第64話 トラギク
冬凪とあたしが参道の階段を登り切ると、志野婦神社の境内は別世界へと絶賛ズレ込み中だった。社殿の階の上に小柄な老人がいて冬凪とあたしのことを見下ろしている。見回せば暗がりの中に沢山の蓑笠連中が蠢いていて、また闘わなければいけないと思うとうんざりした。さっき強制瀉血で発現したばかりで、鬼子のおかわりなんてできるんだろうか? と不安になったけれど、なんだか様子が変だ。蓑笠連中からあのブツブツ声が聞こえてこない。なんだっけ?
「とりがら」じゃない、「ぬけがら」でもない。すると冬凪が、
「ともがらがわざをまもらん、だよ」
「それな」(死語構文)
いつも一緒の生首くんたちも遠慮してるのか蓑の中で黄色い目をギラギラさせてこちらを見ているばかりだ。
「話し合いをしたいのです。お二人と闘うつもりはありませんよ」
笑みを浮かべて言うのも気味悪かったけれど、それより声に親しみを含ませようとしているのが怖かった。あたしのことをジトっとした目で見て、
「夏波殿には始めて会った気がしません」
あたしの名前を知ってた。始めて会ったのに向こうはこっちのことを知り尽くしている恐怖。ストーカーなの? 会ったことがないって言うけれど、あたしとどこかで接点があるような。改めて見直してみる。背はあたしの半分くらいで時代劇に出てくる茶人のような渋めの格好をしている。顔に見覚えはない。おじいさんかおばあさんか分からないけど、ポニーテールにした白髪や顔の皺の多さから、相当なお年寄りなことはわかった。
「あなた誰?」
冬凪が聞いたのにそちらは見ずにあたしのことを見つめたまま、
「六道殿の命により、この地に技をなしに参った者です。名は」
そこで少し間を置いて、
「トラギクと申し上げておきましょうか」
なんで「トラギクです」って言わないの? ハンドルネームってこと? ハンネで粘着する老人ってばキモ過ぎ。
「技って人柱を埋めること?」
冬凪がド直球な質問をする。
「はて、人柱とはなんのことですかな?」
すごいシラの切り方。さらに冬凪が、
「調由香里さんや、千福ミワさんを光の球に閉じ込めたじゃない」
「あーそのことですか。人柱などと言われるのは心外。そんな品のないことではありません」
「じゃあ、なんなの?」
「あのお二人に神を下ろすための繋ぎになって頂いたのです。いわば依り代です」
トラギク曰く、光の球の真の目的は神を捕らえることだった。そのためには、神の
「果たせるかな辻沢の神を捕らえることが叶いました。あなたがたの神、志野婦は新しき世界の根となるのです」
そう言うととトラギクはおにぎりを握るようにした手を前に差し出した。すると包んだ掌の中が光り出し指の隙間から射してきた。掌を開くとそれは白い光の点で、ゆっくりとこちらに近づいてくる。あたしはその光の美しさに目を奪われてじっと見つめていたけれど、冬凪が、
「爆発するよ!」
と言ったので参道の階段に向ってできる限り逃げた。やはりそれは爆発した。でも轟音や地響きはなかった。ただ強い光だけが明け方の太陽を圧して志野婦神社を覆った。さらに光は神社の杜を越えて辻沢の街を照らし尽くした後も、郊外の田園地帯を嘗め、西山地区の山並みまで届いて消えた。
「驚かせてすみませんでした」
振り返るとトラギクが冬凪とあたしのすぐ後ろに立っていた。
「ご覧なさい。あなたがたが居着く前の美しい景色を」
あたしは参道の階段の上から辻沢を眺めた。そこから見えたのは、どこまでも広がる草原。緑の波を立てて風が渡っていく。東の宮木野の杜に社殿はなく、麓に数軒の家並みだけがあった。そこから南に草原の小道が延びていて、その先に平屋建ての大きなお屋敷があった。ちょうど六道辻のあたりだ。
「この地は辻の荘と言われていました。そのご領主様こそ、六道殿です」
