第2章 辻沢のあのころ

第31話 異端の鬼子

 広報兼町長室秘書のエリさん改め、ヴァンパイアの辻川ひまわりと共闘の約束をしたあと、一人でヤオマン・INに戻るため線路沿いの道を歩いていたら、


「おい、そこのJK!」


 と後ろから声を掛けられた。立ち止まって振り返る間に、数人の男が一定の距離を保ってあたしを取り囲んだ。


全員、頭に不格好な三角の帽子を被り手に歪な棍棒を持っている。


正面の若い男に目をやるとあたしの顔を見て一瞬たじろいだ。


そしてそれはすぐに全員に伝播したのが分かった。


すぐさま若い男が全員の怖じ気を払うように声を上げた。


「こんな時間に季節違いの制服。付けてみれば、やっぱりだ」


 それに続いて右隣の男が、


「しかし、この顔は蛭人間や屍人じゃないぞ」


 最初の若い男が叫ぶ。


「リファレンス係、制服はどこのもんだ?」


 その左横の男が大きなリュックを下ろし、中から分厚い紙本を取り出してページをめくり出す。


そして中程のページで、


「辻沢女子高校の夏服のようです」


 と報告した。


「辻女か。ますます、らしくなってきたな」


「ああ、こいつは妓鬼だ。間違いない」


 その影に隠れるようにしている痩せた男が、


「俺たちまだ蛭人間殲滅ステージもクリアしてないのにヴァンパイア相手って」


 と言ったがその声は震えていた。


どうやらそれがあたしから距離を取って近づいて来ない全員の気持ちを表わしているようだった。


数秒の後、背後から別の男が、


「青墓の青つながりでもしやと思って青物市場に探索に来たらヴァンパイアにエンカウントだ。俺たちは今ものすごく付いてる!」


 と言うと、最初の若い男が全員を鼓舞するように叫んだ。


「そうだ。これは千載一遇のチャンス。絶対ものにするぞ! スレイヤー!」


「「「「スレイヤー!」」」」


 一斉に叫ぶと、中の二人が襲いかかってきた。


 こんなに大勢の男の人に囲まれたら怖いはずなのに、あたしは妙に落ち着いていた。


どう反応すれば分かった上に動きがものすごく遅く見えたから。


走り寄ってくるのも棍棒を振りかぶるのも全部の動作がゆっくりだった。


最初に攻撃を繰り出してきた男の棍棒を掴んで取り上げるとその男は転んで尻餅をついた。


次に体当たりしてきた男の頭を除けて首後ろに手刀をたたき込むと突っ伏しながら地面に這いつくばった。


その拍子に不格好な三角の帽子がすっ飛んでけたたましい音を立てて割れた。


それはすり鉢だった。


それを逆さにして被ったもののようだった。


もしやと思って奪い取った棍棒を確かめるとスリコギ棒で、いくら辻沢の特産だってこんな所まで山椒かとあきれた。


二人を倒したことでその後の攻撃にためらいが見えた。


あたしは全員を打ちのめすつもりは無かったので、出来れば向こうから逃げてくれればいいと思った。


でも最初の男は皆腰が引けているのに撤退を決断しないリーダーらしく、


「ひるむな。ここで引けば男が廃るぞ!」


 まったく話にならなさそうだった。


ならばと体の奥底から湧き上がってきた凶暴な欲動を解放することにした。


その時だった。


「逃げるよ!」


 いつの間にか戦いの輪に割って入ってあたしの腕を掴み、その場から引き剥がしたのは冬凪だった。


あたしは、あっけにとられて動けなくなった男たちを置いて辻沢駅前の雑踏に紛れ込んだのだった。


 それから30分が経った。


「冬凪、もう出てもいい?」


「鏡見て。元に戻った?」


「まだみたい」


「じゃあ、ダメ」


 ヤオマン・INの部屋に戻った途端、バスルームに押し込められた。


出ようとしたけれどドアの向こうからものすごい力で引っ張っているらしくびくともしない。


訳も分からず便座に座って鏡を見ると、そこに映ったのはあたしの顔ではなく、あの時の十六夜と同じ獣の顔だった。


「夏波は鬼子なんだよ」


 辻川ひまわりはあたしの腕を切り裂いて一瞬で元に戻る様を見せて言った後、自分と組んで辻沢にある人柱をブッコ抜こうと言った。


それが十六夜を解放することになるのならと、あたしはそのオファーを受けたのだった。


「ねえ、辻沢の人柱ってなんのこと?」


 ドアの外にいる冬凪に聞くと、


「分からない」


 と素っ気ない返事が返ってきた。


あんなに辻沢のことに詳しい冬凪でも18年前となると分からないこともあるのだろう。


いや待てよ、冬凪が今調査しているのは18年前に辻沢で起こった事件だったはず。


「冬凪が調べてることと関係ないのかな?」


「要人連続死亡事案のこと? どうかな」


 ひどく疲れた声に聞こえた。


「疲れてる?」


「いいや。疲れてないよ。ううん、疲れてるかも」


 どっちなのかな。


それからしばしの沈黙。


鏡を見ると、裂けていた口も閉じて銀色の牙が端から少し見えているくらいで、ほぼほぼ元に戻っていた。


「なんか。元に戻ったみたい。開けてくれないかな」


「分かった。ドアから離れてバスタブの中に入ってて」


 オーケイ。便座から立ってバスタブに移動する。


「いいよ」


 ドアがゆっくりと開いて冬凪がバスルームの中を覗いた。


その途端に、


「おっと!」


 と再びドアを閉めた。そしてドアの外から、


「正直に報告しようよ。牙生えてるじゃん」


