第7話 「帰って来た」辻川町長

 七月も中旬に差し掛かった前期テスト前のお昼休み、教室の隅で十六夜と二人でお弁当をしていると、少し離れた席でアスカとミクが卓上ホロを表示させながら話をしていた。

「これ、昨日見つけたんだけど、あの人のファンサイト」

「あの人って、アスカの夢に出て来る白馬の王子?」

「そう。有名な絵師さんがイラスト寄せててさ、うちが見たまんまなの」

「どれ、ほー、バリイケメンじゃん。これはみんなが夢中になるの分かるよ。ワンチャンFCファンクラブとか?」

「うん、ある。一つ確認してて入ろうか迷ってるとこ」

 響先生が言ってたのは本当なんだ。どんだけの子が見てるんだろう、あの夢。十六夜も見てたりするのかな?

「十六夜、あのさ」

〈♪ゴリゴリーン。三年A組、前園十六夜さん、藤野夏波さん。お客様がお越しです。至急、校長室まで来てください。♪ゴリゴリーン〉

「呼ばれたな」

 十六夜が細い首を伸ばし教室の空気の流れを聞くかのようにして言った。

「うん、呼ばれた。校長室に来いって」

 十六夜のお弁当はいつもの十六雑穀米おにぎり一つ(普通大)だからもう食べ終わっていたので、包んでいたラップを丸めて側のごみ箱に投げ入れ、

「ブザービーターっと。じゃ、行こか」

 あたしは自作のゲロゲロゲロッパのキャラ弁でゲロッパ残しに挑戦中だったから、大急ぎで残りのほぼ半分を口に入れる羽目になった。頬っぺたパンパンのそぼろご飯を水筒の麦茶で胃の中に流し込む。むせ返る。

「ちょっと待つ?」

「らいじょうむ(大丈夫)」

 本当は歯磨きとかしたかったけど(そぼろが歯の間に侵入中)お弁当箱をカバンにしまって十六夜を追いかけ廊下に出た。

 十六夜と二人で呼び出されるときはいつも園芸部員としてだ。今回もおそらくは他校のメタバース関係者がゼンアミさんの枯山水でも見学に来たのだろう。園芸部にとって枯山水はすでに過去のプロダクツだが、それでバズって今があるから、外からの認知が「枯山水の」辻女園芸部なのはありがたいことだった。

 簀の子の渡り廊下を駆け抜けて教務棟の木造校舎に入ると鳩のフン臭が鼻を衝く。廊下の窓のカーテンが何故か全部閉まっていて黒光りする床だけが明るい廊下を通って校長室の前まで来た。十六夜が扉を開けようとノブに手を伸ばしたら中から扉が開いて人が二人出て来た。遊佐先生と響先生だった。二人は中に向かって、

「OG会、来られるよね」

「張り切りすぎんな。キャプテン」

 と声を掛けている。響先生が後ろに控えた十六夜とあたしに気づいて、

「期待の星が来たよ」

 と言った後、二人は生徒が見たことのない笑顔を残して廊下を去って行った。どうやらお客様は先生たちの知り合いらしい。

 校長室に入ると窓のカーテンが全て閉じられていて暗かった。その暗がりの真ん中に黒い壁が立っていた。よく見るとそれは壁ではなく、黒服サングラスのガタイのいいおじさん二人が並んで厳つい圧をこちらに向けている姿だった。

「こちらは辻川町長です。あなたたちのプロジェクトを見に来られました」

 と川田校長が紹介したので、え、ちがくね? 辻川町長って女の人だったんじゃって思ったら、

「こんにちは、辻川ひまわりです」

 おじさんたちの後ろから女の人の声がした。それで黒服サングラスの隙間を覗くと、真紅のスーツスカートを着た、年恰好はあたしたちくらいの女性が立っているのが見えた。川田校長に促されて黒壁正面のソファーの前に回り込むと、中から青白い血管が浮いた恐ろしく長い指をした手が出て来た。

「お久しぶり。大きくなったわね」

十六夜がその手を取って、

「ご無沙汰しています」

 辻沢町役場とヤオマンHDとはズブズブなのは辻沢の現実。町長のマイカーはヤオマンHDが買い与えるのが慣例と聞く(辻川町長はマットブラックのゲレンデ)。だから創業家のお嬢である十六夜とは旧知の間柄なのだ。

さらに、

「暑苦しいことでごめんなさい。この人たちはあなたのお母様の厳命で付いてもらっているの」

 と謝った。つまりこの黒い壁のおじさんたちはヤオマンHDが付けさせたSPということらしい。しかしこの状況は異常だ。誰かに命を狙われていることを宣伝しているようなものだから。

そしてあたしに、

「あなたにはお会いしたことが」

 差し出された手は驚くほど冷たかった。

「いいえ、はじめてお会いします。園芸部の藤野夏波と言います」

 辻川町長が何かに気が付いたような表情をした。

「ああ、ミユキさんのお子さん。それで」

 意外だった。有権者ならぬ隣町住人のミユキ母さんを知っているなんて。

「母をご存じなんですか?」

「ええ、二十代のころに何度かお会いして」

 ミユキ母さんから大学生時代に辻沢に調査に入ったことがあると聞いていたけれど、その時に辻川町長と会っていたのだろうか? そうだとすると三十代後半? てか、ミユキ母さんと同年代ってのが信じられない。ぱっと見、あたしたちとそんなに変わらない。

