第1部 辻沢のこのごろ

No.1 白馬の王子

 気づくと夏祭りの境内にいた。夜空に真ん丸の月が出てたから潮時のしきいの時間帯で意識はまだボクと”あたし”との端境はざかいを彷徨っていたんだと思う。そうでなければあんな危険な存在に魅了されたりしなかったはずだから。

 志野婦しのぶ神社の参道は夜店が並んで提灯の明かりに頬を染めた人たちが行き来していた。ボクはママのおさがりの浴衣を着て、金魚すくい屋の青いドブ漬けの前にしゃがみ、子供たちが和金や琉金、出目金をポイで器用に掬う様子を、露天商のおじさんが「ねえさんもどうだい」というのを断って、眺めていた。

 そこへ夜風に乗って甘い香りが漂ってきた。それは季節がら嗅ぎなれたものとは別して甘い甘いクチナシの香りだった。ボクは立ち上がり、妖艶な刺激に誘われるまま参道裏の杜の奥へと分け入った。杜の中は月の光も射し込まずほの暗かったが道はぼんやりと浮き上がって見えていた。それはクチナシの白い花びらが地面に敷き詰められていたからで、ボクはその花びらを踏んでさらに杜の奥へと進んで行った。

 甘い香りが立ち込める純白の道をしばらく行くと、小高い舞台のような場所があって、そこに白馬に乗った白装束の人がさやけき月光に照らされていた。よく見るとその人は輪になった荒縄を首にかけ後ろ手に縛られていた。

 何故だかボクはその人のことを大昔から知っている気がしてきて、ボクのことをそうしてずっと待っていてくれたのだと胸を詰まらせ近づいて行った。月影目映い舞台に上がり側まで歩み寄ると、その人は手が不自由なはずなのにボクを馬の背に引き上げてくれ横抱きにしてから顎に氷のような指先を添え微笑んだ。その顔は月の光で乳白色に輝き、なにより美しかった。まさにクチナシの精のような青年だった。

 その時ボクは、青年の腕に抱かれたまま愉楽の園に連れて行かれたい、

その煌めく銀色の牙でボクの穢れた喉笛を食い破り、

迸る真紅の玉の緒を吸いつくしてほしい、

そう心の底から願った。

 突然、体の側面に衝撃が走った。それは鋼鉄の車にぶつかられたような感覚で、勢いでボクは白馬の王子の手から月光の舞台に転げ落ちた。

「逃げるよ!」

 鋼鉄の車かと思ったものは人で、ボクの手を取って走り出した。引っ張られたボクも走り出す。その速さは浴衣の裾をからげてもついていくのはやっとで、どんどん杜の木々を視界の外に置いてきぼりにしていった。そしてようやく足を止めた時、二人は志野婦神社から遠く離れた小川の縁に立っていた。

「危ないところだった」

 手を引いてそこまで逃がしてくれたのはあの子だった。潮時に女子高生の”あたし”が鬼子のボクになると必ず現れ夜通し後を付いてきて、朝になって潮時が明け意識が薄らいでゆくボクを“あたし”が生活する元の場所に返してくれる、赤い絆のあの子だ。

「あれは誰?」

「バカだね、志野婦だよ。辻沢ヴァンパイアの始祖にして最凶の」

 あの子はそう言うとボクを置いてどこかに行ってしまったのだった。






(マッシュアップ&サンプリング脚注:以下MS脚注)

 このエピソード全体が、『辻沢のアルゴノーツ』(以下『アルゴ』)第2部のエピソードをマッシュアップしています。『アルゴ』では語り手のコミヤミユウ(ミヤミユ)によって中学生の時の出来事として語られ、その時はユウという少女がカレー☆パンマンのお面をかぶり志野婦に捉えられたミヤミユを助けます。この経験によってカレー☆パンマンはミヤミユにとってのヒーローとなり、常に身に着けるキャラとなります。


『アルゴ』エピソードページ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054984140540/episodes/16817330652178229945

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