 あ、それじゃダメだったんだ。


「ごめん。もう少しこうしてるね。でもそろそろ出してくれないと、お腹ペコペコなんだけど」


「ひっ!」


 外から小さな叫び声がした。


 牙も消えてもとのあたしの顔に戻ったのは、それから15分くらい経ってからだった。


ようやく冬凪はあたしをバスルームから解放してくれたのだけれど、部屋の隅のほうに避けて近づこうとはしなかった。


「あたしが怖いの?」


 答えは分かっていたけれど聞いてみた。


「正直怖い」


 目を見てくれないのが悲しかった。


「鬼子だから?」


 そう言うと今度はあたしの目をじっと見つめて、


「知ってたんだ。どうして?」


 それで辻川ひまわりがあたしにしたことと、十六夜の獣姿のことを話して聞かせた。


「そうだったんだ。でもあたしが知ってる鬼子は潮時といわれる満月と新月とにしか発現しない。今は潮時でないのに夏波は発現した」


「異端だから怖いの?」


「異端の鬼子ね。それもあるけど、夏波とあたしとはエニシで繋がれていないから」


「エニシ?」


「鬼子と鬼子使いの赤い絆のことだよ」


 冬凪は鬼子と鬼子使いとの強い結びつきのことを話してくれた。


「こうして右手の薬指に目を近づけると、うっすらと赤い糸が結わえてあってその先が虚空の中に消えているのが見える。これはあたしの片割れの鬼子に繋がってる」


 あたしも自分の薬指に目を近づけたけれど何も見えなかった。


「冬凪の片割れの鬼子ってもしかして」


「そうだよ。前園十六夜」


 続けて冬凪は、


「十六夜の解放を手伝って欲しいと夏波に言われたとき本当にうれしかった。あたしにはどうすることも出来なかったから」


 そう言って泣いたのだった。


 しばらく冬凪のすすり泣きが続いた。


窓の外の夜空に半月が傾いているのが見えていた。


 冬凪が泣き止んだので言ってみた。


「お腹すかない?」


「ひっ!」


 大丈夫だから。そもそも鬼子って人を喰ったりするの?


「外に食べに行こうよ。結構寒いから制服は着替えた方がいいかも」


 冬凪はシャワーを浴びた後、外にあたしを迎えに行くためにわざわざ制服に着替えていたのだ。


「3日の予定だったから、外着はこれと学校ジャージしか持って来てない」


 マジか。


冬凪に着換えを任せるんじゃなかった。


うっかりしてた、冬凪はフィールドワークのことしか頭になくって服なんて一週間同じでも平気って言う子だった。


それでいてテントとか寝袋とかはちゃんと持って来てるんだろうけど。


「じゃあ、それ出して」


 冬凪が登山用のリュックから芋ジャー上下を出して渡してくれた。


さっそくそれで寒くないコーデする。


「こうやって制服の上から芋ジャー着て、スカートの下にも履いたら寒くない」


 あたしのコーデを見た冬凪が、


「それって、この時代のJKがよくやってる格好。草はえる」


 と珍しく死語構文で言った。


「いいじゃん。らしくなれたってことで」


 ホテルのロビーからすり鉢頭の連中がいないかしばらく観察していた。


もういなさそうだったので外に出ると駅前は先ほど以上に人が多くなっていて、地上階にあるお店はどこも混んでいた。


ファミレス・ヤオマンはここからかなり歩かなければならないし、途中でまた鉢頭の連中に再会っていうのもいやだったので、雑居ビルのエレベーターを上ったり降りたりして空いてるお店を探した。


「あの連中は何者?」


 エレベーターの中で冬凪に聞いてみた。


「あれが『スレイヤー・R』のプレイヤーだよ。数人でパーティーを組んでヴァンパイアを狩るリアルゲームの。プレイフィールドは青墓の杜限定のはずなんだけど、ああして街中に現れて迷惑行為に及ぶんだ」


 それでか。


でもあの人たちの殺気はゲームという感じではなかった。本当に殺されるかと思ったから。


「怖かったよね。実際事件や事故が結構あるんだよ。プレイヤーも一般の人も」


 なんでそんなゲームが野放しになってるの? と聞こうとして、ここが辻沢だということを思い出して呑み込んだ。


辻沢では何でも起こる。


「あの人たちあたしをヴァンパイアって言ってた」


「多分ヴァンパイアを見たことないんだよ。鬼子はさらに知られてないから」 


 エレベーターのドアが開いて出たところは「ヤオマンガリータ」というイタリアンっぽいレストランで、店の前に順番待ちの人もなく、これまでで一番空いてそうだった。


「ここでよくない?」


「いいと思う」


「2名お願いできますか?」


 冬凪がレジの人に聞くと、すぐ案内された。


 店内は奥に行くほど広く、白を基調とした配色で雑居ビルのお店にしては明るかった。


他のお客さんはちらほらといるばかり、みんなピザとかスパゲッティーとかを食べている様子。


「こちらでよろしいですか?」


 と言われた中程のボックス席に着こうとしたら、後ろから、


「藤野姉妹!」


 と声が掛かった。


振り返ると一番奥の端の席で手を振っている人がいる。


「こっちにいらっしゃい」


 手招きをしたのは真っ赤な顔をした鞠野教頭先生だった。


お酒を飲んだ後なのだろう。


なんかもう教頭先生って感じしなくなってきたから鞠野フスキでいいや。


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