 疑問が噴き出してきて言葉が継げないでいると、川田校長が、

「すぐにご案内できますか? 準備が必要なら少し待っていただくけれど」

 それには十六夜が、

「大丈夫です。クライアントにはいつでも見ていただけるようにしてますので、どうぞ」

 と扉に向かって手を差しだした。

 黒い壁が辻川町長と一体となって動き出す。二人だと思っていた壁は辻川町長の背後にも二人控えていて要人を取り囲む形で護衛していた。黒壁がドアの前に立った。でかいガタイの四人の塊が校長室の狭い扉をどうやって通るか見ものだと思っていたら、出る時は一列になって普通に通り抜けたので拍子抜けした。そりゃそうだよね。

 十六夜とあたしが先に立つ。川田校長はSPに囲われた辻川町長の横を歩きながら学校の説明をしている。

「うちのお母さんと知り合いだってけど、若すぎじゃん」(ひそひそ声)

「若くみえるのは『帰って来た』かららしいよ。あの事件で神隠しに遭って戻ってから年を取らないってママが言ってた」(ひそひそ声)

 辻川ひまわり。辻川元町長の娘は、十数年前辻女のバスケ部員だった時に他の二人の部員と同時期に行方不明になった。ライフハックの防衛術の授業で最初に必ず例に上がる事件。いわゆる辻女バスケ部員連続失踪事件の被害者だ。それが六年経ったころ辻川ひまわりだけが一人で「帰って来た」。どこへ行っていたのか、何があったのか一切記憶になく、いなくなった時のままの辻女の制服姿で辻沢の駅頭に佇んでいたそう。顔もスタイルも女子高生のころとまったく変わらずだったとか。

「つまり年齢的には遊佐先生や響先生と一緒ってこと?」(小声)

「てか、あの事件のときのバスケ部員だしょ、あの二人」(小声)

「マジか!?」(大音声)

「どうかしましたか?」

 川田校長がいぶかしそうに聞いた。

「いえ、なんでもありません」

 振り返って見た初老の女性。この人もたしか当時、女バスの顧問だったはず。だから遊佐先生と響先生、校長室前であんなに慣れ親しんだ感じだったんだ。みんなが旧知の間柄ってことで。

 始業のベルが鳴ってとうに人がいなくなった部活棟の廊下は、いつもは大きな窓から燦燦と日差しがはいっているのに、今日は緞帳のようなカーテンが閉ざされて暗くひんやりとしていた。その冷たい廊下を川田校長と辻川町長の黒い塊を連れて歩いていると、ゲーム部のドアの前に女子生徒が一人で佇んでいた。あたしは見たことがない子だがリボンが赤いから一年生のよう。

 その時、何を勘違いしたか黒壁のSPがその子に向けて警戒姿勢をとり始めた。大きな四人の男から強烈な圧力がこぼれだしている。十六夜がそれを横目に、マスクをしているが明らかに怖がっているのが分かるその子に近づいて、

「授業はどうしたの?」

 その子は十六夜に怯えた瞳を向けながら、

「友達が部室に忘れ物して。すぐ行きます」

 部室の中を気にしながら答えた。

「一年生です。心配ありません」

 十六夜が伝え川田校長もそれに同意したが、SPは警戒を解こうとせず防御姿勢を保ったままゲーム部の前を通り過ぎた。

「知ってる子?」

 戻って来た十六夜に聞いてみた。

「いいや」

 辻女は生徒数400人弱の規模の小さな高校だが、十六夜もあたしも学校ではVRブースに引きこもっていることが多いから知り合いは多くない。一年生となると鈴風を通して知ってる数人の子くらいしかいなかった。

 園芸部の部室に着いて十六夜がVRブースの準備している間、あたしは冷蔵庫から昨日残った10円アイスを出して辻川町長と川田校長に渡した。

「「ありがとう」」

 二人同時にビニル袋を破って一口で食べ、残った棒をごみ箱に放り投げると、するすると放物線を描いて二つとも見事にシュート。辻川町長のは黒壁の頭越しだ。すごい。

「「ナイシュー」」「ナイシュー」

 あたしも思わず声が出た。

「辻女のバスケは小粒でピリリと辛い。嘗めてっとすりつぶすよ」

 川田校長が言うと、辻川町長が黒壁の隙間から手を出した。

「「辻女ファイ」」

二人で小さくタッチした。その息のあった姿に絆つよって思いつつ、黒服サングラスの人にアイスどうですかと渡そうとしたが、謝意だけくれて受け取ってはもらえなかった。仕方なし。残り三本しかなかったから助かったけども。

「辻川町長はこちらのブースをお使いください。あたしが同道します」

 十六夜はそう言うとVRゴーグルをセットして辻川町長と一緒にゴリゴリバースにロックインしたのだった。黒服SPの四人は辻川町長を囲う隊形を維持したかったらしく、VRブースの両脇の狭いスペースに大男が二人も入って窮屈そうだった。

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