第29話 町長室にて

 町長室秘書のエリさんは議事堂入り口とある、横並びのドアの真ん中の重厚な扉を開けて中に入っていった。そこから緩やかなスロープを歩くと大円盤の上の町長室に出る構造になっているらしかった。町長室は明かりは最小限に抑えられていて暗く、床のフワフワに足を取られそうになった。よく見るとそれは虎の敷物で、ご丁寧に頭までついたものだった。

「こちらにおかけになってお待ちください」

 エリさんは部屋の真ん中にある応接セットを勧めて、奥の扉から出て行った。鞠野教頭先生が長椅子の端に腰掛けたので冬凪が真ん中、あたしが入り口よりに座った。

 ここは町長室のはずだったがどうもそんな感じがしない。というのも、壁にオープンクローゼットがあってその中にびっしりと女子校の制服が並んでいたから。辻女、清州女学館、桃李女子高、成実女子工業高など宮木野線沿線の8女子高の夏冬制服、東京の有名女子高が数組、それ以外にも見たことないセーラー服やブレザースカートがいっぱい。まるでコスプレ風俗部屋のよう。行ったことないけど、きっとこんな感じだろうという意味で。あたしが唖然とそれらを眺めていたからだろう、鞠野教頭先生が、

「辻川町長の趣味だよ。彼は制服フェチなんだ」

 と説明してくれた。先生は普通のことのように言うけれどここは執務室、公私混同甚だしいとはこのことだろう。

 かたや正面を見ると、重厚すぎる執務机に、背もたれが天井までありそうな巨大な椅子、背後のキャビネットの上には真っ黒な木刀、柱には額縁に代紋といった、まるで反社の事務所のようなしつらえだった。

「じゃあ、あの代紋とか木刀とかも趣味ですか?」

「代紋?」

 と鞠野教頭先生が不思議そうな顔をしたのを冬凪が、

「あれは辻沢の町章だよ。木の芽に六つの山椒の実」

 と説明してくれた。そういえば辻沢の町章って、木の芽が特産品を、山椒実が六辻家を表わすって教えてもらったような。

「お待たせしました」

 エリさんがお盆にティーカップとお菓子をのせて奥の扉から入ってきた。

「こちらお紅茶と銀座吉岡屋のマカロンです。お召し上がりください」

「ありがとうございます。いただく前にまず初めてお目にかかるこちらの生徒の紹介を。この子の名前は小宮ミユウ。苗字は違いますが藤野ミユキとは双子の姉妹です」

 とあたしがまったく知らない名前で紹介した。あたしはびっくりして鞠野教頭先生の顔を見たけれどまったく意に介していない様子であたしに挨拶するように促した。冬凪を見たけれども何も反応がない。これは何か特別な事情があるのだろうと思ってしかたなく、

「コミヤミユウと申します」

 と自己紹介した。するとエリさんは、

「道理で藤野ミユキ様に似ていると思いました。そうですか双子ですか」

 ミユキ母さんのことを知っている風に答えた。

「それと、こちらはお土産です。お受け取り下さい」

 鞠野教頭先生はコンビニで買ってき来たものを入れた袋を応接テーブルの脇に置いた。

「これは?」

「お菓子とか飲み物とか。あとTV番組雑誌です」

 それまで極めてクールに見えていたエリさんが、TV番組雑誌と聞いた一瞬だけ、眉をピクッと動かしたのを見た。

「ありがとうございます。大変助かります」

 この程度の物をこんなにありがたがるってどういうことだろう? と思って冬凪の袖を引っ張ると、後でと振り払われた。いろいろ事情があるらしい。

「じゃあ、君たちお茶とお菓子をいただこう」

 鞠野教頭先生がそう言いながら紫のマカロンを取って食べ出した。マカロンって昔に流行ったお菓子だ。実際初めて食べる。あたしは冬凪が黄色のと黄緑のとを取ってくれた中から黄緑のを貰って食べてみた。うーん。すごくおいしいというわけでないな。なんか、ふしゅふしゅするし、食べてる感ない。

