第38話 釣りする子供たち

 あたしたちは大曲大橋のバス停から雄蛇ヶ池の放水路へ下りる砂利道を歩いている。右手に斜面の森が迫り左手下方にコンクリ護岸の放水路が見えるこの坂道は、まだ日が落ちていないのに異様に暗くて寒かった。それは山の陰になっているせいばかりではなく蓑笠連中が現れた時と同じ別世界へのずれ込みが始まっていることを感じさせた。それは、冬凪とあたしの前後を歩く豆蔵くんと定吉くんも感じているようで、シャムシールを抜き身で携え、すでに戦闘態勢になっているのでも分かった。

 放水路のコンクリートの川床には、ぬたくったような黒いヘドロの中をちょろちょろ流れるほどしか水がなかった。U字の護岸は高さが2mくらいあるけれど、川沿いを人が通る想定がされていないらしく柵のようなものもない。目的の池の北端は南に進路を変えてしばらく行った先にある水門の向こう側だ。狭くなった水路沿いを落ちないように注意しながら雄蛇ヶ池を目指す。

赤錆びた水門が見えてきて、冬凪は記憶を刺激されたのだろう、

「水門の下に魚が沢山いるんだ。ほとんどブルーギルとかの外来魚だけど、入れ食いで釣れて楽しかった。あ、ごめん」

 小学生の冬凪がお友達と水門で楽しそうに釣りをしている姿を想像した。あたしは一緒に来られなかったけれどそれを羨ましいとは思わなかった。そもそもあたしはアウトドアが苦手だ。水があると必ず落ちるし、落ちたら泳げないから。それに対して冬凪は小さいときからお外志向だった。それがフィールド・ワークに繋がっているのだし、あたしはお家志向だったからメタバースに繋がって十六夜と知り合えた。そのことに不満なんてあるはずない。

「全然大丈夫」

 水門まで来た。コンクリ壁の上から覗くとプールくらいの広さの水溜りになっていて水面まで4mくらいの高さがあった。真っ黒い水が深そうだった。あたしは落ちないように縁から離れて歩く。

 水門を越えて雄蛇ヶ池の北岸側に出ると日が差して明るかった。池端の遊歩道に出ると暖かく、さらにそれを実感させた。豆蔵くんと定吉くんがシャムシールを鞘に収めた。一気に緊張がほぐれてほっとため息が出た。

雄蛇ヶ池はエメラルドグリーンの水面が広がっていた。この広さこの明るさでどうやって光る物体を見付ければいいかと思っていると冬凪が、

「ボートを借りよう」

 ここから少し歩いたところに桟橋があってボートに乗れるのだそう。

 桟橋の小屋でチケットを買い、おじさんに4人乗りのスワンボートまで案内してもらった。冬凪とあたしが後ろに乗り込み、漕手は定吉くんにお願いした。豆蔵くんが前に乗ろうとしたらバランスが悪くなってボート自体が傾いてしまったので、一人で手漕ぎボートに乗って貰うことになった。それでも沈みそうになってるので、おじさんが心配して、

「君、泳げるかい?」

「うう」

「泳げますって」

 最初は穏やかな舟旅だった。池を渡る風が心地よく、手を伸ばして水面に触れれば優雅な気分になった。それも池の中程に来るまでのことだった。遅れて池に漕ぎ出した豆蔵くんがあたしたちのスワンボートを追い越して定吉くんに火が付いてからが酷かった。定吉くんがパワー全開で漕ぐものだから、スワンボートは上下に揺れるわ、水しぶきは凄いわで、冬凪もあたしもびしょびしょになりながら振り落とされないように必死に手すりにしがみついてなければいけなかった。そもそも何処に向かうかも言ってないうちからのボートレース。豆蔵くんと定吉くんの膨大なエネルギーが切れるまで競い続けるかと思うと生きた心地がしない。

「二人とも、やめ―!」

 冬凪の大音声が雄蛇ヶ池に響き渡った。その声に、目前の定吉くんはもとより池水の向こうの豆蔵くんまで、ビクッと体を硬直させてボートレースは即時中止。

「目的が違うでしょーが」

 さすがの冬凪も語気が荒くなっていた。

 それから日が暮れるまで、池の北端を中心に光る物体を探して回った。と言っても、水中を覗けるわけでもないので、雄蛇ヶ池を遊覧して時間を潰しただけだったのだけれど。

桟橋に戻ったときには日が陰り風も冷たくなってきていた。スワンボートから下りて桟橋を歩きだすと、小屋の影に辻女の制服を着た女性が立っていた。今日は初っぱなから辻川ひまわりで登場? 冬凪がそれに気がついて、

