No.5 鬼子の闘い

 ボクが”あたし”との統合を果たそうとしていた矢先、「元祖」六道園が消失した。それからボクは、冷たく暗い海でずっと漂い続けていた。そこはまるで原始の海のようだった。空には赤黒い雲が垂れ込め見渡す限り黒い波が広がっていた。波間の向こうに、いくつもの巨大な竜巻が空と海とを繋ぎ、電光を伴って万物を宙に吸い上げていた。泳いでも泳いでも陸地らしい場所にたどり着けなかった。しまいに力尽きて水に沈み息が出来きず意識を失ったが、気づくと元の水面に浮かび上がっていた。ボクはそれを何度も何度も繰り返す永劫無窮の中にいたのだった。それはまさに地獄。

 それが今、再び目覚めることが出来た。強い衝撃とともに。空を見上げると満月が掛かっていた。潮時のようだった。でも不可解だ。この体はボクが知っている”あたし”ではなかったから。腕を見るとそこから血潮がほとばしり出ていた。まあ、こんなのはすぐ治る。近くにあの子がいた。どうやら眠っているようだった。見慣れないヴァンパイアもいた。敵意は無い。それ以前に片羽をもがれ体中に傷を負って動けずにいた。状況が呑み込めないまま、強烈な殺意を背後に感じ振り向いた。男がシャベルを抱え無表情でこちらを見ていた。エンピマンだった。

「ほう。鬼子とはな」

 エンピマンとは以前に青墓で対峙したことがあった。その時は力の探り合いで終わったがその力が侮れないことは分かった。

「鬼子なら穴埋めにふさわしい」

 エンピマンはシャベルを構え直した。ボクは前に出て距離を詰める。エンピマンはそれを嫌がって後ろに下がる。それをさらに詰めるとさらに下がって行く。さらにさらにとやって闘いの場所をあの子のいる土蔵から引き離す。

 一閃、目の前を光が横切った。危なく避けたがシャベルの刃で首が飛ぶところだった。見極めが出来ないほど初動の気配が薄い。すかさず追い蹴りで次打を回避する。転じて逃げる相手に二の手三の手の蹴りで追い詰める。大きな木に誘導してそこで仕留めるつもりが、直前の大ジャンプで樹上に逃げられた。枝を伝って登れば上からシャベルが降ってくる。同じくジャンプでさらに樹上に飛び見下げる形で敵を捉えると、枝を蹴って再び地面へ逃げられた。ボクは敵と土蔵の間に着地してあの子を守る。再び最初の立ち位置に戻っていた。

 にらみ合いが続く。双方まだ一撃も当てていない。闘う理由を充分に把握していないボクはまだしも、エンピマンが手をこまねく理由はないはずだ。まるで何かを待っているよう。いや、何かからボクの気を反らそうとしているよう。ヴァンパイアに思念を送る。彼女らは人の心が読める。ならば鬼子の心も読めるはず。

(こいつは何がしたい?)

「時間稼ぎだ。あそこに人柱を埋めるための」

 横目でそちらを見ると、爆心地の真ん中で蓑を着て笠を被った連中が土中に何かを埋めようとしていた。その足下が異様に明るく光っていた。

 ずいぶん前の潮時に青墓を彷徨っていたら、

「わがちをふふめおにこらや」

 という声がどこからともなく聞こえてきた。初めは気にせず屍人や蛭人間の滅殺に注力していたが、あまりにしつこく聞こえてくるので、次の潮時にその声の主を探して青墓をほうぼう歩いてみた。青墓は奥深く方角をすぐに見失うけれど、闘いを極力避けながら探すことに徹し歩き回った。何度か挑戦したものの、結局見付けることは出来ずじまいだった。後に夕霧太夫にあの声は何かと尋ねたところ、500年前に埋められた人柱の声だと言った。その人柱は土中で今も生きていて、この世界を支えているのだという。ならば、今埋めようとしている人柱は何のための物だ? 

(それはボクに、いや、”あたし”に関係があることか?)

 十六夜ではないこの”あたし”はあの地獄からボクを連れ出してくれた。だから思惑に従いたい。

「お前が発現した理由の一端がある」

 ならばエンピマンを倒して、あの連中を排除しなければならないということ。

 エンピマンを掴まえる必要があった。このまま逃げ回られていてはあの人柱が完成してしまう。どうする?

