第33話 エンピマン

 ホテルは9時前にチェックアウトした。駅前ロータリーで辻バスの時刻表を見ると、雄蛇ヶ池へ行くバイパス線が来るまで30分近くあったので、朝食をしようとロータリー脇のヤオマン・カフェに入った。コンテナハウスの店内はサラリーマン風の男の人が出口近くに二人いるだけだったので席を取る前に注文しても余裕だった。冬凪は生ハムサンドとカフェラテ、シナモンで! あたしはスクランブルエッグ&トーストとカフェラテ、シナモンで! この店は18年後にもあって、カフェラテにデフォで山椒粉をぶっかるのは知っているので、しっかりと念押ししておく。シナモンで! 冬凪とあたしが一番奥のカウンター席に荷物を置きに行っている間に注文した物が出来たようでバーカウンターに取りに行って、出てきたカップの中をしっかり確認して席に戻る。

「確かバイパスって雄蛇ヶ池の上を通ってなかった?」

 バイバスは辻沢駅の西に位置する宮木野神社近くから南下して、大曲大橋で東に向きを変えN市に抜ける道だ。その大曲大橋が雄蛇ヶ池に架かっているのだった。

「バイパスからどうやって池まで下りるの?」

「橋が終わる所に砂利道があってそこから池端まで下りられたかと」

 知らなかった。冬凪はそんなところまで調査してるんだろうか?

「詳しいね。あたしなんか辻沢に通ってるけど、あっちに行ったことないから」

「夏波はミユキ母さんに禁止されてたからね」

 そうなのだった。小学生の時、お友達とチャリで行く予定を話したら、

「雄蛇ヶ池だけはダメ」

 と秒で反対された。理由を聞くと、

「泳げないでしょ」

 と言われてその時は納得したけれど、プールは行ってよかったのはどうしてなのかと今になって思う。

「ん? 夏波禁止されてた? じゃあ、冬凪は行ってよかったの?」

「いいって言うか禁止されてなかった。夏波には内緒で何度か友だちと遊びに行ったりした」

 冬凪は申し訳なさそうに白状した。冬凪とあたしとを同じに育ててくれたミユキ母さんのことを疑いはしないし、冬凪を羨ましがったり怒ったりはしないけど、とりあえず、その生ハム一枚ちょうだい。

「はい。どうぞ」

 冬凪が生ハムを指でつまんであーんしてくれた。

「あいがとふ」

 塩味がほどよく効いてておしかった。

  カフェラテにシナモンが掛かっているかもう一度確認してからスクランブルエッグを食す。いきなりピリピリきた。くっそ。つぶつぶ、胡椒かと思ったら山椒だった。このころの辻沢にいる以上、山椒がどこまでも追いかけてくる。

 N市行きの辻バスが駅前ロータリーに入ってきた。発車まで3分だったのでヤオマン・カフェを急いで出る。この時間はバイパス経由でN市へ行く人は少ないのかバス停に並んでいるのは中年の女性が4人だけだった。みなさんお仲間らしくずっと喋っている。

「ゴリゴリカード渡しとくね。3000円入ってるから乗る時使って」

 冬凪がくれたのは、辻川町長が自分の趣味で作ったプリペイドカードで、宮木野線沿線の8女子高の夏冬制服を着た女子高生がプリントしてあるシリーズ。あたしのは桃李女子高の冬服バージョンだった。それを見てたら「♪桃李もの言わざれど下自ずから蹊を成す」と何故か他校の校歌が口をついて出た。冬凪が不思議そうに見ているのに気づいて

「あ、あとで払うね」

「それ、エリさんが来庁記念にくれたやつだから」

 じゃ、遠慮なく。

「大曲大橋まで」〈♪ゴリゴリーン〉

 一番後ろの席はやめて、出口近くの二人席に並んで座った。あたしたちの前にいた女性たちは、前のほうに座って会話の続きをしている。バスが発車する時間まであたしたちより後に乗って来る人はいなくて女性たちの声だけが車内に響いていた。

 バスはロータリーを出ると右折して、一旦宮木野神社に向かう。宮木野神社前のバス停から市街地を抜け前方に田んぼが広がる交差点で左折すると、そこからがバイパス通りだ。交通量が増えてバスのスピードも上がった。開け放たれた窓から稲くさい風が入ってきた。それでも前の座席の女性たちの話声はかき消されることなく聞くともなく聞こえてくる。

「また出たって」

 こちら側に座る小柄な女性が話題を変えた。

「何が出たっての?」

 応えたのは横のずっと笑顔の女性だった。続けて大柄で赤い髪の女性が、

「あれでしょ。シャベル男」

 一番遠くの席の派手な見た目の女性が、

「あたしも聞いた。先月いなくなった清州女学館の子が西山に埋められてて、見つかるようにわざわざ赤い取っ手のシャベルが刺してあったんだって」

 ずっと笑顔の女性が、

「いやーね。いつになったら捕まるのかしら」

 小柄な女性が、

「ここの警察、やる気ないからね」

 大柄な女性が、

「うちの娘にも気をつけなさいって言ってるけど」

 食い気味で派手な見た目の女性が、

「山形さんのお子さん、女子高生だったわね」

 大柄な女性が、

「お金あったらSP付けたいくらいよ」

 派手な見た目の女性が、

「そんなんじゃダメよ。ヴァンパイアが敵わないくらい強いんだってから」

 女性たちにため息が漏れた。

「エンピマンのことだよ」

 冬凪が耳打ちしてくれた。

 エンピマン。ライフハックの防衛術の授業で何回も耳にした名前。女子高生ばかりを狙うシリアルキラー。殺し、解体、穴埋め、全てをエンピ一本でやってのけるからその名が付けられたという。てか、シャベルで解体ってどういうこと?

「清州女学館の子って」

「多分、バラバラ」 

 背筋が寒くなった。

 女性4人は途中のバス停で全員下りて、代わりにサラリーマン風の男の人が何人か乗ってきて車内の雰囲気が一変した。バスが出発してしばらく、近くに座ったおじさんが冬凪とあたしの事をジロジロ見てるのに気がついた。

「何、あのおじさん。エンピマンじゃないよね」(小声)

 と冬凪に言うと、

「違うと思うよ。あたしたち夏服着てるし、こっちでは今授業の時間だし」(小声)

 そうだった。てっきり夏休みの気分だった。異分子はあたしたちの方だった。

〈♪ゴリゴリーン 次は大曲大橋です。雄蛇ヶ池に降りてもスケキヨにならないよう、お気を付け下さい〉

 またスケキヨ。このアナウンスって鞠野フスキの発案なの?

 バス停から橋のたもとまで歩いてバイパスを渡った。欄干が切れたところから池端に下りることができる坂道になっていた。

 冬凪の後についてあたしもその砂利道に足を踏み入れる。池が近いというのにここは乾燥しているのか道ばたの雑草が白い埃を被っていた。敷かれた砂利の粒が大きいせいで足を取られて足首を挫きそうになる。でも、ここからの雄蛇ヶ池の眺めはエメラルドグリーンの水面が美しかった。周囲を深い広葉樹林に囲まれていて風もなく静かそうだ。ただ、何かを探そうとすれば結構な広さがあって苦労しそう。

 突然、前にここに来たことがあると思った。あたしはここに一度来たことがある。そんな気がしてきたのだった。デジャヴュだ。これまでも何度か経験はあるけれど、それは大概、夢で見たことを思い出しんだで済む程度だった。今回のは強烈だった。体が震えだした。右の薬指に激痛が走った。あたしはその薬指を目に近づけてみた。

 赤い糸が、それまで見えなかった赤い糸が薬指の根元にがっちりと結びつけてあって、そこから虚空に伸びて消えていた。いや、その先に誰かが見えた。それはあたしの知っている人だった。

 ―――ユウさん。

 ユウさんはどこかの道ばたに疲弊しきった様子で倒れていた。あたしはそんなユウさんをなんとかしたくて赤い糸をたぐり寄せようと思ったのに体は正反対のことをした。薬指を咬み千切って雄蛇ヶ池へ放り投げたのだ。それと一緒に赤い糸が池の水面に吸い込まれて行くのが見えた。

「夏波! どうしたの?!」

 冬凪が両手で肩を掴んで揺すっていた。あたしは砂利道に膝をついて放心していたらしい。うずく薬指を見てみた。そこには元通り指がついたままだった。

「そうか。だからあたしには赤い糸が見えなかったんだ」

 そうつぶやくと、涙が止まらなくなってしまった。

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