第26話 ようこそ。辻沢へ

 冬凪は右手にある白漆喰壁の土蔵の扉の前に歩み寄った。そして先週と同じく鏝絵こてえが描かれた漆喰扉に手を掛ける。あたしもそれを手伝いながら、

「あっちは開かないの?」

 と聞いてみた。すると冬凪はそちらにチラリと目を向けた後、

「黒い方は外から開かないから」

 と言ったのだった。ならどうやって入るの?

 格子扉を開けて中に入ると相変わらずヒヤッとした。現場からここまでで掻いた汗がスッと引いた。相変わらず古くさい物たちの匂いと微かな甘い香りがしている。土間で靴を脱いで上がり、床板が滑るので気をつけて進む。冬凪について土蔵の奥へと進んで行くと、前と同じ所に白地に五弁の花が金彩された市松人形が置いてあった。その前まで来て冬凪は正座した。あたしもそれにならって正座する。板床に手を突くと、とても冷たくて心地よかった。横になってほっぺを付けたくなったくらい。

「藤野冬凪と藤野夏波がまいりました。ご機嫌麗しう」

 と冬凪が挨拶すると、最初は無言だった市松人形から声がした。

「「藤野冬凪さん、藤野夏波さん。こんにちは」」

 と相変わらずの二重音声だ。そして前回のように排気音がして市松人形が縦に二つに割れた。

「「狭いので出ますね」」

 と言って市松人形とまったく同じ柄の和服を着た、小学少女の千福まゆまゆさんが出てきて市松人形の開きの横に正座した。そして冬凪に向かって笑顔を作ると、

「「今回の滞在のご予定は?」」

 とまるでホテルのフロント係のようなことを言った。冬凪は冬凪で、

「3日です」

 とこれまた宿泊客のような返事をしたのだった。どういうこと? その大荷物は宿泊用ってこと? 今週はここに泊まってバイトするの? あたしは冬凪の袖をつまんで状況説明を求めたけれど無視。そんな冬凪は背負ったリュックを開けて中から紙袋を取り出してまゆまゆさんの前に置いた。

「これは気持ちの品です」

 やっぱり賂の品だったんだ。

「「ありがとうございます。こちら先にお渡ししておきますね」」

 とまゆまゆさんが袖の中から取りだしたのは画面がバッキバキに割れたスマフォだった。まだ年配の先生とか使ってる人いるけど最近見なくなったスマフォ。なんか画面ちっさくないか? もしかして相当古い機種? ホロ未対応とか?

 まゆまゆさんは目の前に置かれた紙袋の中から物を取り出して、

「「これは! 『楽しい鉱物図鑑』の二巻じゃないですか。よく手に入りましたね」」

 とうれしそうに手にしたのは綺麗な鉱物の写真が表紙になった紙本だった。

「はい。知り合いの北海道の方から譲っていただきました」

「「そうですか、北海道の。どうりで状態がいいわけですね。あちらは湿気が少ないからシミもカビもつかないと聞いています」」 

 まゆまゆさんは目を細めながら紙本のページをめくっていたが、それが終わると紙本を置き、おもむろに立ち上がった。そして、

「「ではどちらから?」」

「夏波から、ね」

 ね、じゃねーよ。説明しろってば。というあたしの思いはまたもガン無視で、背中を押されて市松人形の中に押し込まれたのだった。

 中はたしかに狭かった。背丈が足りるかと思ったら、あたしが足を踏み入れるとちょうどいい具合に床が沈み込んで入れた。これっていったいなんなの? 宿泊者用の身体検査のなにかかな。と考えているうちに両側から扉が閉まって真っ暗になった。

「最初は窮屈に感じるけど、すぐ楽になるから」

「これは何なの? VRブース?」

「そんなかんじのもの」

 と外から冬凪の声が聞こえた。VRブースだと聞いて少しだけ気持ちが落ち着いた。開発元やロックイン先のメタバースによって様々なブースがあるのは知っているから、こういう変な外観のものがあっても驚かない。でも操作盤とかVRギアとかが全くなく扉を閉めたら真っ暗闇って、これじゃ拷問器具だよ。鉄の処女とかいうのあったじゃん。