「誰?」

「辻川ひまわりだよ」

 すると冬凪は辻川ひまわりに近づいて行って、

「初めてお目に掛かります。あたしサノクミといいます」

 手を差し出した。冬凪は広報兼町長室秘書のエリさんには何回も会ってるはず。なのに、あたしには制服に着替えただけに見える辻川ひまわりを初めて会う人だと思っている。やはり冬凪には辻川ひまわりとエリさんとが別人に見えるようなのだった。

辻川ひまわりは冬凪に握手で答えて、

「ああ、サノクミさんね。よろしく(笑」

 冬凪の方は本名もバレバレのよう。

「今晩は」

 あたしが声を掛けると、

「目星は?」

 辻川ひまわりには何を探すかさえ伝えていなかったので、高倉さんに聞いた光る物体の話とそれが調由香里の首ではないかということを伝えた。

「なるほどね。そう言われてみれば、ウチが裂け目に見たのも人の頭のようだった気する」

 ということで、辻川ひまわりと一緒に池の北岸に移動することになった。

 池の周りの遊歩道は街灯はない。日が沈んだけれど、みんな夜目が利くらしく普通に歩いていた。隊列は辻川ひまわりが先頭で、冬凪とあたしがそれに続き、その後に豆蔵くんと定吉くんが並んでいた。冷たい風が頬を撫ぜてゆく。水門に近づくにつれて重苦しい空気が辺りを支配しはじめていた。例の別世界へのずれ込みが始まったよう。後ろでシャムシールの鞘を払う音がして豆蔵くんと定吉くんが戦闘態勢に入ったことを知った。

「あの辺りが怪しいね」

 辻川ひまわりが水門を指した。

「さっきここに来た時は光る物体はなかったんですけど」

「でも、ここに見覚えがあるんだよね。水門のところ。ほら、子供たちが釣りをしているだろ」

 そちらに目をやると、水門の上に何十人という真っ黒い姿の子供たちが釣りをしていた。こんな遅い時間に、こんな電灯もない場所で。黒子たちは釣り糸を垂れながら野太い声で、

「ともがらがわざをまもらん」

 と口々に呟いている。そしてそれまで垂らしていた釣り糸をこちらに向けて投げかけ始めた。するすると伸びてきた釣り糸で、辻川ひまわりやあたしたちの手足に釣り針を引っかけて動きを封じ、水門に引き寄せようとする。

 刹那、豆蔵くんが大地を蹴って飛び出し、伸びた釣り糸を切りながら水門に突進していった。間髪入れずに定吉くんが続く。豆蔵くんは水門に到達すると最初のひと薙ぎで3人の黒子の首を刎ねた。続く定吉くんもシャムシールの切っ先で次々に首を刎ねてゆく。見る間に水門の黒子たちが霧散消滅してゆく。釣り糸から自由になったあたしたちが水門に辿り着く頃には最初に見えていた黒子は二人だけで全て抹殺する勢いだった。すさまじい早業だ。ところが黒子の数は少しも減っていかない。それは水門下のプールから次々に黒子が生えだしてコンクリ壁をよじ登ってくるからだった。豆蔵くんたちが何度もシャムシールを振るって薙ぎ倒そうとも、きりなく増殖する黒子たち。そのうち豆蔵くんと定吉くんが肩で息をしはじめた。それを見てとった辻川ひまわりが叫ぶ。

「夏波、どこかに本体がいる。探せ!」

 あたしは、言われたままに黒子たちの中に目を凝らした。皆まったく同じような姿をしていた。みんなが楽しそうに釣りに興じていた。その中に違和感のある存在を探した。いないはずの者。来たかったけれど来れなかった者。

「そうなんだ。ダメって言われたんだ。じゃあ、また今度ね」

 二度と誘われなかった。どうしてあたしだけダメだったの? あたしだって行きたかったのに。

 水底に沈んだ子が運動座りでこっちを見ていた。その子だけ楽しそうではなかった。

「いる! 水の底に」

 それを聞いた辻川ひまわりの背中から巨大な翼が生え出てきたかと思うと、地面を蹴って高々と飛び上がった後反転し、真っ逆さまに水門のプールへダイブしたのだった。


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