第54話 血樽の家

 10時半を回った頃、冬凪とあたしは眠くなってしまって、これ以上待てそうにないと言ったら、鞠野フスキが千福ミワさんに電話をした。すると、

「出て来てくれるって」

 しばらくすると雑居ビルの出口に二人の女性が現れた。

「こっちです」

 鞠野フスキがホテルの玄関前で手を振って女性たちを呼び寄せた。ロビーに現れたのは、千福ミワさんと蘇芳ナナミさんだった。ミワさんは今朝、でなくこの間に会った時とは違って、長い黒髪を下ろしたカジュアルな格好をしていて大きな胸が目立っていた。まゆまゆさんのママだものな。と思いつつナナミさんを見ると、ダッドキャップこそ被っていなかったけれど、刈り上げショート髪に上背と肩幅、木の芽がプリントされた白Tに黒のレザーパンツ姿はやっぱりアニキ。

 二人は冬凪とあたしの前のソファーに腰掛けた。

「度々すみません。この子たちがまだ聞きたいことがあると」

 と鞠野フスキが言いかけるとナナミさんが、

「その設定、もういいよ。こんな時間にJKがインタビューって可笑しいだろ(笑)」

 と言った。ミワさんは酔っているのか顔が赤く、ぼんやりとした笑顔で、

「この方たちはどなた?」

 とナナミさんに聞いた。

「この間、インタビューをしに来たJKだろ。会わなかったのか?」

「そうね。会ったような、会わなかったような」

 とおぼつかない返事をした。そのミワさんの様子にナナミさんが、

「またか。お前、それ時々なるな。やっぱりあのジーさんの所、引き払ったがよくないか?」

「そうしたいけど、まゆまゆたちがいるから」

「っても、会えてないんじゃ」

 ミワさんはそれにはまったく反応しないで、

「あの子たち、何歳になったんだっけ」

 とあの黒髪の女性のような口ぶりで言った。あたしは周りの色が褪せてないか、音が遠のいて聞こえてないか確かめるためロビーを見渡した。でも、変わりなかった。

「4月生まれだから、まだ2ヶ月ちょっと」

「そっか」

 ナナミさんがあたしたちに向いて、

「ごめんね。こいつ時々変になるんだよ。多分、千福のジジーのせいだと思うんだけど。質問があるならあたしが受けるから気にしないで進めて」

 と言ってくれた。今回のミッションはミワさんに会うことだから半分は目的達成している。あとは盗撮。

「最初に写真撮らせて貰っていいですか?」

「いいよ」

 冬凪がバッキバキを出して二人に向けると、ナナミさんがミワさんの肩を抱いて引き寄せた。ミワさんも大柄なのにそれを包み込むナナミさんは雛を羽で庇う母鳥のように見えた。

「撮りますね。ミワさん、まゆまゆさんに何か言いたいことありますか?」

 冬凪が唐突に質問をした。

「元気に育ってねかな。それと、お母さんのことは心配ないよって」

 ミワさんはもう会えないようなことを口にした。しかもそれは二ヶ月のまゆまゆさんたちに言うことではなかった。市松人形姿のまゆまゆさんを知ってて言っているようだった。冬凪もシャッターを押すのを忘れてミワさんのことをじっと見つめていた。

「撮らないの?」

 ナナミさんに促されて冬凪が、

「あ、撮り終わりました」

 動画だった。ミワさんはナナミさんの腕を解いて座り直した。顔つきがしっかりしているのが分かった。

「心配ないってなんだよ」

 ナナミさんが半笑いで聞いた。

「だって、ひまわりが助けてくれるから」

「逆だろ。あたしたちがひまわりを助けるんだろ」

 ミワさんはそれには答えず、笑顔をあたしたちに向けると、

「ひまわりとあたしは双子の姉妹なの」

 それはこの間、作左衛門さんに聞いて知っていた。

「あたしたちは小さいころ調家に飼われてた」

 どういうこと?

 この時点から22年前、調家で男女の双子が生まれた。レイカとその兄だ。辻沢のヴァンパイアは、女子の双子が生まれるとどちらかがヴァンパイアになるが、男女の場合は両方がなると言われている。六辻家筆頭ながら久しくヴァンパイアがいなかった調家では、当主の家刀自(由香里の母)が二人を確実にヴァンパイアにするため、同年生まれの双子を「餌」として飼うことにした。幼い身に大量の血を与えるとショックを起こしかねないので徐々に摂取量を増やす計画だった。その餌として選ばれたのがひまわりとミワだ。二人は毎週末お友だちの家に遊びに行くと言って調家に通わされたが、その実態はレイカとレイカの兄に血を与えるため目の前で瀉血させられていたのだった。

