第34話 大曲大橋の攻防

「今日の探索はやめにしてホテル帰って休もう」

 冬凪があたしの頬の涙をハンドタオルでふきながら心配そうに言った。あたしは、突然放心状態になった場所から少し離れた木陰にしゃがんで心の整理を始めたばかりで何が起こったかすら気が回っていなかった。

「大丈夫。ちょっと目眩がしただけだから」

「全然ちょっとじゃなさげだったけども」

「人柱、早く探し当てないと大変なことになりそうだから」

 と言うと、冬凪は少しだけあたしの意見に耳を傾ける風に見えた。それでも冬凪は一度口にしたことは絶対に曲げない子だから、このままホテルに帰る事になるのは目に見えていた。

「夏波は昨日こっちに来たばかりで、まだ体が慣れてなかったのかも。ごめんね。気をつけてあげなくて。あたしだって初めて来た時、ふわふわ感がなかなか抜けなかったもの。ま、明日もあるし、今日はゆっくり休も」

 あれはふわふわ感とは違ったけれど、体がおかしくなる点で冬凪も同じだったよう。

 さてと、帰ろうと立ち上がったらその場でなよって膝から崩れてしまった。

「立てん」

「あーね」

 冬凪にすがってようやく立ち上がれたものの、これでは数歩進むのでさえ何分もかかりそうだった。

「背負って帰れない事はないけど」

 と冬凪は独りごとを言ったあと、ちょと考えて、

「鞠野フスキにバモスくんで迎えに来てもらおう」

 バッキバキのスマフォを取り出して電話を掛けた。

「20分で来ていただけるんですね。大曲大橋のバス停にですか? 分かりました。よろしくお願いします」

 冬凪は耳からスマフォを離すとぶすっとした表情で、

「ここまで入ってきてくれればいいのに。鞠野フスキってば、あの砂利道はげんが悪いからバイパスまで出てきてってさ。なんなのかね。あの人時々ヘタレなこと言うんだよね」

 冬凪に肩を貸してもらってもと来た砂利道をバス停に向かったけれど着くまでにさっきの倍以上かかった。冬凪はあたしをベンチに座らせてくれてから隣に座った。人心地ついてバイパス道を見ると、この時間帯は空いているせいかどの車もスピードを出して行き来していた。

 冬凪がスマフォを取り出して電話をかけた。

「エリさんですか? 藤野冬凪です。こんにちは。今日の探索の件で相談したいことがあって。はい。中止にしようかと。はい。います。わかりました」

 あたしにスマフォを差し出してきて、

「変わってって」

 手渡されたスマフォを耳に当てると冷たかった。

「変わりました。夏波です」

「夏波、何かあったの?」

 違う次元から聞こえてくるようなエリさんのではない、明るくはっきりとした辻川ひまわりの声が聞こえてきた。

「雄蛇ヶ池で体調が悪くなって、ホテルに戻ることにした」

「分かった。敵に襲撃されたんじゃなきゃ、それでいいよ」

 敵の襲撃? そんなのがいるなら最初から言ってくれればいいのに。あたしが言葉を返さなかったことで察したらしく、

「人柱を埋めた輩が反抗してくるはずだから」

「それってどんな」

「人の形してるけど見ればすぐヤバさが分かる」

 明日の予定を伝えて電話を切り冬凪にスマフォを返す。

「中止でいいみたい」

「辻川ひまわりが出たの?」

「うん。敵に気をつけろって」

「敵? それって、ああいうヤツのことかな」

 冬凪が指さしたバイパスの向こう側の歩道に、ボサボサの簔を着て破れた編み笠を被った小柄な人が3人立っていた。それぞれが編み笠の破れの間から黄色く濁った目でこっちをじっと見つめている。どんよりと重苦しい空気が漂っているのはその人たちの周りだけかと思ったけれどそうではなかった。あたしたちの周囲のもの全てが無表情で味気なく、聞こえる音もずっと遠のいて感じた。まるで別世界にずれてしまったようなこの感覚は、鈴風と乗った辻バスで一度体験したものだった。あの時はあたしだけ成工女のギャルたちが見えていたけれども。

