第65話 窮地を脱せ
眼の奥を不気味に白く光らせたゴブリンたちが、深い縦穴に落下した俺を、至近距離から虎視眈々とつけ狙っているではないかっ。
分厚い暗闇を退散させる光をせっかく見つけたと思ったら、久しく目にする色彩は、ゴブリンの肌の腐ったような緑だった……。
チクショウッ。どうしてこんな場所に来てまで、俺はコイツらに翻弄されなくちゃならないんだ。
筆舌に尽くしがたい、やるせない気持ちをパワーに変えて、俺は勢いよく鞘から剣を引き抜いた。
「こっちへ来るんじゃねえ! 一歩でも近づいたら、容赦なく切り伏せるぞっ!!」
正一爺から習った剣技も忘れて、俺は無我夢中に剣を振り回す。
不気味に光るゴブリンの眼は、恐れも知らず、ジリジリとその距離を詰めてくる。
一対複数の戦闘など、これまで経験したことがない。いくら勇者の大剣を装備しているからといって、ここまで近距離かつ四方から同時に襲われれば……命の保証はないだろう。
俺の威嚇の効力が切れるのが先か、奴らが諦めるのが先か。音もない暗闇下で行われる、一進一退の攻防。
やがて、リーチ圏内に、ゴブリンの群れが侵入してきた。
……奴ら、こんな暗闇下だというのに、どうした訳か、俺が滅茶苦茶に振り回す剣を、華麗に避けているではないか。
マズい。このままでは、至近距離まで詰められ、容易に取り囲まれてしまう。そうなってしまえば……もはや逃げ道はない。
俺は、怪しげに光る眼に方向感覚を惑わされながら、ただ当てずっぽうで、剣を振り回すことしかできなかった。
……そうだ、思い出した。
窮地に追い込まれ、極限にまで集中力が高められたのか、ここでふと、ある考えが脳裏に浮かんだ。
ゴブリンの奇怪な習性。小豆の目は、単なる飾りに過ぎない。
ヤツらは、目でモノを見ているのではなかった。研ぎ澄まされた耳と鼻によって、周辺の環境を知覚しているのだったのだ。
つまり、ヤツらは最初から、暗闇の世界を彷徨い歩いているも同然。
光の届かないダンジョンの底とは、目を頼りに生活する相手に対して、圧倒的に有利な戦闘を持ち込むことができる、いわばゴブリンたちの格好の狩場なのだっ!
いつの間にか、俺の周囲には、揺れる白の光点と、ぼんやり浮かび上がる緑の体躯とが、ウジャウジャひしめき合っていた。
すぐさま襲い掛かれる距離にいるというのに、ゴブリンの群れは、示し合わせたかのように、ジッと息を潜めて、その時、つまりは狩りの瞬間を待っている。
奴らとて馬鹿ではない。俺が厳重な装備をしていることを知った上で、まるで敵の力量を測るかのように、こちらの様子を伺っているのだ。
そうして、反撃の危険がないことが分かった瞬間、四方から様々な角度で飛び掛かり、一気に仕留めるつもりなのだろう。
まさに、群れの利を最大限に活かした、狡猾な狩猟作戦である。
どうする、どうする……。
一難去ってまた一難。落とし穴に無事、生きて着地できたのはよいが、そこには、すえた匂いの充満する、ゴブリンたちの狩り場が待ち受けていたのだ。
なにか、この圧倒的に不利な状況を、クルっとひっくり返すことのできる、革命的な方法はないものか……。
……カチッ、カチッ、カチッ。思わず体が震えだし、鋼鉄の装備がこすれ合う、乾いた音が鳴った。
鉄の音は、窮屈な地の底で、繰り返しなんども壁を跳ね返り、先の見えぬ闇の天井へ向かって、幾倍の音圧にもなって駆け抜けていく。
……これだ。地味な方法だが、生き残る方法は、もはやこれ以外に残されていないっ!
考えるよりも早く、俺は、肺を限界まで膨らませることを意識して、息を大きく吸い込んだ。
背中を反らして、肩を大きく上げて、顎を空に向けて……溜め込んだ力を、今、一気に開放するっ!!
「ヴゥワァァァアアア!!!!!!」
闇を切り裂き、鼓膜を爆発させるほどの、巨大な絶叫。
四方の壁になんども音波が跳ね返ることで、俺の全力の叫び声が、怪物じみた爆音に変貌を遂げる!!
視覚の代わりを補えるほど敏感に耳の発達したゴブリンたちは、これには堪ったものではない。
キイィ、と力ない小さな悲鳴を上げて、よろめくのが、闇の中でもハッキリと分かった。
目論見通り、奴らに僅かな隙を生じさせることに成功した。それを見逃さず、俺はすかさず剣を逆手に持ち替えて、大きく振りかぶった。
もちろん剣先は……自分の脇腹に向けられている!
どうした神田っ。ダンジョンの危険な落とし穴から脱出することを諦め、こんな場所で切腹し自害しようとでも企んでいるのか?
ああ、神田よ。お前は、弱い自分の蛹を脱ぎ捨て、羽の生えた強い蝶へと生まれ変わるつもりではなかったのか?
正一爺の期待に応え、どんなことがあろうと勇者を目指し続けると、誓ったのではなかったのかっ!!!
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