「とってもおいしいです」

 冬凪は甘い物が大好きだ。てか、なんでもおいしく食べる。

「それはよかったです」

 お菓子を頂きながら、エリさんと世間話をしていた鞠野教頭先生が、

「それで今日伺ったのは」

 と話を切り出した。けれどもエリさんは、その言葉が終わらぬうちに。

「こちらの生徒さんに辻沢のことを教えて欲しい、ですね」

 と鞠野教頭先生の心を推し量るように答えた。そして辻沢のことを話し出したのだった。

 遊郭のこと。青墓のこと。地下道のこと。宮木野神社と志野婦神社のこと。ヴァンパイア伝承のこと。辻沢ヴァンパイア祭りのこと。とても細かく話してくれたが、辻沢町のHPに載ってる街紹介のコラムとほぼ同じ内容で、あれはエリさんが書いたのじゃないかと思うほどだった。

 あたしはいいとして、それ以上に熟知している鞠野教頭先生や冬凪は退屈しているだろうと思ったが、まったくそんなことはなく熱心に聞き入っている。どういうことだろうか?

 エリさんの話は一時間ほど続き最後に、

「と、こんなところですが、まだ何か知りたいときは、私の個人で使う連絡先をお教えしますので、何なりとご連絡ください」

 と言って締めくくった。それに鞠野教頭先生が、

「ありがとうございました。今日は勉強になりました」

 と挨拶して立ち上がった。本当にこれのために来たの? 十六夜のことはどうなるの? そう思ったけれど冬凪も鞠野教頭先生と同様頭を下げていたので、あたしもそれに倣ったのだった。

 エリさんにエレベータホールで見送って貰って、最上階を後にした。エレベーターの中で、

「エリさんはここから出られないんだよ。だからああやってお土産を持って行くと喜んで貰える」

「でも、コンビニすぐそこだし、お金ないことないよね」

 あたしがそう言うと冬凪は鞠野教頭先生の顔を見てから、

「エリさんは昼とは違う顔を持っててね」

 やっぱりそうだ。

「昼は広報兼町長室秘書のエリさん」

 で、夜は「帰ってきた」辻川町長? いや、今はただの辻川ひまわりか。

「制服聖女エリ。辻沢で行われているバトルゲームのトロフィーキャラ」

 冬凪が説明してくれたのは、そのバトルゲームは『スレイヤー・R』と言って、辻沢をフィールドに行われているヴァンパイア狩りゲームだということ。時に死人がでることもある危険なゲームだが、辻沢町、辻沢署、ヤオマンHDが関わっていて表沙汰にされることはない。そして最後のダンジョンがこの旧町役場で、ゲーマーたちが勝ち上がってくるのを頂上で待っているのが制服聖女エリというキャラなのだった。

「ずっといなければいけないってことはないらしいけど」

 とにかく拘束時間が人の100倍以上なので、羽根でも生えていないと家に帰れないのだそう。

 冬凪とあたしは辻女に戻らず、バモスくんで駅前まで送って貰い、ビジネスホテル、ヤオマン・INに宿を取った。フロントでの前払いの時に冬凪が出したお札が諭吉万札で戻ってきたのが英世千札だったのを見て、ここはやっぱり18年前なんだと思った。

 部屋に落ち着いて、あたしが先にシャワーをしてから冬凪が終わるのを待っていた。この後、駅前で夕食をしようと話していたので、お店を探しつつ窓から辻沢の街を見ていた。刹那、窓の外を人ほどの影が横切った。ここは9階だ。おかしいな、気のせいかなと思っていると、今度は窓の上枠から人の足がゆっくりと下りてきた。あたしは嫌な想像をして窓から飛び退いたが、見ているうちにその黒いスーツスカートの足は、足から腰、腰から腹、腹から胸、胸から首、首から顔と徐々に下がってきた。そして最後に現れた顔を見て驚いた。それはさっき会ったばかりのエリさんだったからだ。 

「コミヤミユウさん。ちょっとお話しましょう。駅裏の公園まで一人で来て下さい」

  そう言うとエリさんは、窓枠の外へスッと消えたのだった。

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