第36話 鬼子の名前
ヤオマン・BPCで一番お肉を食べたのは豆蔵くんでも定吉くんでもなく、冬凪だった。
こんな食べたっけと目を疑ったし、そもそもガテンは麺が好きとか言ってた子はどこへ行ったのか?
「次はどこへ行く?」
今日一日時間を持て余すと分かっていたから冬凪が提案した。あたしはそれに応えて、
「宮木野神社行きたい」
せっかくだからお参りしたかったのと、宮司の奥さんと言ってた高倉さんに会えるかもしれないからだった。
豆蔵くんも定吉くんも異存はないよう。
あたしたちは再び、辻バスに乗ってバイパスを駅方面に向かった。
ここでも豆蔵くんと定吉くんはルーティンを繰り返し、あたしはまたも切ない気持ちで二人を見る羽目になった。
〈♪ゴリゴリーン 次は宮木野神社前です。宮木野と志野婦は双子の姉妹、昔なかよし今犬猿の仲。お降りの方は姉の機嫌を損ねぬようお気を付けください〉
宮木野神社前のバス停に降り立つと、すぐ目の前に大きな朱色の鳥居が立っている。
この鳥居はよく見ると三本足で、二本の柱の真ん中にもう一本、横棒からすこし下がった所で切れた形である。
これは志野婦神社も同じ。
「辻沢の神社ってどこも三本柱なんでしょ」
冬凪に聞くと、
「そうだよ。四ツ辻の山の中にある奥の院なんか、三本目も地面についてる」
「なんで三本なの?」
「夕霧太夫に関係あるって紫子さんが言ってた。知らんけど」(死語構文)
紫子さんは冬凪が親しくしている四ツ辻の山椒農家さんだ。
そういえば夏休み前も山椒摘みのお手伝いに行ってた。
鳥居をくぐると売店や駐車場のスペース、奥に石垣があって、そこから緑の生い茂った小山の最上部まで傾斜のキツい100段の石段が続いている。
急に、それまで隊列を崩さなかった豆蔵くんと定吉くんが石段の袂まで進み出て身をかがめた。
そして豆蔵くんが振り向いたので冬凪が、
「スタート!」
合図をした途端、二人は怒濤のごとく石段を駆け上っていった。
爆発的な脚力で石段が崩れるんじゃないかと思わせる勢いで、二人とも数十秒で踏破してしまった。
「あたしたちが上がっていくまで何してる気かな」
冬凪が秒で、
「筋トレ」
階段の最上部から無邪気に手を振っている豆蔵くんと定吉くんに手を振り返してから、冬凪とあたしは一段目に足を乗せたのだった。
石段が濡れているせいか、それとも森閑とした杜の雰囲気のせいなのか、一歩一歩上るごとに静謐な気持ちになってゆく。
こんな感覚は、辻沢再生プロジェクトで十六夜とVR内の宮木野神社にロックインしていた時には感じなかった。
十六夜。
足を止めて後ろを振り返る。
そこからは辻沢の町並みが見渡せた。N市のベッドタウンとしての新しい町並みの中に、戦国時代の前から続く古い町並みが取り込まれているのが見て取れた。
その古い町並みが辻沢遊郭のあった場所で、そこからさらに南にあるのがお屋敷街の元廓だ。
そこに、十六夜がいるヤオマン屋敷があるはずなのに見当たらない。
そうか、18年前はまだなかったのか。元廓で大爆発があった後に建てられたって高倉さん言ってたし。
「元廓の爆心地が出来るのっていつだっけ?」
少し先を上っていく冬凪に聞くと、足を止めずに、
「4ヶ月後の9月末。その前の7月末の深夜に役場倒壊事故があって、未明に六道辻の爆心地が出来る」
まるでスケジュール表を見ているかのように返してきた。
要人死亡事案を調べている冬凪にしてみればその瞬間に立ち会いたいと思うはずなんだけれど、18年前以外、今はそれとは関係なさそうだった。
「どうして5月の辻沢にあたしを連れてきたの?」
すると、冬凪は足を止めて振り返り、
「実は、あたしにも分からないんだよ。千福まゆまゆさんに夏波を連れていらっしゃいって言われて着いたら今ここだっただけなんだ」
「土蔵で日程三日って言ってたから」
てっきり冬凪が主導しているのだと思っていた。
「あー、アレ? 荷物のせい。あの量だと三日がせいぜいと思ったから」
そういう事だったの?
