第68話 隠し扉

 まぶしいっ! 濃厚な闇から一変、目の前に太陽を置いたかのような燃える光が、足元から伸びてくる。思わず俺は、両手で目を覆い隠す。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴォォォ……ゴンッ!

 

 やがて轟音は、巨大な地響きを残して嘘みたいに消え去り、あたりはふたたび静寂に包まれた。

 

 うっすらと目を開けると、ああ、そこはもはや、底なしの暗闇とは無縁の別世界っ!

 

 一面の岩壁が、扉のような形に切り抜かれ、その先に、松明の火が灯された、長い長い石の廊下が続いているではないか。

 

 もしや、隠し扉の類か? 

 なんらかの機構が作動して、壁の一部がせり上がり、別の部屋へ繋がる道が開放されたとでもいうのか?

 

 徐々に目が、松明の光に慣れてきた。俺は、突如として出現した落とし穴の隠し扉を、おそるおそる潜ってみた。

 

 そこは、乳白色の石がレンガのように敷き詰められて作られた、肌寒い廊下だった。側面の壁に、等間隔に松明が設置されているおかげで、視界の確保には困らない。

 

 先の見えない、レンガの坑道。

 

 後ろを振り返る。湿ってテラテラと黒く光る窮屈な岩の壁が、先までとなんら変わらぬ表情で、こちらをじっと見つめ返してくる。

 

 ……進むべきか。それとも、ここに留まり、地上へ這い上がる方法を模索するべきか。

 

 落とし穴に嵌って危うく命を落としかけた経験から、足がなかなか、前へ進みだそうとしない。

 もしも行く先に、ゴブリンの群れなんかよりも、よっぽど恐ろしい罠が待ち受けていたら……はたして命は無事だろうか。

 

 たちまち心臓が高鳴り、開いた毛穴から脂汗が噴き出してくる。

 目の前に立ちはだかる、この何気ない選択が、俺の運命を大きく左右するかもしれないのだ。

 

 手汗したたる両の手のひらをギュッと握りしめ、白と黒、闇と光の狭間で、俺は長らく考え込んだ。

 

 ……よし、決めた。先へ進もう。

 先の予測ができないという意味では、どちらの選択も同じようなものだ。ならば、せっかく深淵に見出された光の道を、運に任せて、鼻歌交じりにスキップで歩んでやろうじゃないかっ。

 

 なにか吹っ切れたような気持になって、俺は、根を張ったように直立していた足を、前に踏み出した。

 

 ━━カチッ。

 

 乾いた音。ふっと足元を見ると、意識しなければ分からないほど、ごくわずかに、レンガのような石の床が沈んでいた。

 

 頭から血の気がサーと引き、目の前が真っ白になった。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴォォォ……。

 

 聞き覚えのある、巨大な地響き。背後、石の壁が重たそうに降りてくる。

 

 ……ああ、なんだ。隠し扉が閉じられただけだった。

 

 落とし穴に嵌った際も、俺は知らずに床のスイッチを踏んでしまったのだろう。

 

 ゴンッ!

 

 ついに隠し扉は、蟻一匹も通れないほどに隙間なくピシャリと閉じられてしまった。

 

 俺は、吸い込まれるように先へ伸びる、長い長い石の廊下を睨んだ。

 

 もう引き返すことはできない。なにがあっても、だ。

 

 目線をやけに下げながら 俺は廊下を歩み始めた。


 ポウゥ、ポウゥ……。

 

 背後へ遠ざかる松明の火が、陽炎のように揺れる。

 

 しばらく歩き進めたが、今のところ、なにも異変はない。

 飽きるほどに眺めたレンガの石壁が、ほんのわずかにその幾何学模様を変えてゆくだけだ。

 

 俺の選択は、正しかったのだろうか。やはり、あそこで引き返して、地上への復帰を試みるべきだったか。

 ネガティブな思考が、濁った泥のように沈殿して、頭の中をグルグル堂々巡りする。

 

 代り映えのない景色に、孤独が相まって、俺の精神は発狂寸前に追い込まれていた。

 

 唯一、俺を正気に繋ぎとめてくれていたのは、背中にズッシリと食い込む大剣の重量感と、歩く度に装備が鳴らす、金属の擦れる音だけだった。

 

 なんだか、森の訓練場で行った厳しく辛い訓練や、くじけそうになる度に見た正一爺のシワだらけの笑顔が、瞼の裏に浮かんでくるようで、最初の頃は不快の素でしかなかった、勇者の装備の全身にもたれかかる重さや不自由さが、今では、身をよじるほど恋しく思えてしまうのだ。

 

 ポウゥ、ポウゥ……。

 

 足元に流れる乳白色のレンガを無心で眺めて、暴走しようとする狂気を抑え込みながら、先へ先へと進んでゆく。

 

 ゴツンッ!

 

 視界に火花が散り、額に痛みが走る。

 

 ……行き止まり。ああ、なんと間抜けな事か。

 俺は、足元を注意するあまり、垂直に立ちはだかる壁に、勢いのままに激突してしまったのだ。

 

 ついに最奥へ辿り着いたかと思いきや、廊下は直角に折れ曲がり、左右二手にわかれて伸びていた。

 ぷっくら膨らんだ額のたんこぶを手でさすりながら、俺は、左右の分かれ道を見比べる。

 

 見た目も道幅もまったく変わらぬ、二本の廊下。

 命の安否をも決めかねない、鉛のように重い選択。またもや、俺の前に立ちふさがった、二股の運命。

 

 さて、どっちへ進もう。酷使し続けている体を休めながら塾考しようと、壁にもたれかかった、その時。


 カチッ。乾いた音。壁に触れた肘のあたりが、若干、沈み込む感覚。


 ヤバいッ! 床だけでなく、壁にもスイッチが設置されていたっ!!


 ゴウゥゥン……。


 すると、散々歩いてきた廊下の、松明の光も見えぬほど遠くの方から、除夜の鐘みたいな、鈍く低い音が響いて聞えてきた。


 ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴオォウゥゥン……。


 ああ、間違いない。得体の知れぬ何かが、どこか荘厳な音を打ち鳴らしながら、着実にこちらへ、近づいて来ているではないか。


 訳も分からず、その場で立ち尽くしていると、やがて廊下の先から、ゆっくりと焦らすかのように、音の正体が姿を現した。

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