第59話 最終調整
ズルズルとだらしなく引きずっていた頃とは異なり、今では片手で簡単に剣を持ち上げることができる。だが、あんな芸当、本当に俺に真似することができるのだろうか?
正一爺が目の前に置いてくれた二個の薪を、じっと眺める。
目を瞑り、イメージを膨らませる。
できないならば……まずは、できる人間の真似から始めてみることだ。正一爺の息をのむ斬撃。振りはじめから、振り終わりまでの、その美しい所作の一つ一つを分解し、分析し、頭の中で再構築する。
一連の流れを組み立てた。あとは、俺の体に命令を飛ばして、予定通りの動きを完成させるだけ。
大きく息を吸って、腰を少し落として重心を下げ、斬撃の土台を作り上げる。振り終わるまでの間、すこしのエネルギーも滞らせてはいけない。
川上から川下へ水が流れるように、自然な動きで、運動を完結させる。最小限の力で剣を振ることが、最大限のパワーを生み出すコツだ。
……今だっ!
一瞬にすべてを賭けて、全力で横一文字に剣を振った。
ヒュウン……。
剣の残像が、銀の魚が尾びれをたたんで目の前を通り過ぎているように見えた。
結果は?
……手前の薪と奥の薪が、まったく同じ形で、真っ二つに割れていた。
やはり、正一爺の技には遠く及ばぬ結果であった。
「ほう、大したもんだわい」
すると、正一爺が感心したようにウンウン頷く。
「さいしょっから、ここまで豪快に切れるヤツは、なかなかおらんぞい。勇者専門学校で数多くの新人を道場で剣術指導してきたが、奥の薪まで一緒に切れた奴は、せいぜい一人か二人だったぞ」
そうか。先の神業ばかりに気を取られていたが、よく考えてみれば、剣身のリーチ外である奥の薪までをも巻き込んで切れるというのは、普通では考えられない現象なのだ。
それを俺は、正一爺の斬撃を見よう見まねで真似てみることで、無意識にやってのけた。
なるほど、そう落胆する必要もないのかもしれない。
「感覚を忘れないうちに、急いで次もやってみるのだ」
正一爺の言うとおりに、俺は次々と、目の前に立ちはだかる背の低い薪を切り倒していった。
ヒュウン、ヒュウン、ヒュウン……。
剣を振る音だけが、訓練場の森に響き渡る。
剣が空気を切り裂く、つまりは剣によって空気が押し出される音が鳴るという事は、それだけ余分なエネルギーが外へ放出されているという証拠。
本来、斬ったか斬っていないか分からないほどの無音が望ましいのだ。
俺は、理想の形だけを追い求めて、ひたすら無心に薪を斬り伏せてゆく。
やがて……太陽はすっかり空のてっぺんまで登り、あたりは粘っこい昼の熱気に包まれていた。
「そこまでっ。剣術の訓練は、ここまでとするっ!」
ちょうど五百本目の薪を斬ろうとしたところで、正一爺の号令がかかった。
俺の足元には、真っ二つに割れて鏡みたいにツルっとした断面を露わにする、薪の残骸が、死屍累々と転がっていた。
「これだけ薪を割ってもらえば、しばらくワシは仕事をせんでええなっ。ガッハッハッ!!」
大口を開けて笑う正一爺。
早朝から正午までの間、休みなく剣を振り続けたが、悔しいが、結局一度も、正一爺の技を再現することはできなかった。
やはり、分かってはいたが、剣術というのは、一日や二日でどうこうできるほど簡単な代物ではないらしい。
次の試練。たった一人でダンジョンを攻略する、という難題なのに、剣の腕前がこんなもので、果たして本当に大丈夫なのだろうか……。
「さて、いよいよ今から、本命のダンジョンへ向かうぞいっ」
不安をよそに、正一爺は呑気にそう言い放つ。
「え、休憩は無しですか。素振りから斬撃の練習まで、まだ一度も休んでいないんですよ。腕がパンッパンで引きちぎれてしまいそうですよぉ」
「休憩なんてしている暇はないっ! すこしの時間も惜しまない。勇者の鉄則だっ!」
「でも……」
「疲れるのが嫌なら、せいぜいダンジョンの中で自力でレベルを上げることだっ。まだまだ、精神的な修行が足りていないというのなら、ワシが今ここで鍛えてやろうか? 尻を出せっ。尻を出せば、リンゴみたいに真っ赤になるまで、プルンプルンひっぱたいてやるぞいっ!!」
「……いや、結構です」
「ほんじゃあ行くぞ、山の向こうのダンジョンへ。小屋で準備してから、すぐに出発だ。しばらく禁欲生活が続くだろうから、やることはやっておけよっ」
俺は、ハアと深くため息をついて、気の抜けた返事をした。
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