第32話 鞠野フスキ

 冬凪とあたしが鞠野フスキがいる席に移動すると、真っ赤な顔で、

「辻女に帰っても食べるものがないと気づいてね。コインパーキングにホンダ・バモスTN360を置いて居酒屋に入ったら酔っ払っちゃって、今冷ましてるところ。ハハハ」

 と勝手に言い訳を始めたのだった。そんなん知らんて。

 お水とメニューとが運ばれて来ると、鞠野フスキがそれを店員さんから受け取って、

「何でも好きなの注文しなさい」

とあたしにメニューを手渡した。冬凪に、いいの? と目でサインを送って確認をしたら、全然オッケーと目で言ってきたので、遠慮無く注文することにした。メニューを見ると、上の方に「パスタ始めました」と書かれたラベルが貼ってあった。いったい今まで何を提供していたんだろう。ピザ専門店だったのかな。それで始めたばかりのパスタのページを見てみると、流石は辻沢だけあって一番最初に山椒スパが大きく載っていて、山椒の実がコロコロとパスタの上に転がしてある写真が付いていた。これはパス。カモミールスパゲッティだのスカンポピザだのこの時には流行だという雑草系も無理。結局、あたしは芋ジャーであることを最大限生かしトマトソースが飛び散る前提でナポリタンを、冬凪はタラコスパを注文した。

あとカフェラテ二つ(シナモンで! 笑)。

 しばらくして店員さんがトレーを持って来て、

「ナポリタンの方は?」

 手を上げる。

「タラコスパの方は?」

 冬凪が手を上げる。そしてカフェラテが二つ。カップの中を見ると明らかにシナモンでない粉が浮いていた。

「追加の山椒はそちらのものをお使い下さい」

 店員さんが壁際の調味料ボックスを指して言った。くっそ、ここもデフォで山椒をぶっかける店だったのか。

 注文したものがそろったので、

「「いただきます。ごちそうになります」」

 と言って食べ出した。ナポリタンを口にして最初にピリピリっと来た。隠し味に山椒粉が使ってあるようだ。

「なんで山椒をナポリタンに入れるかね」

 独り言を言ったつもりが鞠野フスキがそれを受けて、

「どうしてだと思う? 冬凪さん」

 と逆に質問してきた。

「ヴァンパイア除けです。辻沢のヴァンパイアは山椒が苦手という通説があります」

 このことはいつか聞いたことがあった。辻沢では山椒を嫌うヴァンパイアのために料理に何でも山椒を使うと。辻女に通うようになってから、そういう場面に出くわすことはあった。でも、これほど密ではなかった気がした。

「そんなにヴァンパイアが頻繁に出るの? この時代」

 最後のところは声を小さくして言った。

「この時代に関わらず辻沢では年間十人以上が行方不明になってる。それはほとんどがヴァンパイアのせいと噂されてる」

 そんなに。

「その人たちってどうなったの? やっぱり見つからないの」

 と聞くと、鞠野フスキが、

「みんな屍人になって青墓の杜や地下道を彷徨ってるよ」

 と答えた。そして、

「だから鬼子は忙しいんだ」

 鞠野フスキの口からその言葉を聞いて、この人が残した『辻沢ノート』の鬼子のメモ書きを思い出した。それで今あたしが疑問に思っていることを聞いてみた。

「鬼子っていったい何なんですか?」

 鞠野フスキは一旦、冬凪に目を向けて肯くのを確認してから、

「僕も全てを知ってるわけではないよ。でも調査した範囲で言うとだね」

 ともったい付けてから、

「潮時のことは知ってるかい?」 

 それはつい今さっき冬凪に聞いたばかりだった。

「はい」

「潮時にあの世とこの世が近づくということも?」

 それは知らなかったので頭を横に振って応えた。

「潮時になると、いつもは全く別の時空に存在する二つの世が月の魔力によって引き寄せられる。するとそこに死にきれぬ者たち、亡者たちが寄り集まってくるんだ。屍人や蛭人間、地縛霊のことだよ」

 そうだったんだ。

「その亡者たちをあの世に送るため、鬼子は潮時に発現して滅殺して回る。だから三途の川の奪衣婆という人もいる」

 ダツエバって初めて聞く言葉だけど、なんだかおどろおどろしげだと思った。冬凪にダツエバって? と聞いたらバッキバキのスマフォで検索かけて画像を見せてくれた。それは薄汚れた衣を着た顔色の悪い山姥みたいな姿だった。これなの? 十六夜やあたしがこんなのだっての? 酷すぎ。

