第37話 調由香里の首
「ありがとうございました」
18年後と印象が全く変わらない高倉さんが言った。あたしたちが調邸に着いてすぐ業者さんが張り替え用の絨毯を届けに来た。それを二階の一番奥の部屋まで運んだついでに、敷くのをみんなで手伝ったのだった。
「由香里奥様はここで亡くなりました」
冬凪が、調由香里は自宅で殺害され首なしで発見されたと言っていたのを思い出した。殺害現場か。この部屋に入って陰気な気分になったのは、やたらと多いドア鍵のせいばかりではなかったんだ。
「奥様の首は未だに発見されていませんが」
廊下を歩きながらも高倉さんのお話が止まらない。
「ご遺体も持ち去られてしまいました」
それは初耳だった。じゃあ、お葬式も挙げられなかったのかな。
「いいえ、お葬式の時にはあったのですが、終わってみたら何者かによって」
そうだったんだ。だからさっきお線香あげた祭壇に写真立てしかなかったんだ。でも、写真のお顔、異次元の美しさだった。アルカイックスマイルに冬の月のような瞳。写真に吸い込まれそうになったもの。
「犯人が憎うございます。捕まえたら私が一番に八つ裂きにしてこうしてああしてべしゃん、です」
このころの高倉さんのお話にはアクロバチックな動作が入るよう。
「ここだよ。四宮浩太郎の隠し部屋」
冬凪が踊り場にある小扉を指して言った。
「辻沢やヴァンパイア関連の書物やビデオがいっぱい置いてある」
「そりゃ、冬凪にとっては宝の山だね」
「そうなの。由香里さんはここを出入り自由にしてくれたんだ。ここなら安全だからって」
それを受けて高倉さんが、
「この部屋だけはお坊ちゃまも入られませんので」
どういうこと? 冬凪を見ると、
「ご長男さんがひきこもりで、たまに出て来ては問題起こすんだって」(小声)
あー、DV的な感じだ。
「中から鍵が掛かるしかけ?」
「ううん。結界になってるからって」
ご長男さんって、いったい何者?
リビングに戻って来た。先ほどもそうだったのだけれど、巨大なソファーには豆蔵くんも定吉くんも腰掛けないで立ったままだ。冬凪とあたしもお尻をもじもじ落ち着かなくしていたら、
「床に直接どうぞ」
お菓子と飲み物を持ってきた高倉さんが言ってくれた。遠慮なく床に座る。リビング用にしては毛がモッフモフすぎる絨毯で横になりたくなるほど心地よかった。
「お嬢様がもふもふを好まれまして」
冬凪が食い気味に、
「レイカさんですね。由香里さんからお話は伺っていましたがお目にかかったことがないです」
「N市に住まわれてもう四年、一度もお帰りになられていませんから。でも、もうじきお戻りになりますよ。そのための絨毯の張り替えでした。あそこは元々お嬢様のお部屋ですので」
いくら自分の親でも人が亡くなった部屋に住むって怖くないのかなと余計な心配をしていると、冬凪がヒソヒソ声で、
「調レイカが要人死亡事案の鍵を握っているようなの」
と言ってきた。そうなんだ。あたしには関係なさそうと思ったのだけれど、さらに冬凪が調レイカについて教えてくれて考えが変わった。
長男さんの双子の妹、調レイカは辻女バスケ部連続失踪事件当時のマネージャーで、事件のショックから高校卒業後すぐに辻沢を出て行ったのだそう。なら被害者の辻川ひまわりとは知り合いってことになる。明日会ったらどんな人か聞いてみよう。
高倉さんは相変わらずあたしたちを置いてきぼりにして話したいことを話し続けていた。
「出来れば、お嬢様がお戻りになる前に、由香里奥様のご遺体を完全な形で取り戻したいのです。まだ、お母様のご遺体まで盗まれたことを申し上げられていなくて。お首のありどころは見当がついているのですが、お体の方はと言いますと、これが皆目」
頭は分かっているんだ。警察が管理しているとかなのかな?
