第27話 あの時の辻沢

 月明かりが川面を照らす土手の上を、冬凪とあたしはとぼとぼと歩いていた。

「さっきスマ電した人に会いに行くの?」

 二人が志野婦から逃げおおせてすぐ、千福まゆまゆさんから預かったスマフォで冬凪が電話を掛けたのだった。やっぱりホロ未対応機種らしく耳に当てて使っていた。こんな不便なものをわざわざと思って、リング端末を見ようとしたら時刻さえ表示できなくなっていて凹んだ。

「そうだよ。辻女で待ってる」

 最初、ここはあたしの知らないゴリゴリバース内の辻沢だと思った。時間がおかしかったり、最凶のヴァンパイアが現れたりしたから。ヤオマンHDが作ったゴリゴリバースはリアルさでは群を抜いている。けれど、いくら完璧に辻沢の街をトレースできたしたとしても、そこには不気味なゴーストタウンが広がっているだけだと思う。なぜなら人がそこで生活してないから。大勢の人がロックインしても、その人たちは街の風景にはならないはず。街の息づかいとは関係が無い旅行者だから。そこにAIを配置して生活させたとしても、きっとゲームのNPCのようになってしまうんじゃないかな。

 こうして川の土手を歩いていると、これは本当にヴァーチャルの産物なんだろうかと思えてきた。それはここから見える辻沢郊外の窓のせいだ。あの一つ一つの窓の明かりの中に人の生活を感じる。どの窓にも人の息づかいや人の関わりが想像できる。どんな仕事をしているのだろう。お母さんとの仲はいいのかな。遠くにいるおばあちゃんは元気かな。そういう街の奥深さを感じた。

「いったいここはどこ?」

 冬凪は無言のままあたしの前を歩いていたが、その言葉で振り向くと、

「あの時の辻沢だよ」

 と言ったのだった。

「あの時って?」

 冬凪が遠くに見える辻沢の街中の明かりを指さした。見慣れた町並みが広がっていたけれど、そこにあってはならないものがあった。10階建てほどの三角のシルエット。屋上に銀色の巨大円盤が乗っている。ランドマークになるようにと30年前にデザインされたビル。

「旧町役場!」

 六道園プロジェクトの資料で散々見た、倒壊事故を起こした旧町役場がそこに存在していた。

「そう。ここはまだ旧町役場が倒壊する前、18年前の辻沢なんだ」

 冬凪はあたしの顔をのぞき込み、

「怒ってる?」

 と聞いたのだった。

「怒ってないけど、どういうこと? ゴリゴリバースに再現されたってこと? それとも、まさか」

「そのまさかなんだ。あ、辻女が見えてきたよ。続きは辻女でね」

 冬凪はまたネコ科の動物のように走り出した。おかげであたしもまた全速力でついて行くはめになったのだった。

 辻女に着くと、まず気づいたのが前園記念部活動棟がないことだった。木造一階建ての教務棟と鉄筋三階建ての授業棟、それに体育館という極めてシンプルな構成で、まだヤオマンHDの資本が入る前、県立高校だったころの姿なんだろう。もう時間が遅いのか、職員室の電気も消えていて、玄関右手の窓にだけ明かりが見えた。あそこは謎部屋「やどなおし室」だ。畳敷きで何もないから、何か出ると噂があって誰も近づかない場所。

 冬凪が窓の下の生け垣を跨ぎ越えて窓をたたいた。

「藤野冬凪です。夏波を連れてきました」

「はーい。今玄関開けるから回って」

「行こ」

 と生け垣から出てきた冬凪に、

「挨拶するって」

「そうだよ。これから会う人にね」

 今の声、確かに聞き覚えのある声だった。どこでだっけ。たしか冬凪はあたしも知ってる人って言ってたから。

 玄関に回るとガラス扉の中から解錠の音がして、扉が開いたと思ったら、ヒゲ面のおじさんが笑顔で出迎えてくれた。異様に白い歯だった。誰? 全然知らない人ないんだけど。

「君が藤野夏波くんか。ようこそ辻沢へ」

 あ! 思い出した。あそこでだ。あのナフタリンくさい、紙本ばかりの、

「鞠野文庫の鞠野教頭先生だよ」

「鞠野勇一です。よろしく」

「初めまして、藤野夏波です。よろしくお願いします」

 あたしはこのとき初めて鞠野フスキに会ったと思ったのだった。

 スリッパの音をさせて鞠野教頭先生は廊下を歩き、例の小部屋に入って、

「どうぞ」

 と中に誘った。冬凪がさっさと中に入ってゆくのについて行くと、窓横の壁に紙本が堆く積まれていて今にも倒れてそうだった。その反対の壁には段ボール箱がいくつも積んである。あたしが部屋の真ん中に座ってそれらを眺め「教頭先生はギリ自分の部屋ない」というVゲーニンのサンプリングギャグを思い出していると、鞠野教頭先生は、