「まあ、奪衣婆って言ってるのは僕だけなんだけどね」

 は? なんなのこの人。

「鬼子が辻沢のヴァンパイアが殺した屍人をあの世に送る役目を担わされてるとすると、眷属のライカンスロープとも言えるね」

 ライカンスロープ。人獣か。そっちのほうがなんぼかいいけど、にじみ出る底辺感がなんか嫌い。

 冬凪とあたしがスパゲッティを食べている間中、鞠野フスキは真っ赤な顔で鬼子やヴァンパイアについての持論を展開し続けた。興味はあったけど、あたしの脳内でVゲーニンのサンプリングギャグがリフレインしていたため耳に入らなかった。「ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ。ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ。ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ」って。

 ナポリタンを食べ終わり、カフェラテの上の山椒粉をスプーンで掬って取って、調味料入れのシナモン粉をふりかけ直した。シナモンの容器の中身はなくなりかけていたから、みんな山椒は遠慮したいのだよ。

「で、辻川ひまわりは何て言ってた?」

 公園で辻川ひまわりに会ったことを鞠野フスキに話していないのに、いきなり核心に触れてきたので驚いた。やはりミユキ母さんが指導教官に選ぶくらいだから、いい加減そうに見えて押さえるべきことは押さえる人なのかもしれない。それであたしは辻川ひまわりが言ったことを鞠野フスキに伝えた。

 ・辻沢には何者かによって人柱が埋め込まれていて、それをブッコ抜かねば大変なことになる。

 ・人柱は複数あるようだけれども、今のところは一つだけ場所が分かっている。

 ・ブッコ抜く方法どころか、ブッコ抜けるかすら分からないから行って確かめるしかない。

「辻川ひまわりはどうやって人柱の存在を知ったか言ってたかい?」

 あたしも公園でそのことを聞いて見た。すると辻川ひまわりはベンチに座ったまま虚空をにらみつけ、

「自分でもどうしてか分からないけど、ウチはこやって目をこらすと空間に隙間があるのが分かってね。その中を覗くとぼんやりと何かがあるのが見える。で、それは多分人柱なんだ」

 と話してくれたのだった。どうしてそれが人柱だと思うのか気になったので聞くと、

「理由なんかないよ。そうとしか言えないだけ」

 と言った。ならばそれはそういうこととして、

「なんでそれをブッコ抜かねばいけなんです?」

「そんな気がする。でも、この直感は当たってるっぽい」

 と笑顔で応えたのだった。

「そうか。じゃあ、分かっている場所というのも?」

「それははっきりと言ってました。雄蛇ヶ池だそうです」

 雄蛇ヶ池というのは青墓の杜の北に広がる貯水池で、江戸時代より前に作られ、これまで干ばつでも干上がることがなかったことから、辻沢を取り巻く名曳川や虎御前川とはまったく異なった水源を持っていると言われている(『辻沢ノート』より)。

「それで雄蛇ヶ池へ行くことになったのですが、辻川ひまわりは明日の夕方過ぎじゃないと同行できないって言ってました」

 と伝えると、鞠野フスキは、

「そうか、なら我々だけで昼のうちに前調査しておこうか」

 でも情報なんにもなしでどうやって調べるのだろう。すると冬凪が、

「何に見当付ければいいんでしょうか?」

「やっぱり、柱なんじゃないかな。スケキヨみたいなのが池に生えてるとか。ハハハ」

 柱っていっても柱なんだし、スケキヨとはいったい。冬凪がバッキバキのスマフォで「スケキヨ 池」で検索かけて画像を見せてくれた。その画像では冷たそうな池で人が逆立ちして二本の足を突き出していた。これを探せと?

 冬凪が何かに気がついた様子で、

「先生、明日学校は?」

「そうだった。僕も夕方まで仕事だった」

 鞠野フスキは決して多くない髪の毛を掻き上げながら、

「二人で大丈夫、だよね」

 それしかないと思うし、鞠野フスキがいてもいなくても一緒のような。

「ヤオマンガリータ」の雑居ビルの下で、

「「ごちそうさまでした」」

 と挨拶して鞠野フスキと別れた。コインパーキングがあるヤオマンHDの旧本社ビルのほうに歩いて行く鞠野フスキを見て、

「18年前って酔っ払い運転ゆるかったの?」

 と冬凪に聞いてみた。お酒飲んで少し冷ましたぐらいじゃ引っかかるって聞いたことあったから。

「いいや。あたしらの時と変わんないよ」

「平気なの?」

「あ、鞠野フスキお酒ダメで一滴も飲んでないから」

「え、居酒屋でって」

「あれは居酒屋のお酒くさい空気にやられたってことみたい」

 でも、なんかふらついて見えるのはなんでだろ。

「鞠野フスキって、18年後」

「いない。でも自分の未来は知りたくないって言うから話してないよ」

 そうなんだ。



MS脚注

「ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ」(c)千鳥 大悟

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