「ねえ、冬凪、聞こえてる? これどうやって操作するの?」

「「それでは行ってらっしゃいませ」」

 という声が聞こえたと思ったら、床が抜けた。ストンと落下した感覚があったのだ。視界が真っ暗なので確かなことは言えないけれど、スタートで床が抜けるタイプのウォータースライダーで落とされた感覚と一緒だった。どこまでも落ちてゆく。スピードも段々速くなってるんじゃないか? 上を見たけど何も見えなかった。下も同じ。ただ、周りはいつか見た光の筋でいっぱいで「元祖」六道園を脱出したあの星間飛行の時のようだった。しばらくしてその光の筋が消えて落下が終わり再び真っ暗闇の中にいた。今度はその暗闇の正面に光の筋が入った。そして光の幅が広がると、その光の中から白い手がさしのべられた。その小さくか細い手は、まゆまゆさんのものに違いなかった。あたしはあまり引っ張りすぎないように、その手にすがって市松人形の中から外に出た。そこはもとの蔵の中で、目の前にまゆまゆさんが立っていた。でも、そのまゆまゆさんには驚いた。いつの間にか黒地に銀糸で五弁の花をあしらった和服に着替えていたからだ。冬凪は? 見当たらなかった。

「「ようこそ。辻沢へ」」

 まゆまゆさんはそう言って微笑むと、突っ立ったままのあたしに、

「「少しばかり横にいてくださいませ。妹様がおいでになります故」」

 と言って手を引いて、あたしのことを市松人形の横に移動させた。そして、開きっぱなしになっていた市松人形の中割れ扉を閉めたのだけど、それはさっきあたしが入ったものとは違って、黒いまゆまゆさんと全く同じ黒の和装姿をしていた。まゆまゆさんは黒い市松人形の頭を合図を送るようにコンコンと音をさせてたたいた。そうしてからしばらくして排気音がしたかと思ったら市松人形の中割れ扉が開き、その中から冬凪が出てきた。

「これってどういう」

 VRブースに入って出てきたらまゆまゆさんは黒装束に着替えていて冬凪がいなくなってた。VRブースの色が白から黒に変わっていたのはそういう仕様だとしても、あたしの入ったブースから冬凪が出てきたのは意味が分からなかった。あたしはワケワカメになっていた。訳が分からなすぎて死語構文で考え出す始末だ。冬凪はそんなあたしの体のところどころに触れて、

「夏波、無事でなにより」

 危険なことさせたってこと? そりゃ、何の説明もないわけだ。段々腹が立ってきたぞ。

「千福まゆまゆ様、ありがとうございました。それではまた帰りの時はよろしくお願いいたします。さ、夏波、行くよ」

 と冬凪はあたしの手を取った。あたしは君に激オコぷんぷん丸なんだけどと死語構文でにらみつける。

「「藤野冬凪さん、藤野夏波さん。無事のお帰りを」」

「ありがとうございます。それでは三日後に」

 冬凪とあたしが出口まで来て振り返ると、まゆまゆさんはこちらに手を振ってから黒い市松人形の中に消えたのだった。

 土蔵の格子戸から見えた漆喰扉は黒かった。それを二人で押し開けて出ると左手に白い漆喰壁の土蔵があった。さっき入ったのはあっちだったはず。ということは……。こちら側はやはり黒い漆喰壁の土蔵で、あたしは左側から出てきたのだった。右から入って左から出る。あのウォータースライダーは土蔵を移るためのものだった? いったい何の意味が。

 外は日が暮れていて竹林の上に月が掛かっていた。

「これどういうこと?」

 空を指さして聞いた。

「時間までの精度は期待できないんだよ」

 そういうことではなく。

「時間経ち過ぎじゃない? もうバイト終わってるよね」 

「まあ、そうなんだけど」

 と何かを言いかけて冬凪はあたしの手を取って土蔵の裏手に引き込んだ。

「どうしたの?」

「しっ! 一番見つかりたくないヤツいる」

 と土蔵の角から竹林の中を伺っている。あたしも冬凪の後ろから竹林を見てみると、そこに女学生らしき人影が見えた。その女学生は竹林の中から土蔵前の広場に出てきた。月明かりの下で見る制服は宮木野線沿線唯一のお嬢様高校、清州女学館のものに似ていた。散策している様子だったが、何かに気がついて立ち止まりこちらに顔を向けた。月光に照らされたその顔は恐ろしいほど美しかった。女学生の金色の瞳があたしを捉えた瞬間、甘い香りに包まれるのを感じた。あたしは魅了され息を呑んだ。

「懐かしいお方、ごきげんよう。さあ、こちらへいらっしゃい」

 女学生が冬凪とあたしに手招きをした。

「ヤバい。逃げるよ!」

 冬凪はあたしの手首をひっつかむと猛烈な勢いで背後に走り出した。冬凪は大きな荷物を背負ったままなのに、まるでネコ科の動物のように竹が林立する中をすり抜けてゆく。あたしはそれについて行くのがやっとだったけどなんとか全速力走ってついて行った。そしてようやく冬凪の足が止まったのは、竹林も無くなった六道辻から少し行った小川のほとりだった。あがりきった息の中で、

「あの人は誰?」

 冬凪に聞くと、

「志野婦だよ。辻沢ヴァンパイアの始祖にして最凶の」

 あたしはその言葉で白馬の王子の夢のことを思い出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る