「ひまわりとあたしの実家はチダルっていう家柄でね」

 と空に指で漢字の「血」の字を書いて「木偏に尊厳の尊って書く樽で血樽」とミワさんが説明すると、ナナミさんがそれを引き継いで、

「ヴァンパイアの餌の家系と言われている。自分たちはヴァンパイアにはならないけれど、因子は受け継いでるから極上の血なんだそうだよ。六辻家で双子が生まれると同じ年に双子が生まれるって属性までついてね」

「でも、そんな生活から由香里さんが救ってくれた」

 小学校に上がる直前、それまで家刀自の言いなりだった由香里が二人を解放した。ひまわりとミワのことを哀れんでのことだったらしい。レイカの兄をヴァンパイアにしてしまったことを悔いてというのもあったのだそう。

「レイカさんはその時、ヴァンパイアにはならなかったんですね」

「そうだね。あいつはならなかった。でも一度なりかけたみたいなんだ。その時、六道辻にあった調家が爆発炎上して家刀自とレイカの父親が死んだ」

 それって、高倉さんが話していたヒカの隣にユカが引っ越す原因になった火災のことだろうか。

「爆発とヴァンパイアってどんな関係があるんですか?」

 冬凪がインタビュースキルを発動して正面突破な質問をする。ナナミさんは、

「爆発オプションなんて持ってるヴァンパイアはいないはずなんだけどね。ただ、由香里さんがレイカのことバクダンって言ったのが単なる比喩でないのは感じてる」

 ミワさんが笑顔のまま、

「今ちょうどレイカをヴァンパイアにしてる途中だから、もうすぐ爆発が見られるかもね。さっきもあたしのおっぱい入りカルーアミルクたっぷり飲ませてきたから」

 ミワさんってば、本当に調レイカをおっぱいでヴァンパイアにする気みたい。

「ミワ、そろそろジジーが戻る時間だ。帰ろう」

 ナナミさんがロビーの時計を見て言った。ミワさんは、

「わかった。レイカに電話する」

 とカバンからスマフォを取り出した。

「レイカ? ワルイ。用事終わんなくってさ、戻れそうにないから、今日はお開きってことで。カリンたちにゴメンねって言っといて。あ、お会計してあるから。じゃーまた、火曜の夕方ね」

 スマフォを仕舞いながら、

「レイカと仕事場一緒なんだよね。役場の戸籍課で。レイカは夜間窓口専任だけど」

 ナナミさんが立ち上がってミワさんの手を取った。

「じゃあ、あたしらはこれで帰るから。えっと、コミヤミユウさんと?」

「サノクミです」

「サノクミさん。またなんか聞きたいことあったら連絡ちょうだい。いつでもウエルカムだから」

 と爽やかなアニキ風を吹かせてロビーから出て行ったのだった。

 ミワさんとナナミさんが人混みの中を辻沢駅のバスターミナルに向う背中を見ながら冬凪が言った。

「先生が言ってたことあたってましたね。レイカさんをおっぱいでヴァンパイアにするって」

「ま、可能かどうかは分からないが、何か目的があってそうしているのは確かだね。それが何か調べるってのが次のミッションになりそうだ」

 目的といえば、

「ナナミさんは辻川ひまわりを助けるって言ってました」

「そう言ってたか。辻川ひまわりは充分に助かっていたはずだけど、引っかかる」

 その後、鞠野フスキと別れた冬凪とあたしは部屋に帰ってシャワーを浴びてベッドに入った。今回は手乗りカレー★パンマンを連れてきてるからぐっすり眠られる。

 寝苦しくて目が覚めた。窓のカーテンの向こうはまだ暗そうだった。ベッドの足下のほうに誰かが立っているのに気がついた。起きようしたけれど金縛りで動けなかった。目だけで見ると白い浴衣姿で長い黒髪を垂らしたあの女性だった。隣で寝ている冬凪を呼んだけれど声が出なかった。黒髪の女性は不思議そうに辺りを見回していて、

「まゆまゆはどこでしょう?」

 と囁くように言った。あたしは声なき声で、

「千福家の土蔵の中にいます」

 と教えた。けれどその回答には満足しなかった様子で、また、

「まゆまゆはどこでしょう?」

 と繰り返す。それであたしは鞠野フスキが辻女の宿直室で話してくれたことを思い出し、

「時空の歪みの中にいます」

 と答えた。すると黒髪の女性はゆっくり頷いたあと、煙のように姿を消した。それと同時にあたしの金縛りも解けたようだった。

 突然、サイドテーブルのバッキバキのスマフォが鳴った。冬凪が布団の中から手を出して電話に出た。

「はい。おはようございます。わかりました。はい。お休みなさい」

 冬凪はバッキバキをサイドテーブルに戻そうとして床に落としてしまった。それをあたしが拾い、布団から手だけ出して探っている冬凪の手に渡してあげると、

「まゆまゆさんが戻って来いって」

「いつ」

「お昼にだって」

 昼までか。ならちょっと用事を済ます時間ぐらいはあるな。

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