 胸に体当たりを食らわせる勢いで突進した。これではジャンプはないだろう。飛んだ瞬間足を掴まえられるからだ。後ろにも逃げられるが直線攻撃は横方向の動きに反応しにくい。エンピマンが横に飛ぶ初動に入った。次動作での蹴る足を狙って組み付く。成功した。鬼子の手の長さを見誤ったよう。すかさずくるぶしから膝に回転を加え倒す。うつ伏せになった背中の腎臓めがけて打撃を食らわすと、

「グ!」

 そりゃあ痛いだろうよ。立ち上がりさまシャベルを足で押さえ、そのまま後頭部を連打。土に顔面がめり込んでゆく。本来なら鉢が割れスイカのように血飛沫を上げるのだが、相当な石頭だ。一瞬の間でシャベルの足を掬われからだが浮く。その隙にエンピマンが跳ね起き後方に飛び去った。顔についた泥を拭いながら唾を吐き、

「目上に対して失礼だろう」

 その言葉の終わる前に次の攻撃。距離を詰めてパンチと蹴りの連続攻撃。向こうはシャベルでそれを防御する。いくつか届いた打撃も体を微妙にかわされて効果が出ていない。ならばと隙を作ってシャベル攻撃を誘い、打ち下ろしてきたシャベルの打撃点直前に肩で受けて柄に肘を絡ませへし折ってやった。エンピマンは柄だけ残ったシャベルを捨て新たな武器を両手に構えなおす。園芸用スコップだった。それをナイフのように突き出し迫ってくる。猛烈なスピードに押されながらも、こなれてないと見切って、両手が伸びるタイミングで懐に入り下から顎に頭突きを食らわした。宙に浮くエンピマン。血飛沫が満月を彩る。体が着地する前に胴体を抱えそのまま地面に杭打ちすると、骨がひしゃげる音がした。エンピマンは逆さに突き立ったまま激しく痙攣しだす。やがて体から黒煙が立ち登り徐々に外郭が剥離しだすと、風にさらわれ霧消したのだった。それは屍人の最後によく似ていた。つまりまた青墓のどこかでよみがえるということだ。

 きびすを返し爆心地へ奔った。窪地になった中心に降りて行くと盛り土の跡があったが誰もいなかった。蓑笠の連中の姿を探した。爆心地の何処にも姿はなかった。そこは風も無く雨上がりの後に匂うオゾン臭が漂っていた。

 あの子とヴァンパイアが待つ土蔵の前に戻った。あの子は寝息を立てて眠っていた。その横に座っているヴァンパイアに、

(すまない。間に合わなかった)

 すると立ち上って、

「仕方ない。どうにもならないこともある」

(この子は?)

「じきに起きるが怖がらすな」

 と言うとよろよろと歩き出した。引きちぎられた背中の羽が痛々しかった。

(どこへ?)

「帰る。次のミッションがある」

 ヴァンパイアを見送った後、ボクは土蔵の前の階段に座り、寝ている子のことを見ていた。目の下に隈が出来ていた。濡れた髪がやつれた頬に張り付いていた。随分と疲れている様子。この子はずっとボクを支えてくれた。潮時では近づいて来てはくれなかった。でも今は、こうしてすぐ側で寝息を立てている。なんだか不思議な感じがした。目を覚ましてボクのこの顔を見たら驚くだろうか。潮時が明けるにはまだ早そうだし充分可能性はある。少し離れて座っていようか。それにしても気持ちよさそうな寝顔だ。顔を近づけてみると幼子のようないい匂いがした。なんだかボクまで眠くなってきた。ちょっと横になろう。疲れたんだ。

 ―――そして、

 あたしは目を覚ました。起き上がって見回すと、白漆喰の土蔵の前にいてあたりは静まりかえっていた。横を見ると冬凪が寝ていた。エンピマンは? いないようだった。腕を見ると辻川ひまわりが引き裂いた傷は直っていた。辻川ひまわりを探した。やっぱり見当たらない。何がどうなったのか、ここはどこなのか。さっぱりわからないまま、あたしはボロボロになった辻女の制服を着替えることにしたのだった。

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