第8話 浄血!

 ロックインしなかったあたしと川田校長が見ているのは外部モニターで、そこに映し出されているのは案内役の庭師AIのM@tashiroから見た辻川町長と十六夜だ。マタシロウさんは六道園の中を歩く二人に付き従って、要所要所で植栽や施設の説明をしているのだ。今回のようなVIPクライアントに対するプレゼンでプロマネのゼンアミさんが案内しないのは不自然だが、ゼンアミさんとてゴリゴリバース内に常駐&偏在しているわけでない。あたしたちがそうであるようにパーソナルに存在している。だから今回のように急な案件の場合は他の庭師AIがゼンアミさんの代役を務める場合がよくある。マタシロウさんはゼンアミさんから少し遅れて生成された庭師AIだが、今回のプロジェクトは初期から参加していて内容も熟知してくれているから何の問題もないのだった。

 モニターの中の十六夜と辻川町長は親しい友人のように園遊を楽しんでいるみたいだ。話していることはプロジェクトの進捗具合についてだろうけど、時折、笑い声が聞こえたりするところから、それ以外のことも語り合っていそうだった。例えば十六夜のママのこととか。

 十六夜のママ、前園日香里ヒカリは、辻沢なんてド田舎の八百屋さん「ヤオマン」を世界的コングロマリット「ヤオマンHD」にまで成長させた経済界の大立者で、その強引な経営手法から敵も多く、女怪とあだ名され恐れられた人だ。けれど辻沢に限らず、起業を目指す女子ならば誰もが憧れる人。あたしもその一人なのだが、その姿は動画などで昔の映像でしか観たことがなかった。というのも、十数年前に当時会長だったご亭主を亡くした後、社長職を退いてからは辻沢に引きこもり、その姿をメディアが捉えたことはないからだ。その隠遁は、講演会や談話会(あれば推しハチマキ&デコウチワ持参で絶対に聴きに行く)はおろか『プレジネス』等、主要マネジメント雑誌のインタビューすら受けないという徹底ぶりのため、死亡記事まで出まわったことがある(後にフェイクだと分かったが)。ある意味この国のガラスの天井にヒビを入れた人だから、一度は会って話を聴いてみたいとか仕事場を覗いてみたいとかは正直思う。だからと言ってオトナたちが口にする、女子のロールモデルとしてもっと表に出て発言するべきというのは違う。十六夜のママにだって事情があるだろうから。

 右のVRブースからロックアウトの排気音がした。十六夜がブースから出てくると、目の前に壁を作る黒服SPの間にうざそうに体を入れて辻川町長のブースのロックアウト処理を手伝う。

「狭いですからこちらから」

 とあたしが十六夜がいる側とは反対からブースを出るよう促すと、中から真っ赤なスーツスカートの辻川町長が現れて初めてしっかりとお顔を見ることが出来た。カラコンだろう金色の瞳は伏目がちで真っ赤な唇をうっすらと開き、透き通るような肌はこめかみ辺りに所々青い血管が浮き出ていた。よく街中で見る選挙ポスターはもう少し血色がよかったような。にしてもその妖艶さ、どノーマルなあたしがドキッとしてしまうくらいだから相当なものだ。

「いかがでしたか?」

 川田校長が尋ねると、

「ええ、楽しかったです。また帰るのを忘れてしまいそうになりました」

 とあたしに向かってウインクした。え、自虐? 辻川町長ってこういう人だったのと困惑していると、

「素晴らしい案内役でした。あの庭師AIを育生したのは藤野さんと聞きましたが」

 と十六夜の方へ顔を向けた。十六夜が小さく頷いている。

 日本庭園を造ろうと言ったのも、ただの作業AIに作庭術を仕込み始めたのも十六夜だった。それにのっかって仕上げたのは確かにあたしだ。百歩譲って園芸部の功績と言うべきなのに、十六夜はいつだってあたしを前面に立てようとする。それをこの場でああだこうだと説明しても仕方がないので、

「気に入っていただきありがとうございます」

 と応えることにしている。

 辻川町長と黒服四人、それに川田校長が部室を出て行ったあと、十六夜とあたしは部室に残ってうだうだ過ごした。教室に戻っても板書魔王で名高い小野じーの古典だから、ネットから辻女の過去ノート(小野じーの授業は過去ノートだけで完璧に再現できる)をダウンロードすればいいし、チャイムが鳴る前に戻って出席だけ取り付けられればあとから学校都合で欠席した旨の証明書を提出する手間も省けるからだ。

授業終了10分前に十六夜が言った。

「戻ろか?」

 あたしは部室のドアにリング端末を翳すと、

〈夏波、バイバイ ♪ゴリゴリーン〉

 なんでか馴れ馴れしい生徒管理AIの声を尻目に先に出た十六夜の後を追う。

廊下は閉ざしてあったカーテンが開け放たれ初夏の風が涼やかに吹き抜けていく。そこを二人並んで歩いていると、十六夜が窓の外を見て立ち止まった。

「辻川町長がお帰りだ」

 開け放たれた窓からは駐車場へ向かう黒い塊が見えた。それは四人の黒服SPが巨大な黒傘を上と下とに差しかけて移動していく姿だった。それはまるで世界史の授業で習ったローマの亀甲陣形(たしかテストデドンとか言った)のようだ。