六道殿は権力争いに敗れて都落ちした貴族だったけれど、消沈することなくこの地を都のごとく美麗な土地にしようしていた。その念願を叶えるため六道殿に都で懇ろにしてもらった技芸者が多く辻の荘に集まった。歳月を費やしあと少しで完成を見るところまで来たのだったが、六道殿が病に倒れ薨去してしまう。主を失った辻の荘からは人々が去り屋敷はこぼたれ、やがて美しい景色も失われて行った。残されたのは、トラギクたち数人の技芸者と六道殿の庭園、六道園だけだった。
「我々六道衆の目的はこの辻の荘に再び六道様をお迎えすること。それには新しき世界が必要なのです。その邪魔をする物は
その時、あの聞き慣れた音がしなかったら冬凪もあたしもあのまま光の中に閉じ込められていただろう。
プップッピーピー。
バモスくんが志野婦神社の急階段からジャンプで現れてトラギクの真上に落下した。
「藤野姉妹。乗って」
鞠野フスキが手を差し伸べる。冬凪とあたしが夢から覚めてバモスくんに乗り込むと、鞠野フスキは言った。
「全速力でまいりましょう!」
その言葉がこの時ほど頼もしく聞こえた事は、今までなかったしこれからもきっとないだろう。バモスくんは境内の真ん中でターンをすると志野婦神社の階段を一直線に降りたのだった。その途中に後ろを振り返ると、ずれ込んだ別世界に大きな亀裂が入り、そこから口惜しそうにトラギクが見下ろしているのが見えた。その目は濁った黄色をしていて、まさに蓑笠連中の親玉と言った風貌だった。
鞠野フスキはバモスくんを辻沢女子高校に向って走らせていた。今は鞠野フスキも住む場所が出来て主がいなくなった宿直室で冬凪とあたしが休みを取るためだった。辻女近くの角のパン屋さんを曲がったとき、登山用のリュックのスマフォが鳴った。あたしが出ると、
「「昼までに戻っていらっしゃいませ」」
まゆまゆさんだった。
「帰って来いって」
冬凪は、
「ミッション完了ってことかも」
「でも、まだ予定一日残ってるよ」
「そっか」
冬凪のこんなに残念そうな顔を見たのは初めてだった。
「じゃあ、血を造るためにヤオマンB・P・C行っとこうか」
「それな」(死語構文)
それを聞いていた鞠野フスキが、
「そこは僕のおごりと言うことで」
「「ありがとうございます」」
鞠野フスキは機嫌良さそうに片手を空に突き上げながらバモスくんをバイパスへ向けて、
「全そく(略)」
調子乗りすぎ。まず辻女に寄ってシャワーを浴びさせて貰ってからです。
ヤオマンB・P・Cで一番食べたのは、やっぱり冬凪で尋常でない量を食べるものだから、途中から鞠野フスキが財布の心配をし出したのが分かった。それでお会計の時、少しだけだけど払わせてもらった。
「「ごちそうさまでした」」
今食べたからってすぐに造血されるわけじゃないのは分かってるけど、お腹いっぱいになったことで惑星スイングバイの不安をちょっとだけ忘れることが出来た。それでいよいよ千福家、もとい爆心地へ向った。
改めて見る真新しい爆心地は、どこかの星に不時着してしまったかのような異世界感で圧倒された。そう言えば、トラギクはここにあった庭園のことを六道園と言っていた。もしそれが町役場の裏へ移設されたのだとしたら、これからの遺跡調査で何か重要な遺物が発見できるかも知れないと思った。
土蔵の前で冬凪とあたしがバモスくんを降りると鞠野フスキが言った。
「じゃあ、また次のミッションで」
「「先生。ありがとうございました」」
やっぱり今回の鞠野フスキはヒーローだった。さすがミユキ母さんが指導教官に選んだだけはある。そう思いながら爆心地の縁をヨロヨロと走り去るバモスくんを見送ったのだった。
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