「いいえ。警察はすでに捜索を諦めています。以前に噂になった場所なのですが、きっとそこなのではと」
「それはどこなんです?」
高倉さんは、その時初めてあたしの目をじっと見つめて、
「雄蛇ヶ池です」
調由香里が亡くなってすぐ、雄蛇ヶ池の北端あたりの水底が光ているのが発見された。何か沈んでいると通報を受けた警察はダイバーを使って捜索を続けたが、池の底には何も見つからなかった。おそらく光の加減によっておこる自然現象ということで水底の捜索は打ち切られた。
「でも、日が沈んでも消えないものが光の加減っておかしいでしょう? それどころか、深夜になってその光が水面に浮かび上がってきたのを見た者がいたそうで。その者が言うには、光に包まれて浮き上がってきたものは、それはそれは美しい女神様のお顔だったそうなんです。由香里奥様のお首に間違いございません」
辻川ひまわりが指摘した人柱がある場所と高倉さんが思い込んでいる調由香里の首が沈んでいる場所が、同じ雄蛇ヶ池だという。これは偶然の一致なのか。人柱が何なのかさえ分からず、スケキヨなんて言っていた今のあたしたちにとってみれば、水底で光るものが人柱と関係があるか分からないまでも調由香里の首かどうかを調べる意味はありそうな気がしたのだった。
高倉さんにお別れをしてホテルに戻ることにした。辻バスに乗ろうとバス停に向かおうとしたら、豆蔵くんと定吉くんが、
「「ううあう」」
冬凪が、
「豆蔵くんと定吉くんがバスは嫌だってから歩こう」
と翻訳して言った。少し遠いけど、まあ、二人の気持ちも分からなくないから賛成した。
お屋敷街は高い石垣か植え込みがずっと続く。まるで迷路の中ような道を北を目指して歩く。垣根の間の空を見上げるとお日様が西に傾き始めていた。それでつい時間を確かめるためリング端末を見ようとしてしまった。3時ごろだろうか。
「今何時?」
冬凪が足を止めてスマフォを取り出し、
「3時過ぎたところ。どした?」
「いや、これから明日の夕方まで暇だなって」
それを聞いて冬凪は、
「夏波、体調どう?」
あたしは放心状態になったことなどすっかり忘れるほど快調だった。
「全然いいよ。今からでも雄蛇ヶ池に行けそうなくらい」
すると冬凪はあたしの顔や体を見まわして、
「本当?」
「本当だよ」
「なら、今から捜索再開しない? 辻川ひまわりと鞠野フスキにも連絡して」
異存はなかった。高倉さんから聞いた、光の浮かび上がる現象が深夜である以上、三日の予定のあたしたちには今夜しかチャンスがないからだった。
「いいよ。スマフォ貸して」
あたしが広報兼町長室秘書エリとある連絡先に電話をかけると、
「夏波? 復活したんだ」
「今夜、人柱を探しに行く」
「わかった。暗くなったら雄蛇ヶ池で」
電話が切れたので、鞠野フスキにも連絡した。
「了解しました。5時になったらホンダ・バモスTN360で雄蛇ヶ池の北端に向かいます」
バッキバキのスマフォを冬凪に返して、
「豆蔵くんと定吉くん、ごめん。辻バスに乗らなきゃになった」
「「う」」
と言った大男と武者髭男を見ると。気のせいか二人とも目に涙を浮かべているように見えたのだった。
〈♪ゴリゴリーン 次は大曲大橋です。雄蛇ヶ池に降りてもスケキヨにならないよう、お気を付け下さい〉
バス停を下りて、豆蔵くんを前に、冬凪とあたしと中に、後ろに定吉くんが控える隊列を組んで雄蛇ヶ池に向かう。朝方に来たとおりに行くと、あたしがまたどうにかなる可能性があったので、バイパスを渡らないで池の放水路に下りる砂利道を行くことにした。その道は北側なため日が落ちる前から暗く、空気もじめついていて、あの蓑笠連中が今にも現れそうな陰鬱な雰囲気を醸し出していた。豆蔵くんと定吉くんもそれを感じたようで、シャムシールの鞘を払って抜き身を晒し進み出した。豆蔵くんの背中から例のギシギシという音が聞こえて来る。なんとも頼もしいこの音。その時あたしは、この音のことを遠い昔にも聞いたことがあると思ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます