第9話 鞠野文庫
前期テストも終わるとあたしたち三年生は夏休みまでの間、学校ではほぼ何もすることがない。ほとんどの子は進学塾だの就活の追い込みだので忙しく、出席免除扱いにしてもらっていた。
そんな中でも十六夜とあたしは園芸部があるから律儀に学校に来ている。
「なんか寒くない?」
あたしがぱらぱらとしか人がいない教室を見回して独り言つと、
「だろ。クーラー効き過ぎなんだよ。空調管理AIはアラスカ出身か?」
青ジャー姿の十六夜が文句を言った。ここのところずっと青ジャーだからなんとなく顔まで青い。
「まあ、人が少ないおかげでVRなしってのはありがたいがな」
たしかにここ数日、VR教室へ行った覚えがなかった。
「じゃあ、今日も放課後、MAXでロックインしますか?」
「あ、ごめん。今日はママと出掛けるから部活休む」
拍子抜けして十六夜を見ると、よっぽど寒いのか唇が紫色がかっていた。
放課後、校門の前まで迎えに来た、黒い国産高級ミニバンに乗り込む十六夜にバイバイするとき、後部座席に女の人の影が見えた。伝説の前園会長か? ガラスの天井に触れた人を一目と思って身を乗り出したけどギリギリのところで、ガーバン! スライドドアが閉まって顔までは見えなかった。残念。
そのまま部室には行かず図書館に向かう。調べもののためだ。いつもならチャットAIに尋ねればすぐ解答が得られるのだけれど今回は一般的なことしか返ってこなかったので、冬凪に相談したら、
「学校の図書館に行ってごらん。書庫にマリノ文庫っていう部屋があって、そこに辻沢の文献がまとまって置いてあるから」
と言われたのだった。
図書館に一歩足を踏み入れると、あの独特の匂いが鼻を突いた。館内に利用者はなく、貸出カウンターに司書の先生が一人で紙本を広げて何かの作業をしていた。その跳ねまくっているグレイヘアに声を掛ける。
「すいません、マリノ文庫ってどこですか?」
グレイヘアがメガネをずりさげてジトっとあたしの顔を見た後、
「書庫の二階の一番奥に木の扉があるから、そこで生徒IDをスキャンしなさい」
と不機嫌そうに教えてくれた。
「ありがとさいます」
普通にお礼を言ったつもりだったが、
「『う』がぬけてますよ。ありがとうでしょ」
と指摘されてしまった。言葉にうるさいオトナだった。なんなら「ご」も抜けてますけど。
「それから…」
とさらに畳みかけられそうだったので、わざと、
「すいませーん」
と言って急いでそこから逃げた。思った通り、
「すみませんね。すいませんでなく」
と言葉だけで追いかけてきたけど無視。
書庫は、のぞき窓に格子がはまった分厚い古扉で、まるで昔の牢屋の入り口のようだった。そのわきに掛かった木板の表札に「鞠野文庫 鞠野雄一教頭先生寄贈 辻沢関連資料」と書かれていた。マリノってどっかで聞いたことあると思ったら漢字見て思い出した。ミユキ母さんの大学の指導教官だった人だ。大学辞めたあと辻女に来て定年までいたけど今はどうしたか…。
取っ手のところにID読み取り用のボックスが据え付けてあったのでリング端末を翳してみた。解錠の音がして、
〈♪ゴリゴリーン。こんにちは藤野夏波さん。辻沢にようこそ〉
びっくりした。おじさんに名前呼ばれた。これ鞠野教頭の声?
