第28話 独特な固有スキル
【精霊遣い】の特性を、もう一度よく思い起こしてみる。
人には見えぬ、そこかしこに潜んでいる精霊たちを見ることができる。なぜだか獣は、スキルがなくとも、精霊の姿をを見ることができるらしい。
精霊は、それぞれに固有の能力があり、一定の条件を満たし能力が発動されると、大抵の場合、なにかしらの恩恵を受けることができる。
固有スキルの効果は無意識的に、ほとんど常に発動されている……。
そういえば。森に入ってから、今に至るまで、精霊の姿を一度も目にしていない。
念のため俺は、スキルの状態を確認してみる。
「ステータスオープン」
ーーーー
神田陽介
種族:人間
レベル:1
攻撃力:3
防御力:3
素早さ:3
固有スキル<状態:使用中>
精霊遣い
特殊スキル一覧
なし
ーーーー
固有スキルの状態は『使用中』となっている。それならば、精霊の一匹や二匹と出会っていても、おかしくはないはずなのだが……。
俺は、なにか背後に視線のようなものを感じて、フッと後ろを振り返った。
……いま、なにか灰色の影のようなものが、壁に沿うようにして、サッと小屋の影に隠れなかったか?
相変わらず山のようにそびえ立つ、小屋の木目の壁。
そこに浮かび上がる、怪人の目、鼻、口。
こちらを睨み、せせら笑う、怪人の無数の顔。
いや、もしかして……錯覚などではなく、実際に、なにかに見られてたのではないか?
本能的に感じ取った視線を、不安と恐怖の入り混じる錯覚として、俺は認知していたのではないか?
俺は、透かして見るかのように、小屋の木の壁を、ジッと凝視した。
木目の模様が、壁を這うナメクジのように、ヌメリ、と動いた。
気のせいか? 目を擦って、もう一度よく観察してみる。
ああ、壁に浮かんだ木目が、グニャリ、グニャリとわずかに動いているではないか。
それはまるで、湖面の波に揺れて浮かぶ、蓮の葉のよう……。
「あっ!」
信じがたい発見に、思わず俺は、感嘆の声を上げた。
木の壁の木目は、まるで、なにかを避けるようにして動いているのだ。
木の壁は水。木目は水面。
そして木の壁の水を、なにかが悠々と泳いでいる。
ああ、そう考えた途端、不規則に見える木目の動きも、途端に合点がいくではないか。
……あの壁に触れれば、きっと、なにかが起こる。
それは、単なる直感に過ぎないも、ほとんど確信に近い響きをもって、電撃のように脳裏を駆けめぐった。
俺の心を突き動かし、なけなしの体力を引き出させるには、十分のセレンディピティ、閃きであった。
見るべきところは、ゴールではなく、スタート地点にあったのか……。
俺は、四肢をジグザグに動かして、体の向きを180度回転させる。
移動するわけではないので、胸板と腰当てをコマの軸のようにすれば、クルっと容易に反対方向をむくことができた。
あとは、来た道を戻るだけ。その距離、数メートル。
水中を泳ぐカエルのような、例の不格好な匍匐前進で、ズリズリと鉛のような体を引きずっていく。
来た道は、装備の重さによって、すでに土が均されていて、行きと比べて圧倒的に少ない摩擦下で進むことができた。
おかげで俺の体は、氷上を滑走するボブスレーみたく、スーイスイと小屋の方へ近づいていく。
無我夢中で杭の一段目を目指していた、あの時の苦労は一体なんだったのか。
あっという間に、小屋の壁の前に到着してしまった。
頭だけをゆっくり持ち上げて、壁を見上げてみる。
一見すると、なんの変哲もない、木の壁。だがやはり、近くで見るとより、木目がウネウネ動いているのがわかった。
錯覚などではなかったのだ。
俺はそっと耳を近づけてみる。
ザアアアァァ……。深海のような、暗く沈んだ水の音が聞こえる。
俺は、おそるおそる腕を伸ばし、壁に人差し指を触れた。
爪先が、チョンと壁に接触した、その瞬間。
苔むした岩のしずくが、水溜りにポチャンと落ちるような、澄み切った音が聞こえた。
それと同時に、木の壁の上を、円形の波紋が、ブワっと拡がってゆく。
波紋に当たった木目の模様が、ざわめくように一斉にウネウネと動き出す。
壁が火傷するほど熱せられていたかのように、俺はとっさに指先を離した。
濡れていない。壁に触れた指は、乾いたまま。
今の現象は、一体なんだったのか……。
思い切って、殴りかかるようにして右手を不思議な壁に叩きつけてみた。
バッシャンズボウゥッ!!
何重にもかさなった波紋が、激しく壁の上を走り拡がっていく。
そして、信じられないことに……右手が木の壁にめり込み、すっかり飲み込まれてしまった!
壁の中に吸い込まれた右手に、変な感触を覚える。
ヌメッとしてひんやりした、嫌な感触。
俺はおそるおそる、壁に沈んだ右手を引き抜いた。
ようやく右手が壁の外に出た……かと思いきや、赤い謎の物体が、一緒になって壁の外に引きずり出された。
俺の右手に吸い付く、赤い謎の物体、いや、奇妙な生物。それは……。
「な、なんだっ! こいつはっ!!」
濡れてテラテラ光る、真っ赤な鱗。
鯉の体に、高級金魚の扇子のような優雅な胸びれと尾びれを取り付けたような。
変な見た目の、魚?
ああ、金魚のような鯉のような変テコな魚が、俺の右手に吸い付いて離れないではないかッ!
さらに魚を引きずり出すと……黄色の鱗をまとった別の個体が、尾びれの先に離れまいと吸い付いているのが、木の壁の上からすこしだけ見えた。
もう何がなんだかよく分からないが、こうなったら……エエイ、やけくそだっ!
俺は、大物を釣り上げたみたいに、壁から右腕を、力のかぎりに引き離す。
ボボボボボボンッ!!!
ああ、マシンガンの弾丸みたいに、壁の中から、次から次へと鯉金魚が飛び出してくる!!
その数は……もはや数え切れない!
目にも留まらぬ速度で、堰を切ったように、鯉金魚の大群が、美しい弧を描きながら訓練場の地面にボトボト落下していく。
その様子は、まるで、日に照らされた魚たちが、絹のローブを風になびかせながら、虹の橋を渡っていくかのよう。
出切ったのだろうか。ついに、壁から噴き出す鯉金魚の勢いが弱まってきた。
ツッパツッパツッパツッパ……。
ああ、いまや訓練場は、陸に打ち上げられて、苦し気に口をパクパクさせる、奇妙な七色の魚の溜まり場と化してしまった!
もはやそこに足の踏み場はない。
あるのは、無数にひしめく鯉金魚の大群と、騒々しい呼吸音だけっ!!
ズ、ズ、ズボウゥ……。
小屋の木の壁の中から、最後の魚らしき、全身真っ黒な巨影が飛び出してきた。
他の個体の10倍ほどの体長はあろうか。
黒の鯉金魚は、まるでピリオドを打つみたいに、ドスンと魚の海の上に、巨大な身を乗り上げた。
正一爺はというと、先と変わらず杭の上に座り、目をつむって、神になったみたいに木漏れ日を浴びている。
見えていない……。小屋の壁から無尽蔵に魚が噴き出してくるという、この常軌を逸した光景は、俺にしか見えないのだ。
ツッパツッパツッパツッパアァ……。
「はあ、なんだかなぁ」
俺は、うるさく跳ねる魚の大群を見て、声にもならぬ深いため息を吐いた。
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