【第1章 完結】第30話 辻川ひまわり

 9階の窓の外に現れたエリさんに一人で駅裏の公園に来いと言われたので、トレーナーから制服に着替え、冬凪がシャワーを終える前に部屋を出た。


心配するといけないのでコンビニで買い物して来るとメモを残した。


エレベーターに乗ってそれがすぐばれる嘘だと気がついた。こっちのコンビニではリング端末は使えないし冬凪はあたしが現金を持っていないことを知っているから。


でも今さら戻ってこれこれこうと説明するのも面倒なのでそのままでいいことにした。


ちょと心配するかもだけど帰って説明すればいいことだし。


 公園に行くのには駅構内を通れないので公園とは反対の青物市場側の高架下をくぐって大回りしなければならなかった。


駅裏の公園は通称「ふれあい過ぎ公園」。カップルがイチャイチャしてることが多いからそう呼ばれているけれど、本当の名称は知らない。


公園の入り口まで来るとそこに行方不明の少女のことが書かれた立て看があった。


その時着ていたマイメロメロのパジャマの写真も掲載されている。


ビニルが破れ、ずっと雨ざらしになっていたため苔が生えて詳細の文章までは読めなかった。


辻沢では誰かがいなくなるなんて珍しくはない。


少女だったり、女子高生だったり。


いなくなれば青墓の杜や地下道に捜索の手が入るけれど決して見つかることはないのだった。


「帰ってきた」辻川町長もその一人だった。


今から会うエリさんが辻川ひまわりならば、行方不明だった6年間の真実を聞けるかも知れない。


 公園の中はテニスコートほどの空間で端にバスケットのゴールが一つだけあった。


他には遊具もなく、真ん中の電灯の周りに植栽があってそれをぐるりと取り巻くベンチがあった。


公園内にエリさんを探したけれどあたしのほうが先に来たようだった。


ベンチに腰掛けて待つことにする。


そこから柵の向こうにあたしが歩いてきた道が見えていた。


 制服を着てきたものの、まだ五月、半袖では寒かった。


時折吹いてくる風に乗って甘い香りが漂ってきていた。


周りを見ると公園のすぐ後ろがニセアカシアの林だった。


釣り鐘状の小さな白い花がいっぱい咲いていて、昼ならば花の近くでクマバチがフォバリングしいるのが見えるだろう。


 前に向き直ると隣に気配があった。


そして強烈なニセアカシアの香りが鼻を襲った。


「お待たせしました。コミヤミユウさん」


 その声は、どこか遠くから聞こえてくるような不思議な響きをしていた。


町長室で聞いたエリさんの声だった。


「あなたは広報兼町長室秘書のエリさん? それとも制服聖女エリですか?」


 あたしはエリさんに向くように座り直した。


そしてそこにいるのが広報兼町長室秘書でも制服聖女でもないことを知った。


黒いスーツスカートでなく辻女の制服を来ていたからではない。


黒髪が胸の下まで垂れていた。


血管が青く浮き出たこめかみをしていた。


瞳が金色だった。


口元から銀色の牙が見えていた。


そして背中に巨大な羽根が生えていたからだ。


「改めて自己紹介。ウチは辻川ひまわり。見ての通りのヴァンパイアだよ」


 と口を開けて銀牙を伸ばしたり引っ込めたりした。


ヴァンパイアを目の当たりにして怖いより先に、牙って自由に引っ込めたりできるんだと感心していると、


「あんたは本当は藤野夏波って言うんだろ。あ、先生とか妹さんに教わったんじゃないよ。辻沢のヴァンパイアは心が読めるんだ」


「先生が急にあの名前を言ったから。ごめんなさい」


 と謝ると辻川ひまわりは不思議そうにあたしの顔を見て、


「そっか。知らないのか。なんでその名前なのか。ま、いいか。あの二人があんたをウチに会わせたってことはそういうことだろうし」


 と言った。


そして突然あたしの前腕を掴んで内側を上に向けた。


あたしが驚いてされるままにしていると、辻川ひまわりは恐ろしくとがった爪をあたしの腕の柔らかい部分に当て、一気に引き裂いた。


激痛が上腕を駆け上がり脳を突き上げる。


息を呑む間もなく鮮血がほとばしり出るのを見て瀉血を思い出し、文字通り血の気が引いていく。


あたしはもう一方の手で肌の裂け目から玉の緒が流れ出るのを止めようしたけれど、辻川ひまわりはその手を掴んで邪魔をする。


それがあたしの胸元で前屈みになる格好だったから、ヴァンパイアが食欲を満たそうとしているかと思い、藻掻いて掴んだ手を振り払い逃げようとした。


でもダメだった。


辻川ひまわりだって同じ辻女の制服を着ているのに、あたしの何百倍もの強力で押さえつけてきて動けなかった。


「じっとして」


 と辻川ひまわりは言って体を起こした。


それであたしも裂けた腕が見えるようになった。


直視できず背けた目の端に入った傷は最初ほど酷く出血はしていなくて、見ているうちに徐々に出血は止まっていった。


そして引き裂かれた傷も自然と塞がれていって、最後はもとの何もない白い肌に戻ってしまったのだった。


それどころか前以上のツヤ肌になっていた。


「どういうこと?」


「そうか。これも知らされてなかったのか」


「何を?」


「あんたが鬼子だってこと。このヴァンパイア並みの再生力。今のあんたの顔は、瞳は金色、鼻は横に潰れて、裂けた口から銀色の牙が出ている」


 それが十六夜が獣になった時の顔と同じだということは分かった。


あの水の底で「ボクらは沈まない」と十六夜に言われてから何度か自分のことを鬼子ではないかと思って来た。


でも確証がなかった。


それが今まさに、一瞬で真っさらに戻った自分の腕が証明していた。


 辻川ひまわりはあたしの腕をはなして、横に座り直した。


「さて、ヴァンパイアと鬼子がこうして対面して何をするかだけれど」


 そう言われてあたしは身構えた。


今度は本当に襲われるかと思ったのだ。


でも、辻川ひまわりはあたしの顔を見つめているだけで何もしなかった。


そしてその顔はもうヴァンパイアではなく、もとの広報兼町長室秘書のエリさんに戻っていて、背中の羽根もなくなっていた。


「ヴァンパイアだけでは解決できない辻沢の問題を、協力して解決するってのはどう?」


「ひまわりさんとあたしが協力してですか?」


「そう。先生や妹さんはそのつもりでウチに会わせたみたいだし」


 あたしは冬凪に十六夜を解放するのに協力して欲しいと頼んだ。


その手段がこれなのだとしたら、そのオファーを受けない訳にはいかないと思った。


「わかりました。協力します。で、あたしは何をすればいいのでしょう?」


「そうだな。あんたとあたしの能力があれば、きっと出来ると思うんだけど」


 と辻川ひまわりはあたしの瞳を見つめて、


「人柱をブッコ抜く」


 と言ったのだった。


 ―――人柱。


 それが誰のことか、どうやって取り除くのか、誰によって何のために埋められたのか、あたしはこれから「あの時の辻沢」で辻川ひまわりと一緒に、一柱ずつ解決してゆくことになる。



【第一部 完】

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