「じゃあ、千福まゆまゆさんに聞けば分かる?」
冬凪は顎に指を置くいつものポーズになってしばらく考えていたけれど、眉間に皺を寄せるばかりで何も思いつかないと言った風で黙ったままだった。
そしてようやく口を開いて、
「そうでもなさげなんだよね」
マジか。冬凪が感じてたふわふわ感って、そういう所からなんじゃ。
石段を登り切ると、目の前に武者髭男の真っ赤な顔が目に飛び込んで来た。
それは石畳の上でプランクを実施している定吉くんなのだった。
豆蔵くんが見当たらなかったので定吉くんに、
「豆蔵くんは?」
と聞くと、定吉くんはプランク状態のまま片手を上げて境内の東の端の能舞台を指さした。
この人どんな筋肉してるんだと思いつつ能舞台に近づいて行くと養生用の青いトタンがガタガタと音を立て能舞台全体が揺れている。
さらに中から鞭を振るうようなヒュンヒュンいう音と、生木をひしぐようなビシビシいう音も聞こえて来た。
正面に回ると、舞台の上で上半身裸の豆蔵くんが抜き身のシャムシールを手に異国の舞を舞っていたのだった。
「お待たせ」
冬凪が声を掛けると、豆蔵くんはこちらに目を向けたまましばらく舞を続けゆっくりとその舞を収めた。
驚いたのは、ビシビシという音が豆蔵くんの筋肉が引き締まる時にたてる音だったこと。
並みの脳筋男ではなさそう。
豆蔵くんが上着を着るのを待って拝殿に向かった。
さすがにこの時ばかりは神妙な面持ちで、二礼二拍手三茄子、違うでしょ。
二礼二拍手一礼の所作を行っていた。
みんなは何をお願いしているのだろう。あたしのお願いは、やっぱり十六夜のこと。
(十六夜が自由になりますように。また一緒にアイスが食べられますように)
拝礼が終わり社務所に向かった。窓口をノックすると、巫女さん姿の女子が、
「ご用を承ります」
「宮司様の奥様はいらっしゃいますか?」
返事が返ってこない。
「あの……」
とあたしが言いかけると、
「宮司の高倉は独身ですが!」
語気強めに返された。
巫女さんの気に障ったみたい。つまり?
あんまり深入りしないことにしよう。
冬凪たちの所に戻って、
「用件、おわっちゃった」
「どういうこと?」
それで冬凪にヤオマン屋敷で会った高倉さんのことを、宮司の奥様だと言ったことも含めて話した。
「調家のお手伝いさんしてる人も高倉って名前の人だった。年のころも同じくらいで、いつも和服とかもイメージ一緒」
「とっても綺麗な人なんだけど、どこかで見たことあるような」
「そうそう。あたしも会った時そう思った」
ということで、冬凪とあたしは調家に行ってみることになったのだった。
「これから調家に行くけど、豆蔵くんたちはどうする?」
「「うう」」
「行くって」
なんで冬凪には豆蔵くんと定吉くんの言葉が分かるのだろう。
調邸が建っているのは元廓の爆心地だ。
もちろん今、目の前にあるのは白いコンクリ建ての美術館のようなお屋敷だけれど、5ヶ月後、この建物が隣の前園邸もろとも吹っ飛んでなくなるなど誰が想像できるだろう。
冬凪が真っ黒い鋼鉄製の門扉の横にあるインターフォンを押した。
〈♪ゴリゴリーン〉
少しの間があって、
「はい。どちら様でしょうか」
「いつもお世話になっています、フィールドワーカーのサノクミと申します。今日は高倉様にお話を伺いに参りました」
声が明るくなって、
「わざわざありがとうございます。いま、門扉を開けますね」
インターフォンを通してだけど高倉さんの声に似ている気がした。
重厚な響きをさせて門扉が開くと、青々とした芝生の中に白いスロープが続いていた。
「サノクミ?」
スロープを並んで歩きながら聞いてみた。
「鞠野フスキがつけてくれたこっち用の名前。これがとっても使い勝手がいい名前で、鞠野フスキの紹介で調由香里さんに初めて会った時、まるであたしを前から知ってるみたいに歓待してくれたんだよね。四ツ辻の紫子さんの時もそうで、不思議だった」
冬凪が調家をどうやって知ったかと思ったら、そういうことだったんだ。あたしのコミヤミユウはどうなんだろう。
人に好かれる名前だといいけれど。
「何で鞠野フスキは別の名前を付けるんだろ?」
「帰った先とこことに影響がないようにだって。同じ顔した夏波が18年後にもいたら混乱するでしょ」
そうだったんだ。ちゃんと考えて付けてたんだ。
「謂れでもあるのかな」
「昔亡くなった鬼子の名前らしいよ」
実在した人のものだったんだ。
「そんなで大丈夫なのかな。遺族とか、友人とか」
名前を借りるだけならそんなに心配することないかと思いつつ聞いたのだけど、冬凪は意外なことを言った。
「鬼子が死ぬと、普通の人の記憶から抹消されるそうだから大丈夫っぽい」
何、その属性。
じゃあ、鬼子のあたしが死んだらミユキ母さんはあたしのこと忘れてしまうってこと?
鬼子ってそんな悲しい宿命なの? 結構ショックなんだけど。
冬凪、豆蔵くん、定吉くんたちはその場で呆然としているあたしのことなんてガン無視で、さっさと白いスロープを上って行く。
しかたなくあたしも歩き出し棕櫚の植え込みを回ったところで追いついた。そこはもう玄関で巨人の出入り口のようなドアはすでに開いていた。
「ようこそ、皆様。お揃いで」
出迎えてくれたのは高倉さんだった。
視線は当然、あたしの前に聳える豆蔵くんに注がれていたのだった。
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