許せない話3



「どうして、止めなかったんだい?」

 警察署。

 薄暗い取り調べ室にて、中年の男が問い掛ける。顔を包帯で巻かれた男に。

「さっきも言いましたが、嫌いだからです。生田あやとそのお母さんが」

「嫌い、ね。嫌がらせでも受けたのかい?」

「嫌がらせなら、どれだけ良かったか。あの親子は素で軽蔑するんです。男を一人残らず」

「一人残らず。例外もなく?」

「ないですよ。教師の免許を取って、初めての仕事。あの親子は、学校に担任を変えろとクレーム。男から教育を受けたら、まともに育たない。男を追い出せ。一緒に授業を受ける女子がかわいそうだ」

「……」

「ばくは楽しみにしていた。教師になって、生徒から愛される夢があった。高校生時代の誰からも愛されていた先生に憧れて。それなのに……」

「校長先生や教育委員会とかに相談しなかったのかい?」

「しましたよ。けど、『あの親子は話が通じない。だから我慢して』と言うだけ。何度も助けを出したのに……」

「……それは随分と酷い。職務怠慢もいいところだ。だが、だからと言って人を殺そうとする生徒を止めないで加担するのは駄目でしょ?」

「なら、どうすれば良かったんですか? 誰も助けてくれないのに……。でも、彼女から相談を受けた。生田あやのお母さんを殺したいって」

「……」

「嬉しかったですよ。ぼくが憧れていた先生は生徒の相談に親身になってくれた。そんな先生にぼくはなりたかった。だから、ぼくはその先生の様に生徒に寄り添って生徒に愛されたい。恋愛的な意味じゃなくて、信頼されるって意味で。まあ、ぼくがあの親子が大嫌いだからって理由もありますが」

「そうかい。でも、俺にはあんたの発言に矛盾を感じるな」

「矛盾?」

「ああ。と、言っても俺は言葉の使い方が下手でね? 矛盾って言葉が合ってるか知らない。でも、あんたの説明では宮田まなって子から信頼されていると感じたらしいが、そんな筈はない。人殺しの為の信頼なんてもんは、この世でトップクラスに価値のないもんだ」

「……本当に矛盾って言葉の使い方が怪しいですね? ぼくは国語担当ではなく、数学担当で正しい使い方は分かりませんが」

「だろ? いや〜、やっぱり教育ってのは大事だよな〜? 大人になって苦労するぜ」

「そうですね(笑)」


「そんな苦労を、あんたは自分の生徒にさせちまったんだけどな?」


「え?」

「え? じゃないだろ? これから、あんたに頼った宮田まなって子がどんな人生を歩むと思ってんだ? 人殺しが幸せな人生をいくら望んでも、心のどこかで幸せになっちゃいけない。出所してからそう考えちまう奴を、俺は何人も見てきた。まあ、あの女の子が入るのは刑務所じゃなくて少年院だがな」

「……」

「それで、あんたはどうするんだい? あの子の人生にとんでもない影響与えて、何か責任取るのか?」

「……」

 包帯の男は何も口にしなくなる。自分のやったことに今更ながら後悔し、どう責任を取れば良いか分からない。

 それどころか、宮田の為ではなく自分があの親子から助かる為に利用したのではないか?  

 ——ぼくは何をするのが正しかったんだろう。


 ***


 何時間経っただろうか。昨日から雨が降り続いていた警察署の外は、コンクリートの地面に水溜まりを作って放置したまま陽が登り始めている。

 長時間の任意での聴取だったが、逃亡の恐れはないと判断されて今に至る。

 ——逃亡の恐れはないって、ぼくも逮捕されるのかな。

 地面に反射する自分の顔を目にしたまま、彼はその場から動かない。 

 いや、詳しくは自分の人生の動き方が分からなくなったと言った方が正しいのかもしれない。

 取調べ室の会話で話した通り、彼は教師に憧れて現在の職に至る。この職を、もうすぐ手放すことになるかもだが。

 その憧れた教師は誰からも愛されて、生徒に対してどんなことでも親身になってくれる。

 


 元々、学生時代の彼は根が暗い男子生徒で虐めは日常茶飯事。 

 そんな彼に手を差し伸べてくれたのは若い女性教師だった。

 虐めの加害生徒に対して、「止めなさい」と優しく言うと、虐めていた者たちは謝罪する。さらに、その後虐めを行っていた者たちは彼への態度を改めて優しくし始め、彼への攻撃に終止符を打たれた。


 ただ言っただけで。


 他の人間が聞けば、そんな簡単に? と思われるだろう。

 が、彼には訝しみはなかった。これまで誰も助けてくれなかった自分を、この人は救ってくれた。虐めの現場を、近くを通った人々に救いの眼差しを向けても見て見ぬ振りされるだけだったが、この女性教師だけは違った。これだけでその教師を信頼するには、十分だった。

 そして、いつしか自分を救ってくれたその教師の様になりたいと夢を持ち、教師になることでそれを叶えたのである。



 だが、今の自分はどうだ?

 宮田まなは確かに自分を頼った。しかし、それは救いではない。嫌いな人間の殺害を手伝っただけ。学生時代の虐めの加害者よりも、よっぽど酷いことに協力しただけ。

 当然、それは救済ではない。今しがたの刑事の言葉通り、彼女の人生に多大な悪い影響を与えてしまっただけ。

 他に彼女を救える方法はあったと思うのは、今更だと解っている。だけども、頼られたことに舞い上がり、最低な解決した出した自分を呪いたくなる。

 ——……先生。

 ——ぼくは、あなたの様にはなれないのでしょうか?

 包帯姿の自分を見続けたまま、自分の人生に影響を与えた教師に訊ねる。当たり前であるが、この場にいないので答えが返ってくることがないと知っているのに。



 そして、彼は知る由もない。

 その女性教師は自分の評価の為に彼を救っただけで、教師じゃなければ他の者と同様に無視するだけの人間だということを。加害生徒にお金を渡して、止めさせただけであることも。

 

 


 

 

 


 


 


 

 

 




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