第27話 レベル以上のもの
……どれほどの時間が経ったろうか。
両腕を前に出して、両脚を押し出す力と、腕を引く力を同時に利用して、体を浮かせるようにして前進する。
ズリズリズリィ……。
腕と脚が伸びきったら、また同じことを繰り返す。
ズリズリズリィ……。何度も、何度も。俺はちっぽけな匍匐前進を繰り返す。
地面でこすれて、手のひらと肘には、血の滲んだ赤い斑点模様が浮かび上がっていた。
つま先は、何度も強く力を込めたせいで、肉と骨が圧迫に悲鳴を上げ、そこら中から血豆を噴き出していた。
……後ろを振り返ってはいけない。
俺はただ、前だけを見据えて、ゴールである杭の最上階だけを目指して、進んでゆくのみ。
正一爺はというと、杭の上に座って、退屈するでもなく、かといって何か別の作業をするわけでもなく、涼しげな顔をして、そよ風に揺れる木々の葉をただ眺めていた。
いつの間にか、日はすっかり空の真上に移動し、森の中の訓練場には、容赦なく昼間の日差しが降り注いでいた。
このペースで、杭の一段目の位置を目指すとすれば、無事にそこへたどり着くのは……ああ、考えるだに恐ろしい。
それに、あくまでも目指すべき場所は、杭の最上階。
一段目に到着したところで、そこは単なるスタート地点である。
そこからさらに、うねるように地面から生えた計八本の杭を乗り継いで、アパート三階分相当の高さまで上り詰めなければいけないのだ。
当然、杭と杭の間には、渡れるようなものが一切ない。そこにあるのは、果てしない奈落だけ。
杭同士は、普段の状態でギリギリ飛び越えられるかどうかほどの、けっして狭くはない間隔がある。
落ちれば、また最初からやり直し。
地面に土のクッションがあるとはいえ、これだけ重い装備を背負っていれば、地面に叩きつけられ無事である保証はどこにもない。
骨の一本や二本が折れても、なんら不自然なことではないのだ。
このまま現実逃避していては、いけない。
……燃えるような情熱だけでは、困難な目標を達成することはできない。
時には、氷のように冷めた、理路整然とした計画力も必要。
そう自分に言い聞かせ……おそるおそる後ろを振り返った。
「う、そ、だ……噓だと、言ってくれよ」
乾いてひび割れた唇から、蚊の鳴くような、なさけない声が漏れる。
眼前にまじまじと叩きつけられた現実に、わなわな肩が震え出す。
寒くはないのに、全身に鳥肌が立つ。
(これだけ頑張ったんだから、その分、前に進めている)
そんな淡い幻想が、ガラス細工みたいに、粉々に砕けて、散っていった。
一度捻られた黄色い蛇口は、もう止まらない。
俺は、勇者の装備を着たまま、その場でだらしなく失禁した。
ああ、朝方に小屋の前を出発してから、その景色がほとんど変化していなかったのだ。
日の出から太陽が昇り切るまでのあいだ、つまり、約6時間の時間をかけて、俺は、小人の一歩ほどの距離しか進めていなかった! これでは、牛歩どころの騒ぎではないっ!!
ああ、依然として小屋の木の壁は、巨大な山のように、俺のすぐ真後ろにそびえ立っている。
木目の点々が、怪物の目となり、口となり……やがて無数の怪人が、こちらを睨みつけ、せせら笑っているような錯覚に陥る。
どれだけ努力しようと、お前はそこから逃れることができない。どれだけ頑張ろうと、お前は、ムダだなんだ。
木目に浮かび上がった怪人たちから、無数の悪口を浴びせかけられる。
正真正銘、俺は、絶望の淵に立たされた。
不安の荒波が、活力を根こそぎ吞み込んで、はるか遠くへ流し去ってしまう。
前世では、いじめられっ子のヒョロガキ陰キャ男子高校生だった俺が、勇者になるのは、やはり、不可能だったのか……。
「どうした、ワシの言ったことを、もう忘れたのか」
土を味わうかのように、地面に顔を伏せていたら、突然、空から澄み渡った声が聞こえてきた。
「大切なのは、その者が胸に秘めた、素質や才能。数字ではっきりと表された『レベル』がすべてではない。そう、教えたはずだが」
俺は、導かれるようにして、顔を持ち上げる。杭の最上階に座る正一爺が、木漏れ日を浴びて、神になったみたいにこちらを見下ろしていた。
「いいか。レベルが全てではない。あんたは、その胸の中に、レベル以上のものを秘めているはずだ。それを決して、忘れてはならん」
胸に秘められた、レベル以上のもの……。
そうだっ! 固有スキルッ!!
この世界中でただ一人、俺だけが扱うことのできる、【精霊遣い】というスキルが、俺にはあるじゃないかっ!!
ステータス値に依存した身体能力には一切頼らず、固有スキルの力だけで、なんとかゴールまでたどり着くことはできないか。
次に稼働すべきなのは、筋肉ではなく、脳だ。
考えて、考えて、方法を編み出せ。
アイデアを振り絞って、【精霊遣い】を使って杭の最上階まで登る方法を、見つけ出すんだっ!
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