中は狭い部屋で見るからに古そうな紙本が書棚にびっしりだった。そのせいか外以上にナフタリンの匂いが強かった。紙本はカビとかシミとか大変だから仕方ないけど、あたし弱いんだよね、この匂い。ずっといると頭の芯がキリキリして来て、しまいに気絶したみたいに大イビキかいて寝ちゃう。たいがい書見テーブルにうつ伏せで寝るから空気がお腹に溜まって、目覚めると必ずめっちゃ長いゲップ出る。
ゲェーーーーーーーーーーーーーってくらい。
そういうやつは図書館来なくていいって言われそうだけど、このナフタリン臭、何とかならないかな。
今日調べに来たのは、六道園の州浜の小石は何色だったか。町役場からもらった資料では白い玉砂利が使われていたことになってるけれど、町役場倒壊後、ヤオマンHDが瓦礫の中から回収した庭園資材の中に何故か黒い玉砂利がたくさん含まれていた。何に使われたかといえば、州浜の玉砂利としか考えられない。サルベージした資材に黒石が混じっていたことに対するヤオマンHDの見解は、町役場のエントランスで使われていた黒い石がこちらに紛れたんだろうということだった。でも、エントランスと庭園とでは建物の表と裏と離れていて、よほど大雑把に作業しなければ混ざりあったりしないのじゃないか。
黒かったのか白かったのか?
あたしとしては、州浜はもともと黒い石だったのが、いつかの時点で白い石が被せられてしまい、そのことが記憶から失われてしまったのではないかと思っていて、今日はその証拠を探し出すつもりで来た。
目についた紙本からペラペラめくってみたけど、めぼしい記事が見つからないまま時間だけが過ぎた。その中で、たまたま手に取った町報に、当時、町役場の近所に住んでいて、よく庭園に遊びに来ていた町民のインタビューが載っていた。読んでみると、
「水際の白い玉砂利が心地よくて」
と言っている箇所があった。やっぱり白かった模様。
そろそろ頭がぼうっとしてきたし、このままこの狭い部屋で眠てしまってあの言葉にうるさい司書先生に起こされるのもなんだから、今日は帰ることにした。
書庫の出口まで行き、古扉の取っ手に手を掛けようとしたら、ちょうど目の高さによさげな紙本が本棚から落ちそうになっていた。入って来た時には気づかなかったが、薄い冊子で書名は「辻沢ノート」、著者は四宮浩太郎という人だった。どこかの大学の学術冊子の抜き刷りらしい。抜き刷りというのは論文集の中の特定の著者の論文だけ別途印刷する小冊子で、指導教官や論文を引用した研究者、知り合いに読んでもらうために贈呈する。あたしもミユキ母さんに何度か分けてもらったことがあったので見てすぐにわかった。
「辻沢ノート」の内容は辻沢の地誌だった。ところどころ赤線が引いてあって、かなり読み込まれているようだった。ざっと見た感じでは町役場の園庭のことは記されていなさそう。諦めて書棚に戻そうと思って手を止めた。最後のページに赤ペンで書かれた文字が目に飛び込んで来たからだ。
「辻沢の鬼子は沈まない」
意味は分からなかったけどドキリとした。あの日、ゼンアミさんが口にしたバナキュラー(土着)な言葉がここにあったのだ。あたしは他のページにもないかもう一度、小冊子をめくりなおした。あった。いくつか鬼子という文字が見つかった。
「鬼子は船であの世へ渡る」「鬼子は潮時に狂う」「鬼子は子を生さない」
ここにある紙本は文庫の主のものだろう。ならばこの書き込みもまた鞠野教頭のものということになるのだろうか? だとしたら鞠野教頭に会えば鬼子のことが分かる? と思ったが、現実はそううまくはいかないのだった。たしか、鞠野教頭は最近亡くなったってミユキ母さん言ってた。
それでも何かのヒントになると思い、「鬼子」と書かれたページをリング端末で写真を撮っておいた。そして、また来た時に分かりやすいように元あった棚の一番端に、少し出っ歯らっせてもどしておいた。
園庭の水際のことは分からなかったけれど、別のことが知れたのでよしとして古扉の取っ手に手を掛けた。すると、
〈藤野夏波さん、さようなら。また辻沢のどこかで会いましょう。♪ゴリゴリーン〉
とおじさんの声で言われた。これが鞠野教頭の声だとしたら、それは無理。
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