第57話 蜂球

 響先生の紫キャベツな軽自動車は、バモスくんから少し先の洋風屋敷の手前でドリフトして駐車場に頭からつっ込んだ。その乱暴な運転に駅前で見た怒った表情の響先生の姿が重なった。この頃の響先生はあたしが知ってる人とは真逆な性格なのかもしれない。

 あたしたちは、少し様子を見ると言ったミワさんに付き合ってバモスくんに乗ったままじっとしていた。それからしばらくして鞠野フスキが、

「みんな動かないで」

 と体を縮こまらせた。咄嗟に冬凪もあたしもそれに従ったけれどミワさんは、

「どうしました? 何かありましたか?」

 と気にする様子もなく明るくしているので鞠野フスキが、

「坂の上から何か来ます」

 と注意を促した。それでもミワさんはまったく緊張感ない笑顔で、

「蛭人間があんなにいっぱい」

 前園、調邸がある坂のてっぺんから、メタボ腹ではち切れそうなセーラー服姿のおじさんが道いっぱいになって近づいてきていた。急に冬凪があたしの腕を強く掴んだ。

「夏波、横」

 横を見る前にその気配を感じて、動けば危険だと咄嗟に悟った。バモスくんのすぐそばをお下げ髪でまんまる体型のセーラー服が通り過ぎた。腕を胸のところで交差していてその両手の爪が巨大な鎌のようだった。その中の一匹が足を止めてあたしのことをじっと見ているのが分かった。瞳が金色をしていた。唇を破って銀色の牙が突き出ていた。口から血泡を吹いていた。その蛭人間はさらに後から来た蛭人間に押されて流れの中に消えていった。その後も蛭人間が次々にバモスくんの横を通り過ぎていった。坂の上から湧き出すようにどんどん降りて来る一群と、坂の下から上がっていく一群は、響先生の紫キャベツが入っていった屋敷の前で合流し大集団となって止まった。

「レイカなんてやっつけちゃえ」

 ミワさんがバモスくんから飛び降りて、蛭人間の集団に向かって走り出した。それは、まるでパレードを追いかける少女のように軽やかな足取りだった。さっきから様子がおかしいと思っていた。蘇芳ナナミさんが、千福のじじーのせいでミワさんが時々変になると言っていたのを思い出した。

「あたし、ついて行きます」

 冬凪がバモスくんから降りようとした。あたしは慌ててそれを止めて、

「体調悪いんだからここにいて。あたし行くから」

 バモスくんを降りてミワさんの後を追う。鞠野フスキもいっしょに来てくれるかと思ったけれど、蛭人間がよっぽど怖かったのか、体が硬直して動けないようだった。

 ミワさんは、大集団すぎて屋敷の敷地から溢れている蛭人間たちの後ろにいたけれど、蛭人間たちは気づいていないようだった。

「ミワさん」(小声)

「JKちゃん。来ちゃったの? あたし一人で大丈夫だから帰っていいよ」(大声)

 そう言っているミワさんはやっぱり変だった。こっちを向いたのにどこか遠くを見ていてあたしのことが目に入っていないようだった。だから、

「わかりました」

 と答えてそこに居残ることにした。

 駐車場にあふれかえる蛭人間の中に紫キャベツが停まっていた。敷地への階段があって、そこにも蛭人間の行列ができていた。白い門扉に見覚えがあった。ネコの行列がアーチになっていた。それでようやく気がついた。ここはココロさんの地下室がある第三の爆心地だ。でも今はコンクリ床むき出しでなく、白い外装の立派な洋館が建っていて、どの部屋の窓も真っ黒く幽霊屋敷のようだった。その二階の窓から首を括ったココロさんのお母さんがこちらを見ているような気がした。

 駐車場から敷地の中までひしめいている蛭人間の群は何かを待っているようにその場を動こうとしなかった。ただ、ときどき何かに反応して小さく体を震わせ不気味な音をたてていた。どこかで起こった震えが全体に広がる様子は、ミツバチが巣に集まって一斉に羽根を震わすのに似ていた。

「もうすぐよ」

 ミワさんが含み笑いをしながら言った。突然、蛭人間たちが体を震わすリズムが短くなった。屋敷の中から大きな物音がした。ガラスを破る音、木をひしぐ音。何かが破裂する音。騒々しい音がお屋敷街に響き渡った。けれど周りの家は沈黙したままだった。

