第40話 一時帰還前

 大曲大橋に出ると、鞠野フスキたちはバス停に向かわないでそのままバイパスを渡り、朝あたしがおかしくなった砂利道を降りて行った。


鞠野フスキはバモスくんを取りにくるレッカー車を待つと言っていたが、豆蔵くんと定吉くんたちはどうするんだろう。


「あたしたちって、明日帰るんだよね」


「どこに?」


「18年後に」


「そうだよ」


 よかった帰れるんだ。まずは、ほっとした。


「豆蔵くんたちは帰らないの?」


「もちろん帰るよ。明日の朝、土蔵の前に集合ってことになってる」


「あの人たちってば、どこに泊まってるの? まさか野宿じゃないよね」  


「多分、眠らないんじゃないかな」


 明日の朝方に掛けて青墓の杜で開催される「スレイヤー・R」に参戦するのだそう。


「屍人や蛭人間と戦うと思うと血が騒ぐんだって」


 豆蔵くんと定吉くんがホントにそんな長文を喋ったの?


 ホテルに戻り、順番にシャワーを浴びる事になった。先を冬凪に譲って待ってる間窓の外を見ていたら、あのサンプリングギャグ「ナポリタンは焦がしゃうめー」が聞こえて来た。


それは付けっぱなしにしていたTVからの音声で、観てみると生ゲーニンたちが集まって料理を作る番組の中で、坊主頭の人が口にしていたのがそれだった。


でも様子がおかしい。


まったく笑いが起きていない。


一度言って受けなかったからなのか、もう一度言ったのだけれどそれでも周りはまったく笑っていなかった。


もしかしてスベったのだろうか。


そんなはずある?


Vゲーニンのサンプリングギャグは一度聞くと耳に残って離れないほどパワーがある。面白いのだ。


それというのもソースのギャグがもともとすごく面白くて、それをサンプリングしたせいだと勝手に思っていた。


けれどこれではただのコメントだ。ギャグですらない。


「そうか、コメントなんだ。もとはギャグじゃなかったんだ。だから誰も知らなかったんだ」


 この言葉はサンプリングされて知られるようになったけれど、作ったVゲーニン自身も昔聞いたギャグとしか言わなかったので、所在の分からないソースギャグとして有名だった。


