第64話 奈落の底には

 足場が無くなった! 支えを失い宙に放り出された体は、あっという間に奈落の底へ沈んでゆく。


 視界がグングン下がってゆく。それに伴い、火の球が、闇に溶け込むようにして、空高くへ消えていく。


 鳥になれるわけもなく、俺はどこまでも、どこまでも、地獄の底みたいな縦穴を落下する。


 落下の終着点、縦穴の底らしい地面が見えたっ! 空から降ってくる薄い火の光が、辛うじて俺の視界を確保してくれていたのだ。

 体の後方へビュウビュウ吹きすさぶ風の強さから推測するに、すでに落下の速度は最高点にまで到達しているに違いない。


 このまま地面に打ち付けられたらば、全身複雑骨折は不可避っ。内臓がミンチ状にかき回され、あげくの果てには、見るも無残なぐにゃぐにゃのタコと化してしまうだろう!


 どうする。急いで減速する方法を見つけなければ……。


 すると、背中に担いだ勇者の大剣が、『ココニイルヨッ』と言わんばかりに、カタカタ鉄のこすれ合う音を立てた。


 ……そうだ! もはや考えている暇はない。


 俺はとっさに剣を鞘から引き抜き、懸命に腕を伸ばして、剣先を壁に近づける。……ダメだ。届かない。

 平泳ぎみたく四肢を動かして、落下しながら壁との接近を試みる。よしっ。わずかだが、壁の方へ移動することに成功した。


 こんどこそ。ウンと腕を伸ばして、剣先を壁に突き立てる。届いたっ!


 ガガガガガッ!! 剣の鋭い刃身が、触れた壁の岩を砕き裂く。

 ドリルで岩を削るかのような、物凄い衝撃が腕全体に走る。骨にまで響く振動が、激痛の異常警報を鳴らす。

 想像を絶する摩擦によって、溶かした鉄みたいに剣が真っ赤に熱せられる。

 

 この苦痛は……とても受けきれない。今すぐにでも、剣のグリップを離してしまいたい。

 

 ……だが、こんな所で力尽きるわけにはいかない。弱い自分のまま、負けるわけにはいかないのだ。

 

 俺は、壁に突き刺さった剣に全身全霊の力を込めて、ドリルで内臓を抉られるような衝撃を歯を食いしばって耐え抜く。

 

 地面がついに眼前に迫ってきた。間に合え、間に合えっ!!

 

 恐怖に目を瞑ったまま、着地っ。

 

 バフンッッ!!!

 

 モワッと立ち込める土煙に、俺は激しく何度も咳き込む。咳き込めるということは、ああ、俺は生きていた! 長い長い落とし穴らしき縦穴から、無事に生還して見せたのだっ!

 

 胸に満ちた安堵から、フウと大きく息を吐くと、俺はその場で立ち上がった。

 

 目の前に広がるのは……ひたすら暗闇。これじゃあ右も左も分からない。目を開けているのに、まるで目を瞑っているかのような風景である。

 

 頭上を見上げてみる。つい先ほどまで俺の両隣にあった松明の火は、すっかり闇に閉ざされ見えなくなっていた。

 光も届かない、暗い暗い地の底。俺は一体、どれほどの高さを落下してきたのだろうか。

 百メートル、いや、それ以上か?

 

 ただ一人で、縦穴に落とされた俺には、それすらも知る術がなかった。

 

 さて、剣を使って華麗に着地したは良いが、果たしてどうやってここを脱出しようか。ダンジョンの暗闇の中で、このまま孤独に衰弱死するのは、絶対に御免である。

 

 まずは、周囲の環境を把握しようと、手探りでソロソロと歩き回ろうとしたとき。

 

 ポン。なにか干からびたスポンジのような、妙な感触を、下半身に覚えた。

 

 下半身のあたりを手で探ってみる。……ん。やはりなにか、俺の目の前にいるらしい。

 ザラザラとした手触り。嫌に弾力のある感触。

 そのまま手を上に移動させると、顔らしき造形に、特徴的な大きな耳があった。

 

 ……ああ、そんな、まさか。絶望の雨雲が、一挙に俺の胸中に押し寄せてくる。


「ごぉ、ごぉ、ごぉ……ゴブリンッ!!」


 闇に姿を隠された、謎の物体の正体の答えを理解し認めるよりも早く、『ヤツ』の方から、ご丁寧にも自己紹介をしてくれた。


 ああ、そのガッスガスの声を合図に、俺の周囲をグルっと取り囲むようにして、白の光点が、膝下くらいの位置に次々と浮かび上がってくるではないか。


 もはや数えきれぬほどの、大量の光点。それはまるで、夜空に浮かぶ寿命間近な汚らしい星々のよう。


 俺を取り囲む、謎の光点の正体は……ゴブリンの眼、眼、眼っ!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る