「やっぱ狙撃に備えてるのかな」

 あたしが聞くともなく言うと十六夜が、

「狙撃? ちがうだろ」

「なら何から?」

「日光」

 年齢に不相応な若さ、透き通るような肌に浮かんだ青い血管、金色の瞳。そして口元を隠すようにして話す仕草。フラッシュバックのように辻川町長の姿が思い浮かんだ。

「まさかヴァンパイアだけにって言わないよね」

 十六夜はそれには答えずに歩き出したのだった。

 最初はヴァンパイアなんて言ったせいなのかと思った。廊下を吹き抜ける風の中に血の匂いが混ざっているように感じたからだ。

「これ足跡だよね」

 十六夜が廊下を指差した。見るとゲーム部の扉の前から部活棟の出口に向かって黒い足跡が点々と続いていた。数からして複数人の足跡のよう。そしてゲーム部の扉がまるで中を覗いてごらんと誘うように隙間が開ていた。

 十六夜はそれに応えるように扉に近づいてゆく。あたしはついて行くのが怖くなった。なぜならその足跡が乾いた血の色に見えたからだ。

「誰か呼んだ方がよくない?」

「先に中を確かめよう」

 と言うと十六夜は扉の取っ手に手を掛けた。

 部屋の中は暗く手探り状態だったが、入った途端、血の匂いとわかる空気が充満していた。ドア横のスイッチを手探りして電気を付ける。まず目に飛び込んで来たのは、正面の漆喰色の柱に赤黒い文字で大書されたメッセージだった。

「浄血!」

 文字から柱を伝い流れる血のせいで、人間の肌を抉って傷つけたかのように見えた。その禍々しさに足がすくんで奥に進めないでいると、

「おい、大丈夫か?」

 部屋の奥から十六夜の緊迫した声がした。あたしはメッセージを見ないようにして腰をかがめ(そうすればこの怖しさをやり過ごせる気がした)、十六夜の声がした方へ進んで行った。数台のゲーム用VRブースの奥の、小型の冷蔵庫が置いてある場所に十六夜のしゃがんだ後ろ姿があった。その向こうの床の上に半袖の白い腕が見え、その腕に赤いビニル管が巻き付いていた。その先が床に転がるビーカーに伸びていてビーカーはリノリュームの床の血だまりの中にあった。それがこの部屋に充ちる血の匂いの元凶のようだった。

 十六夜の肩越しに見えたのは先ほどドアの前にいたのとは違う、三つ編みを肩に垂らした子だった。リボンの色が赤いのを見るとやはり一年生らしい。その青白い顔は皮膚が薄くなって屍人のようで、瞼を細く開けてはいるけれど瞳が泳ぎ焦点がハッキリしていないようだった。

「ブラレ?」

 明らかにそう見えた。

「瀉血だけど自傷じゃなさそう」

 十六夜が縒れたハンケチをあたしに見せた。

「さるぐつわをされてた。それと」

 その子のもう片方の腕を持ち上げると耳障りな金属音がした。壁の配管に手錠で繋がれていたのだ。

「夏波、誰か呼んできて。できれば糸鋸も」

 そう言われて最初に思い浮かんだのは響先生だった。勿論保健の先生ということもあったが、この間のセッションの時の「最近あれが流行ってるから」という言葉が頭に残っていたからだ。

「すぐ行ってくる」

 あたしは十六夜とその子を残してゲーム部の部室を飛び出した。

 医務室に行くと響先生は遊佐先生とお茶を飲んでいた。そこに血相を変えたあたしが飛び込んで来たものだから、遊佐先生は驚きすぎて手にした紙コップを放り投げてしまった。慌てて床をティッシュで拭きだした遊佐先生を尻目に響先生に状況説明をすると、遊佐先生は響先生を指さし、

「カリン、やっぱりあんた!」

「いいからセイラは救急車呼んで」

 そういうと響先生は救急箱をひっつかん医務室を出た。

 響先生を連れてゲーム部に戻ると、十六夜はどこからか持ってきた糸鋸で三つ編みの子の手錠の鎖を切ろうとしているところだった。

 響先生は十六夜に変って三つ編みの子の前にしゃがんで容態を診る。

「前園さん、止血の処置ありがとう。意識はもうろうとしてるけど心拍ははっきりしてるから大丈夫。救急車もすぐ来るから二人は教室に戻りなさい」

 響先生に言われて十六夜はあたしと一緒に部室の外に出た。廊下を歩いていると、教務棟から数人の先生が走って来てゲーム部の部室に入って行った。

「何があったんだろ」

 あたしがそう言うと、

「チブクロの奴らっぽい」

 十六夜の説明では、チブクロというのは伝説のゲームアイドル、夜野まひるのファン集団のことで、夜野まひるは十数年前にライブツアー中に搭乗機が墜落して遭難死したけれど、その後、彼女の復活を信じるファンがカルト化したということだった。

「奴らは夜野まひるが復活するためには自分たちの穢れた血を浄化しなければならないと考えてる」

「ブラレで浄血? なんか変」

 汚い血を出しただけではダメなんじゃ? 綺麗な血と入れ替えないと。

「理屈は分からないけどね」

 それにしてもゲームとかやらない十六夜がなんでそんなこと知ってるんだろう。十六夜はあたしの思う事が分かったのかリング端末からホロ画面を表示させて、

「夏波が響先生呼びに行ってる間、チャットAIに『浄血!って何?』って聞いみた」

 とチャットのページを見せてくれた。そこには今しがた十六夜が言った内容が詳しく説明されていた。さらに丁寧にも、夜野まひるの復活というのはファンタジーだとの断り書きが赤字で追記されてあった。

 あたしは今来た部活棟の廊下を振り返ってみた。あの部室とあたしとの間にあった緊張はもはや遠くにあって薄らいだ感じがした。でもまだ鼻の周りにはあの血の匂いがまとわりついて離れないでいた。

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