第60話 いざ滝へ

 【勇者の胸板】【勇者の腰当て】【勇者のネックレス】【勇者の大剣】。ついに、これら勇者の装備一式がすべて、俺の体に装備された。

 正一爺の汗と苦労が染み込んだ、誇り高き逸品の数々。鋼鉄の重さに加えて、克明に刻まれた悠久の歴史が、俺の肩にドッシリとのしかかってくるようで、自然、緊張感が格段と増す。


「出発前に、何かやり残したことはないか。もう訓練でここを使うことは無い。それどころか、二度とここへは戻ってこれなくなるかもしれんぞ」


 振り向きざまに、さらっと恐ろしいことを告げられた。


 俺は怖気なかった。本気で勇者を目指すという事は、それほど過酷な道が待っているということを、これまでの試練や正一爺の言動で、痛いほどに知っていたのだ。


「はい、ありません」


 すぐに覚悟はできた。迷いなく、キッパリと答える。


「よしっ。それじゃ、ついて来い」


 小屋を出て、山の方へ向かう。ズッシ、ズッシ、ズッシ。一歩、足を前に出すたび、土の地面に足裏がぐぅっとめり込む。兵隊の大群が一挙に行進するような,鉄のこすれ合う生々しい音が鳴り響く。


 フル装備下の慣れない歩行に、最初は戸惑ったが、正一爺のあとをつけているうちに、徐々に様になってきた。


「正一爺さん」


「ん?」


「一つだけ、やり残したことがありました」


 俺は、大きく深呼吸して、後ろを振り返った。

 風に揺れる、ロープの渡った木々。使い古された練習用のカカシ。森のてっぺんにまで届く、背の高い杭の階段。


 それらを見守るかのようにして建つ、暖かい木目調の小屋。


 正一爺が密かに山奥に作り上げた訓練場。勇者と勇者になりたい者だけが知る、秘密基地だ。


 俺は、背にかけた勇者の大剣を地面にそっと置いて、深々と頭を下げた。


「短い間でしたが、お世話になりました」


 返事をするかのように、涼しい風がサーと森を通り抜けた。


 木漏れ日の柔らかい香りが、危険な旅への出発を優しく後押ししてくれた。


 山を越え、渓流を横目に、ひたすら森の中を歩き進めると、なにやら水しぶき巻き上がる轟音が聞こえてきた。


「もうすくダンジョンの入口に着くぞい」


 木々を抜けた先には……苔むした男岩に囲まれた、視界の開けた空間。その最奥に、ドドドっと物凄い勢いで清流を落下させる、迫力ある見事な滝があった。


 一度、滝壺に叩きつけられた水は、白い濁流となってグルグル渦巻いたのち、川の下流へと流れていく。


 見上げるほどの高さから、絶えず大量の水が、流れ落ちてくる。

 まるで純白の竜が岩肌を駆け上るかのような、その荘厳な景色に、思わず俺はその場に立ち尽くし、身震いせずにはいられなかった。


「ここが、あんたに今から踏破してもらう、ダンジョンだっ」


「え、ここ?」


「そうだ。古くからこの異世界の各所に存在し、宝の匂いをプンプンさせ我々を誘惑してやまない、由緒あるダンジョン、その一角だわいっ」


「……はあ」


 といっても、目の前には、ゴツゴツとした苔むした男岩と、荘厳な大滝しか見えない。この景色の一体どこに、ダンジョンがあるというのか。


「あ、そっか。あんたはここへ初めてくるんだった。これじゃあ、ワシがなにを言ってるのか、チンプンカンプンだわなあ。それぃ……ンポッ!」


 正一爺が独り言のようにつぶやき、ピンと人差し指をおっ立てると……。

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