「これをレイカにあげなくちゃ」

 ミワさんが牛乳瓶を手に階段を上っていく。蛭人間を突き飛ばす勢いで群れの中へと分け入っていく。あたしはミワさんの背中に隠れるように付いて行ったけれど、蛭人間たちはミワさんのことはもちろん、あたしのことまでまったく気に掛けていない様子でスルーだった。襲われないのはよかったけれど、充満する菜っ葉が腐ったような匂いは無理でずっと息を止めていたかった。門扉を入り暗黒の口を開ける玄関のなかに二人で足を踏み入れた。ところがそれから先は廊下も部屋も蛭人間がひしめいていて進めなかった。ミワさんも和服が皺になるのも気にせず、蛭人間の隙間に体を捻じ込もうとしていたがダメだった。あたしも同じように体を捻じ込もうとしたけれどやっぱりダメ。するとミワさんが、

「JKちゃん。お願い。これをレイカに届けて」

 と、言われましても。散々頭をひねって出した答えは蛭人間の頭を踏んで進むことだった。廊下の天井と蛭人間の頭の間に人が通れる隙間があったから。あたしはミワさんから受け取った牛乳瓶を胸にしまい込んでから、セーラー服姿の蛭人間の中の、多分メスのお下げ髪を掴んだ。普通後ろからお下げを引っ張られると頭ごと天井を向いてしまうけれど、蛭人間の首は相当頑丈なのかビクともしなかった。それで思いっきり足を背中押し付けられて肩から上に体を出すことが出来た。それから手が届く他のお下げ髪を掴んで肩に這い上がり頭の上に立った。頭を踏みつけられた蛭人間は、グゥとかゲビィとか変な呻き声をあげただけで、それ以上の反応はなかった。

 天井と頭の上の空間を通して屋敷の奥の部屋が見えた。大きな物体が部屋の中をゴロゴロと移動していた。近づくとそれが蛭人間が集まって丸くなった塊だと分かった。中から鋭い爪をした鈍色の腕が突き出ていたのでそういう生き物なのかと思ったけれど、それは中に丸め込まれた別の生き物の腕で、自分にへばりついた蛭人間を剥がそうと藻掻いているのが分かった。蛭人間は、まるでニホンミツバチがオオスズメバチを熱殺する蜂球ほうきゅうのように、別の生き物に何体もで取り付いて大きな肉塊を作っているようだった。その時、上部の蛭人間が剥がされて中にいるものの顔が見えた。金色に光る目をしていた。銀牙がむき出しになっていた。咄嗟にあたしは、

「レイカ!」

 と呼びかた。金色の瞳がこちらを見た。鉛色の肌をしたその顔にガーリーな面影はなかったけど、それが既にヴァンパイア化した調レイカだと直感した。あたしは胸にしまった牛乳瓶を出して投げつけた。それは調レイカの額に当たって砕け中身が飛び散った。ヴァンパイアのレイカはその白い液体を真っ赤な舌で舐めとってそれを味わうように目をギュッとつぶった。

「JKちゃん。早くこっちへ!」

 玄関からミワさんが叫んでいた。あたしは蛭人間の頭を蹴って玄関に急いだ。突然足元の蛭人間全体が洋館の外に向って移動し始めた。そのせいで蛭人間の中に落ちたけれど、気づくとその流れに乗って玄関から押し出されていた。門扉のところまで流されて来たところで、ミワさんがあたしの手を取って蛭人間の中から引っ張り上げてくれた。そのまま一緒に生け垣を伝って敷地の外の路面に降りバモスくんのほうへ走りかけた。その時、屋敷の中から地獄から響いて来るような、この世のものでない咆哮が聞こえた。

「伏せて!」

 一瞬、世界に音と色がなくなった。見ることも出来ないほど強烈な光があたりを照らした。轟音と地響きが同時に起こった。蛭人間の群れが連鎖するように小爆発を起こして消滅していくのが見えた。生け垣の植栽が覆い被さってきた。上から土砂が降りかかって体が埋もれたところまで覚えている。

 気づくとバモスくんの後部座席に横になっていて冬凪に膝枕してもらっていた。

「大丈夫?」

 返事をしようとしたら口の中がジャリジャリだった。

「らいじょうむ(大丈夫)」

 助手席にミワさんの姿がなかった。ミワさんは? 目だけで聞いた。

「夏波と一緒に土砂に埋まってたけど、掘り出した時は元気そうだった。ミワさん、夏波に覆い被さってくれてたんだよ。ナナミさんの家まで連れて行って欲しいって言われたから送って行ったところ」

「もとのミワさんに戻ってた?」(ジャリジャリ)

「戻ってたよ」

「よかった。それで、あそこで何があったの?」(ジャリ)

「洋館が吹っ飛んで爆心地が出来たんだよ」

 冬凪はそう言って、あたしのおでこにそっと手を当ててくれたのだった。

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