第26話 立ちはだかる試練
ようやくすべての装備を身に着け終えた頃には、俺はすっかり、身動きの取れないオブジェと化していた。
胸と腰が、釘で打ちこまれたみたく、がっしりと地面に固定され、おまけに首元までもが、焼けるように熱くて痛い。
試しに、立ち上がろうとしてみる。
……ムリだ。絶対に。
では、両手と両脚の力を使って、匍匐前進のように進むのはどうだ?
ウンと歯を食いしばって、なけなしの筋肉を命一杯に稼働させる。
ズズズと地面に擦れる音がすると、ほんのわずかに前進した。
後ろを振り返る。小屋の木の壁が、俺のすぐ真後ろに、巨大な山のようにドンと立ちはだかっていた。
ああ、まったくといっていいほど、進めていないではないか。
これじゃあ、まるで、地を這いつくばる蟻みたいじゃないか。いや、蟻の方が自由に動き回ることができるか……。
正一爺はというと……朝食を持ったまま、いつの間にかどこかへ姿を消してしまっていた。
正一爺を探してみようにも、これでは、自由に歩き回ることすらできない。
ああ、もはや、食事どころではなくなってしまった。
鉛のように重たいこの枷を、早く脱ぎ去ってしまいたい……。
そんな後ろ向きな思考が頭をもたげた、次の瞬間。
「おーい、そこで一体なにをやっておる。早くここへ来んかい。すっかりベーコンがしなびてしまったぞ」
頭上から、正一爺の快活な声が降ってきた。
なんとか首を持ち上げて、声のしたほうを見遣る。
地面に打ちこまれ、段々と高くなった太い杭。
驚くべきことに、正一爺は、その最も高い杭の上に座り、悠々とカップのコーヒーをすすっていたのだ。
高さは……森に生えた木の頂点とさほど変わりがない。マンションの三階ほどの高さはあろうか。
一体どうやって、あそこまで登ったのだろう。燦燦と太陽の光を浴びて、正一爺は、まるで神になったように、杭の最上階から、悠然とこちらを見下ろしていた。
ああ、ただでさえ、あんな場所へ登るのは難しいというのに……正一爺は俺に、この重りを体に身につけたまま、杭の最上階へ登ってくるように言っているのか。
あまりに無茶だ。不可能にも程がある。
地面をわずかに這っていくのが限界だというのに、どうやって、あんな高所にまで体を持ち上げることができるというのか。
「正一爺さん、無理です。そんな場所、行けるはずがありません」
俺は、力の限り叫び、必死に訴えた。
正一爺は、まるで俺の反応を見越していたかのように、余裕の表情で、カップのコーヒーをすすった。
「無理といえば、それまでだ。己で不可能と定めたことは、どう頑張ったって、実現が叶うことはない。やるだけ時間の無駄だ。だがしかし……ワシは、あんたが勇者になれるよう、本気で鍛えてやると約束し、心に誓った。決してあんたに、効率の悪い、無駄で無意味な課題を課すことはしない。元勇者の名に懸け、自信をもってはっきり宣言しよう。すべての苦労は、あんたの成長のためにある」
目を細め、濁りのない真っすぐな視線で俺を見下ろしながら続ける。
「悔しかったら、自分の弱さが不甲斐なかったら、その装備を着たまま、ここまで登ってこい。方法は問わない。ただし杭に攻撃を加えるのは禁止。もちろん、破壊もだ。ワシはここで、いつまででも待っておる。あんたの朝食と一緒にな」
ズズズとカップのコーヒーを飲み干すと、正一爺はフウと一息ついて、カップを杭の上に置いた。
朝食の皿から細く立ちのぼる湯気が、朝陽を浴びて白々と揺れていた。
俺は、なんだか途轍もない敗北感に襲われて、グッタリ地面に頭を添えた。
……相変わらず、装備の重さは、俺の体の自由を捕らえて離そうとしなかった。
さて、どうする。逃げ出すのは簡単だ。
「やっぱり勇者になるのは諦めます」と声高らかに叫んで、装備を脱ぎ捨ててしまえば、それでお終いである。
だがしかし……本当にそれでよいのか。
俺は勇者になるために、人間の蔓延るクソみたいな現世から、この世界に転生してきた。
勇者になれなかった者は、弱いまま落ちこぼれていった者は、果たして最後にどうなってしまうのか。その答えは未だ知らない。
『フム、訓練のやり甲斐があるということ。そういう後ろ向きな思考が、良くないと言っておるのだ……』
すると、立ち込める雨雲の隙間から一条の光が差すみたいに、ふいに正一爺の声が脳裏に響き渡った。
そうだ。下を向いては、悪いことはなんにも改善されない。
この状況を、前向きに考えるんだ。
俺は、元勇者から直接指導をしてもらえるという、幸運に恵まれた。
そして、俺の前に立ちはだかる、太い杭の一本一本は、この世界における成功、つまり勇者の称号へと続く、奇跡の階段に違いないのだっ!
そう考えた途端、溜まりに溜まった負の感情が一気に解放され、一斉に正のエネルギーへと方向転換された。
俄然、やる気に満ち溢れてきた。
ドクドクと心臓が力強く脈打ち、新鮮な血液が素早く全身を駆け巡る。
俺はもう一度、杭の最上階をキッと見上げた。
風に吹かれる、朝靄も届かない森のてっぺん。あそこが、俺の目指すべきゴールだ。
大きく息を吸い込むと、俺は、あらんかぎりの力を腕に込めた。
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