪の女性は、そこにじっとしてこちらには来る様子はない。またトラギクや蓑笠連中が現れたら今度はどうなるか分からない。でもあの人がミワさんだとしたら放っておく訳にはいかなかった。
「行こう」
あたしは近くに落ちている折れたシャベルの匙のほうを拾った。いざという時これで腕を切って瀉血するためだ。冬凪とあたしはあたりを警戒しながら爆心地の斜面を降りて、黒髪の女性のいる所まで来た。最初、黒髪の女性はずっと爆風で白漆喰が崩れかけた土蔵をじっと見つめていたけれど、そちらから冬凪とあたしが近づいてきたことに気づいていない様子だった。目の前に立ってようやく、
「どうすればまゆまゆに会えますか?」
と呟いた。それに、
「あの土蔵に行けば会えます」
と白漆喰の土蔵を指して言ったけれど、再び、
「どうすればまゆまゆに会えますか?」
と呟いてくる。冬凪とあたしは顔を見合わせてどう答えればいいか考えた。けれど、あたしには思いつかない。すると冬凪が小声で、
「ミワさんがいる場所とまゆまゆさんがいる場所とではきっと次元が違うんだよ」
ミワさんが違う次元にいるのはこの状況で分かる。けれどまゆまゆさんたちも次元の歪みの中にいて、あたしたちの次元に存在しているか怪しかった。そうなると、あたしたちが母子を会わせるとしたら、いくつもの次元を繋げて会わせてなければならない。
「次元を結ぶってこと? それってどうやるの?」
「今はわからないけど、きっと突き止める」
冬凪がそう言うならきっとできる。だからあたしは黒髪の女性に、
「次元を結びます」
と伝えた。すると黒髪の女性は肯いたのではなく頭を下げて、
「節に願います」
と初めて反応してくれた。そして煙のようにかき消えると、あたりは再び色と音を取り戻したのだった。
冬凪があたしの顔をじっと見つめて言った。
「ほっとけなくなったね」
もちろん分かっていた。黒髪の女性がミワさんであろうとなかろうと、
「なんとかしなくちゃだよ」
もしこの世に命を賭した誓いというのがあるとすれば、これがそうだと思った。
白漆喰の土蔵に入り白まゆまゆさんに会った。
「「無事のご到着、なによりです。母と志野婦のことを聞かせてください」」
あたしたちは、今回起こったことを話した。どちらもあたしたちからすれば人柱にしか見えなかったけれど、トラギクという術士にミワさんは依り代にされ、志野婦は六道殿という貴顕を迎えるために新たな世界の根にされたこと。それを聞いて白まゆまゆさんは、
「わかりました」
とだけ言って、
「今回はどちらが先に?」
と聞いてきた。
「今度は帰してもらえるんでしょうか?」
とあたしが聞くと、
「「私どもではお答えできません」」
と悲しそうな顔をした。それで冬凪とどちらが先に行くか話し合った。冬凪はずいぶん回復したけれど、まだ瀉血できるほどではなさそうだった。あたしのほうは、それで鬼子になったらという不安が残ったけれど、そうなったらなったで、向こうで考えることにして、
「冬凪を先に」
白市松人形の中に入った冬凪は心配そうな顔をしてあたしを見ていた。だから、
「大丈夫。鬼子になっても冬凪のこと食べたりしないから」
「ヒッ!」
という悲鳴を残して中割れ扉は閉まり排気音がした。そしてあたしの番。瀉血用の鉄管を嵌めると、上腕から首筋、こめかみが涼しくなった。鬼子に発現した時の全身を駆け巡る愉悦は感じなかった。結構コントロールされてる? と考えている内に宇宙空間に射出された。そして光りの筋を滑り、暗転して中割れ扉が開いた。扉にかぶりつくように冬凪がいてなぜか涙ぐんでいた。
「お帰り。夏波」
手を取って黒市松人形から引き出してくれた。
「今、なんと?」
「お帰りって」
つまり?
「18年後のあたしたちの時代に戻れたんだよ」
すると黒まゆまゆさんが、
「「無事のご帰還、おめでとうございます」」
ミッションがようやく完了したのだった。一日残ってはずだけど、それはまあ、いいと言うことで。
黒まゆまゆさんに頼んでバッキバッキのスマフォを借りようと思ったけれど、よく考えたらリング端末が生きている今ならスマフォのデータフォルダにアクセスすればいいことだった。この中に六道園の記録があるはずだけど、ファイル形式が違うとかでここでは確認出来なかった。でもリング端末にはダウンロード出来ているので、家に帰ってフォーマット変換ツールを使って確かめようと思う。
「「ありがとうございました。またミッションがあれば呼んで下さい」」
と冬凪と二人で挨拶をすると、
「「こちらこそありがとうございました」」
と頭を下げて挨拶をしてくれた。それは冬凪とあたしとが黒髪の女性に誓ったことに対してお礼を言っているようだった。
外はまだ、日は高くなっていなかったけれど、日中のうだるような暑さを予感させるに充分な夏の太陽が照っていた。竹林を抜けると遺跡調査の白い防護シートの中に爆心地が見えた。それは「さっき」通ったばかりだったけれど、18年前から帰った今は、これまでと全く違って見えた。時代と空間とが織物のように幾重にも重なった場所。それが爆心地なのだった。
バス停に向う竹垣の道を日陰を選びながら歩いた。それだでも背負った登山用のリュックのせいで背中が汗ばんでいるのが分かった。
「まず家に帰ってお風呂入ろう」
「出たら冷蔵庫のアイス食べる」
「クーラーガンガンに利かせてね」
冬凪もあたしも、とにかくこの暑さから逃げ出したかったのだった。
家の前から見たら、リビングの窓が全開になっていた。戸締まりはして出たからミユキ母さんが帰ってきたのだろうと思ったら玄関に入ると見慣れないハイヒールが脱いであった。
「おかえり! 冬凪、夏波。久しぶりだねー。元気だった?」
リビングのドアを開けて出て来るなりまくし立ててきたのは、短髪ストレートを金髪にして、顔はあたしが幼いって思うくらいの童顔でユウさんそっくり。ミユキ母さんのロゴ入りTシャツを着て、下もミユキ母さんのグレイのスエットズボンを履いた女性。ミユキ母さんのパートナーのクロエちゃんだ。
「フジミユから夏波と冬凪が大変だから居てあげてって連絡があって」
フジミユというのはミユキ母さんのこと。クロエちゃんは、学生の頃からずっとミユキ母さんのことをそう呼んでいるらしい。
「急遽、アムステルダムの大事なイベントキャンセルして飛行機に飛び乗ったの」
クロエちゃんにとっては命にも代えがたい推しのEゲーム観戦を中止して帰ってきてくれたのだ。
「お風呂沸いてるよ。あたしが先にいただいちゃったけども。テヘペロ」(死語構文)
クロエちゃんから、ミユキ母さんが使っているシャンプーの香りがした。
冬凪もあたしもクロエちゃんには一言も喋らせてもらえない現象に遭う。だから、
「ただいま。クロエちゃん、おかえり」
とようやく言えたのは、お風呂を上がってお昼ご飯の支度を始めた時だった。
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