「汚くしててごめんね。着任したばかりでまだ辻沢に住むところも見付けられてなくて」

 と言いながら、

「暖かい物飲むでしょ」

 と部屋の隅に置かれた電子ケトルを手に取ったのだった。珍しい。最近見なくなったやつ。

「藤野くんの娘さんに会えるなんてもっと先かと思ってたよ。しかもこんなに大きくなった」

 続けて電子ケトルの横にあった紙コップの束から3個分けると、そこにインスタントココアを入れてお湯をついだ。それを冬凪とあたしに勧めてくれたので、あたしも一口飲んだ。甘くてとても暖かかった。そういえば八月の夜にして外は寒かったなと思い出した。

「五月だもの、日が暮れるとまだまだ寒いよね」

 その言葉であたしは隣に座る冬凪の横顔を見た。それに答えて冬凪が言った。

「先生、夏波に説明してあげてください」

 すると鞠野教頭先生は、

「そうか。夏波くんにはまだ何も話してない?」

「はい。ここがあたしたちがいた辻沢ではないということだけ」

 鞠野教頭先生は、紙コップを手の中で回していたが、僕にもよくは分かっていないのだけれど、と前置きして話し出した。

「何が原因かは僕は知らない。どうやらこれから起きる大きな出来事のせいである場所に時空の歪みが生じたらしい。ブラックホールのようなね」

 と言った後、あたしの顔をじっと見た。それはあたしがその話について何か感じることがあるか図っているようだった。

「それは土蔵のことですか?」

 あたしは土蔵のウォータースライダーのことを思い出した。あれがVRブースでなければTWブース、つまりタイムワープ用の何かじゃないかと思ったからだ。

「その通り。時空の歪みがあの土蔵の中で起こってしまった。たまたま中にいた双子の赤ん坊を巻き込んでね」

「千福まゆまゆさんたちのことだよ」

 冬凪が説明を挟んだ。それに頷いてから鞠野教頭先生は話を続けた。

「彼女たちは、時空に引き延ばされて過去と未来に存在している。いわば時間の入口と出口の守り神なんだ。君たちは彼女たちが時空に作るストリームを通って過去に来たんだよ」

 あたしは鞠野教頭先生の話の全てを呑み込めたわけではなかった。けれど、今はそれでいいと思った。それよりもここにあたしを連れてきて鞠野教頭先生に会わせた冬凪の意図を知りたいと思った。十六夜を解放する何かの手立てがあるはずだから。

「それで、これから何をすればいいのですか?」

 鞠野教頭先生は窓の外を見る仕草をして、

「町役場に行こう」

 あたしは最初、それを現在の町役場のことだと思った。それで、閉庁して誰もいないだろうなどと見当違いなことを考えて、

「そんなところに何をしに行くのですか?」

 と言ったけれど、そういえばここは過去の辻沢なんだと思い直して倒壊した旧町役場のことだと気がついた。

「この辻沢のことをよく知っている人に会いにだよ」

 鞠野教頭先生はそう言うと、ハンガーに掛けてあったウインドブレーカーを羽織って廊下へ出て行った。冬凪もその後について行くのであたしも同じようにした。玄関の外に出ると、

「バモスホンダTN360で行くよ」

 と駐車場の一番端の、フロントだけあってドアも外郭もない小型トラックのほうに歩いて行った。

「先生の愛車のバモスくん。コアラみたいな顔でしょ。ミユキ母さんもクロエちゃんもこれにお世話になったんだよ」

 冬凪は楽しそうに助手席に座ったので、あたしは吹きさらしの後部座席に乗り込んだ。鞠野教頭先生はエンジンを掛けると、

「全速力で行きましょう」

 と出発したのだったが、道に出ても全然スピードは上がらなくて、のたのたと辻沢の街中を進んでいったのだった。不安すぎる。




注)

「教頭先生はギリ自分の部屋ない」(c)ハイツ友の会(2024年4月1日おしまれつつ解散)

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