「冬凪にもあれが見えるんだね」

「うん」

 あの時よりずっと心強かった。

 その人たちはバイパスを通る車のことなどいっさい無視して道を真っ直ぐに渡ってこちらに近づいてきた。車のほうもスピードを緩めないけれど、別世界の存在だからなのかまったく衝突しないのだった。そして中の一人が中央分離帯を越えたあたりで、あたしはこいつらが相当ヤバいことに気がついた。簔の藁の間からいくつもの生首が覗いていて、その一つ一つが

「ともがらがわざをまもらん」

 と同じ事を呟いていたからだった。

「冬凪。逃げたほうがよくない?」

「逃げるっても後ろないから」

 そう言えばこのバス停は大曲大橋の真ん中、つまり雄蛇ヶ池の真上にあるのだった。水面までおそらく十数メートル。落ちて生きていられるかわからない。

「どうしよう?」

「闘うしかなさそうだよ」

 真ん中の蓑笠がすぐ目の前に迫ったとき、突然蛇のように生首が伸び出して冬凪に食らいつこうとした。冬凪はそれを手で払いつつ横に飛びのいたけれど、他の簔笠が伸ばした生首に制服の裾に食らいつかれて動きがとれなくなった。あたしはそこへ飛びついて両手で生首を抱え冬凪から引き離そうとしたけれど、白目をむき歯がみをしたそいつはまったく外れなかった。そうしているうちに次々と簔の中の首が伸びてきて冬凪やあたしのあちこちに食らいつく。食らいつかれたところに激痛が走って立っていられない。全ての首が発する「ともがら」という言葉がとんでもなく耳障りで最悪な気分だ。

「あたしたち、もうダメかも」

 とあたしが言うと、

「ダメって思わないの」

 と冬凪がいつになく強い口調で言って、

「もうちょっと我慢すれば助けが来るから」

 そろそろ鞠野フスキが迎えに来ていいころだった。鞠野フスキって強いんだろうか? きっと強くないよな。バモスくんに轢いてもらえばなんとかなるかも。あー、この簔笠連中ってば、車と衝突しなかったんだった。ダメかー。そのうち首の一つがあたしの喉に巻き付いて来て絞め上げるものだから目の前が暗くなってきてしまった。あたし、このままあの世へ行くのかな。

 その時だった。目の前で何かが煌めいたと同時に、あたしの体に食らいついていた生首のいくつかがボトボトと地面に落ちた。そしてその煌めきの残像のように薄汚れた別世界に亀裂が入って向こうの生き生きとした景色が目に飛び込んできた。そして次の一閃。今度は冬凪の体に纏わり付いた生首が落ちた。落ちた首が黒い煙となって消え、別世界が徐々に晴れ渡っていく。生首の多くを失った簔笠たちは腹を上にした四つん這いで逃げだし、バイパスの向こうの欄干を越えて雄蛇ヶ池に向かってダイブしたのだった。

 残されたのは髪はぐしゃぐしゃ制服はボロボロの冬凪とあたし、それに二メートルは絶対に越える大男と小柄だけど筋肉でスポーツシャツがはち切れそうな武者髭の男だった。二人の手には銀色に光る細身の刃が握られている。

「おそいよ。ユンボくんたち」

 冬凪が文句を言うと、

「うう」

 大男のユンボくんが申し訳なさそうに唸った。そして冬凪の手を取って立たせたのだった。それを見ていた武者髭の小ユンボくんがあたしを立たせてくれた。わけがわからないまま、

「ありがとう」

 お礼をする。どういうこと? 冬凪に説明を求めると、

「二人にはずっとSP頼んでて」

 と言ったのだった。ユンボくんたちも千福まゆまゆさんの導きでこっちに来ているのだというから頼もしすぎる。

 そこにプップッピーピーという場違いな音が響いた。コアラ顔のバモスくんがこちらに向かって近づいてきていた。それからずいぶん経って蓑笠たちが消えた側の車道にバモスくんが止まって、運転席の鞠野フスキが手を振った。車の流れが切れたのを見計らってUターンをしてバス停の前に横付けした鞠野フスキは、

「みなさん、お待たせー。夏波さん、体調どうですか?」

 と言った。この格好見れば分かりそうなものなのに、この緊張感のなさ。それで、みんな笑ってしまったのだったけれど、鞠野フスキだけはキョトンとしていたのだった。

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