それがこんな誰一人笑わないギャグくずれのコメントだったなんて。


それを知って、脳内リフレインするほど影響されていた自分が可笑しかった。


サンプリングとは、それが優れているからといって元のソースもそうだとは限らないのだ。


その逆もそうなのだろう。そのことを知った夜だった。


 それから少しの間、ささやかな幻滅気分に浸っていると、冬凪がバスルームのドアを開けて顔を出した。


「どうかした?」


 髪の毛をバスタオルで拭きながら聞いて来た。


あたしはこの偶然の出会いを冬凪と共有しようと、あったことを事細かに教えたのだった。


けれど、


「ふーん。そうなんだ。ウケル」


 死語構文で応えてくれはしたものの、反応自体はすごく薄いものだった。


そういえば冬凪ってば、オリジナルが一番、サンプリングとかマッシュアップとかはよくわからない子だった。


 朝だ。


昨日の朝もそうだったのだけれど、目覚めが悪いと思ったらカレー☆パンマンがないことに気がついた。


いつも寝るときに一緒にいてくれて、二年の修学旅行の時もこっそり連れて行ったのに、今回は持って来ていなかったのだった。


そもそもで、泊まりになるなんて教えて貰ってなかったからだけど、次からはバイトに行くときも荷物に入れることにしよう。


 辻女の制服に着替える。昨日の戦いで濡れていたけれど一晩干してなんとか乾かした。


「やっぱ、ドブ臭いのとれてない」


 袖を通して嗅いだらヘドロの匂いがしっかり残っていた。


「帰ったらクリーニング出そう。返さなきゃだし」


 ミユキ母さんに買って貰ったものだったのに、あたしたちの制服はボロボロになって着られなくなった。


つまり、しばらくは借りっぱになりそう。


「また、来るんだよね」


「多分。まだ何も解決してなさそうだし」


「どうしてそれが分かるの?」


 冬凪は右手の薬指を目の高さに上げ、目を細めてその指の先の空間をじっと見つめて言った。


「十六夜が苦しんでるから」


 鬼子のエニシ。鬼子の十六夜と鬼子使いの冬凪とを堅く結びつけている赤い糸。


それは常人には越えられない二人だけの絆だという。


十六夜がいる場所があたしの居場所と思えるほど、あたしにとって十六夜はかけがえのない存在だけど、あたしには今の十六夜の気持ちなど思い描くことすら出来ないのだった。


 チェックアウトを済ませて六道辻行きのバスに乗る。


「六道辻まで」〈♪ゴリゴリーン〉


 車内は辻女の生徒でいっぱいだった。


まだ冬服の中、冬凪とあたしだけが夏服を着ているものだから周りの子たちがざわつき出した。


「なんで?」


「まだ5月じゃんね」


「有りかも」


「最近めっちゃ暑いし」


「それな」


「ウチも明日っから着てきようかな」


 辻女入り口のバス停で降りた大先輩たちが冬凪とあたしのことを幽霊に会ったかのような表情で見送っていた。


〈♪ゴリゴリーン。次は六道辻。あなたの後ろに迫る怪しい影。降車後は猛ダッシュでお帰り下さい〉


 このアナウンス。このころからだったんだ。


 ここに来た時は志野婦から逃げるので精一杯で、このあたりのこと全然確認しなかったけれど、孟宗竹が頭上を覆う竹垣の間の道は18年後とあまり変わりがなさそうだった。


しばらく歩くと見えてくるのが、爆心地、ではなく、白い花が美しい生け垣に囲われたお屋敷だった。


近づくにつれてバニラエッセンスを振りまいたような甘い香りが漂ってくる。


クチナシの匂い。


白馬の王子の匂い。


そして、辻沢最凶のヴァンパイア、志野婦の匂いだ。


「ここって、千福オーナーのお屋敷だよね。辻沢建設の」


 この年の9月に千福オーナーが爆殺された跡が、あたしたちが遺跡調査をしている爆心地なのだった。


「そうだよ」


「なんでここに志野婦がいたの?」


 冬凪はいつもの顎に指を当てるポーズになって話し出そうとした。


けれどそこは千福家の、クチナシの垣根が両脇を飾る玄関までの石畳が美しい門の目の前だったからあたしは慌てて冬凪の腕を引いて裏手に見えている竹林に向かったのだった。


 土蔵の前まで来ても冬凪の話は止まらなかった。


それは辻沢を実質支配している六辻家に関する歴史的考察で、あたしには話の筋を追うのさえ大変だった。


ようやく理解できたのが、六辻家の六つの旧家のうち辻一と棒辻という屋号を持つ二つの家だけ一代限りということ。


それは絶えたのではなく18年前のこの時まで存続していて、その一つが実は千福家ということだった。


「当主がヴァンパイアだから代替わりの必要がなかったってあたしは思う」


 六辻家は宮木野と志野婦の血を引く家系だと言われている。


「つまり千福オーナーって」


「志野婦のこと」


 冬凪は竹林の向こうに見える藁葺き屋根を見上げて言ったのだった。


「でもさ、千福まゆまゆさんって、千福家の当主なんでしょ? なら二人って志野婦の娘とかなの?」


「それはあたしもよくわからない。あの二人は爆発した年に生まれたらしいんだけど、年齢不詳だから」


 爆発があった年に生まれたとしたら、あたしたちと同じ18歳のはず。


でもあの容姿はどう見ても小学生だ。この後会ったらしらっと聞いてみようかな。


「まゆまゆさんたちはおいくつですか?」


 って。


 そうこうしているうちに土蔵前の空き地に豆蔵くんと定吉くんとが現れた。


「その格好はどうしたの?!」


 二人を見て息を呑んだのは冬凪ばかりではなかった。


 豆蔵くんは上半身裸の上に包帯がぐるぐる巻いてあり、定吉くんも太ももと頭に包帯を巻いていた。


それがフェイクでないのは、どの包帯にも血が滲んでいたからだった。


「うううん」


 豆蔵くんが頭を掻きながらうなり声を上げた。


このときばかりはあたしにも何が言いたいか分かった。


申し訳ないと言ったのだ。


さらに詳しいことまではわからなかったけれど、冬凪の説明によると、どうやら昨晩の「スレイヤー・R」で蛭人間の攻撃に手を焼いて怪我を負ってしまった、昨晩の出玉は異常だったということらしかった。


「スレイヤー・R」って、ゲームでなかったの?


とは何度実態を聞いても出てくる感想なのだった。

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