第21話 訓練のはじまり
畑に降りると、俺は正一爺に例の旗振りカカシを見せてやった。
「こいつが、奇妙なダンスを披露すると、見せられた動物たちの苛立ちが頂点に達し、ついには狂気に駆られて我をも失い、暴れ出してしまうんです」
バサッ、バサッ、バサアァ……。
説明の最中も、カカシはへのへのもへじの顔をかたく閉ざしたまま、性懲りもなく、機械めいた動作で紅白旗を振り続けている。
「はあ、このカカシが……」
正一爺は訝しそうにカカシを観察する。
舐め回すように眺めると、やがて、ぽつりと言った。
「それで、奇妙なダンスとやらは、一体どのようなものなんだ?」
「えっ、見えませんか。今もカカシが変てこなダンスをしているんです」
「ウーン。両手を広げて、旗を風になびかせているようにしか、見えんのだが……」
ああ、そうか。正一爺には、カカシのダンスが見えていないのだ。
もふもふは、カカシの振る旗の動きを追うようにして、ふわっふわの頭をコクリコクリと揺らしている。
なるほど、やはり精霊は、動物と、固有スキル【精霊遣い】を持ち合わせた俺以外には、目にすることができないらしい。
さて、この旗振り野郎を、一体どうしようか……。
「正一爺さん、このカカシ、反対に向けてもいいですか」
「え、ああ、構わんぞ」
なんだか、健気に旗を動かし続けるカカシを見ていると、どうしても乱暴な真似は憚れたので、ひとまず俺は、山の動物たちにダンスが見えないよう、カカシの体をそっぽに向かせることにした。
柔らかい土から、カカシの足を引っこ抜いて……サクッと刺し直す。
偶然、カカシの正面に、正一爺がいた。
カカシと正一爺は、運命の出会いを果たしたかのように、しばらくの間、じっと見つめ合う。
無表情な『の』の両目が、正一爺を捉えて逃がさない。
反対に正一爺の方も、なにかに深く魅入られたように、枯れて乾いた両の瞳に映るカカシの姿を離そうとしない。
時間の静止した、二人だけの空間が、そこにはあった。
すると、次の瞬間。
「なんだ、ナンダ! 体がポカポカしてきて、全身に力がみなぎってきたぞっ! 体が紙のように軽いっ! 筋肉に血が巡っているのがわかるっ! 今ジャンプしたら、雲の上まで届きそうだわい。見ておれ、ワシの本気の走りを! これじゃあ、ウサイン・ボルトでも追いつけないワイッ! ワッハッハー!!」
突然、正一爺が上ずった声でそう言うと、ダダダッと畑を走り回り始めた。
その姿は、ああ、まるで、減速を知らぬ暴走機関車っ! ヤンキーバイクのぱらりらぱらりらっ!
土煙を巻き上げ、高笑いを朗々と青空に響かせながら、常軌を逸した脚の回転速度で、無邪気に畑を駆け回る。
疲れ知らずの正一爺は、俺の前に戻ってくると、顔を真っ赤にして早口でまくし立てる。
「恥ずかしながら……ワシのリトル・ワシの方も、ピンと張って屹立してきたわい。あんな気持ちこんな気持ちが、靄みたいにムクムクと湧き上がってくるぅ。そうだっ、婆やもここへ呼ぼうっ。そうしたら、何十年かぶりに……エッチラオッチラ、してしまおうかのう」
ダダダッと目にも留まらぬ速さで家へ駆け戻ると、腰を引けて嫌がる梅子婆を、手を引っ張り無理やりに連れ出してきた。
「いきなりなんだい。茶を吹き出してしまったじゃろ」
「一旦、ここに立ってみろ。ワシのアソコも立って……」
「え、なんじゃって?」
「いいから、いいから」
梅子婆をカカシの正面に立たせる。
すると、松の木のように曲がった梅子婆の腰が、見る見るうちに直立し……発奮した体から蒸気が立ち昇り始めた!
「おっ、なんじゃこれは。体が急に元気になって……胸に桜色の気持ちが、こみ上げてきたっ! 恥ずかしながら、久しぶりに、爺やのアレが見たくなって堪らなくなってきたぁ。春に育つワラビみたいに、長く伸びた、アレのことじゃあぁ……」
二人は揃って腕を組むと、年に似つかわない若々しい高笑いを空に響かせながら、ダダダッと家に戻っていった。
「……」
俺は、豹変した二人の様子を、口をあんぐりと開け、言葉もなく、ただ黙って見ていることしかできなかった。
ふと、カカシの姿が視界に入った。
明らかに、こいつの仕業に違いない。
こいつのダンスを見た途端に、山の動物は怒り狂い、二人は身も心もすっかり若返ってしまった……。
そうか。カカシの精霊がもたらす効果が、ここでようやく判然とした。
カカシは、見た者の体に眠る潜在的な身体能力と、深層心理に隠された精神的エネルギーを、うんと増強したうえで解放させてしまうのだ。
つまり、脳のリミッターを解除し、無理やりに火事場の馬鹿力を発揮させる能力。
それじゃあまるで、危険なドラッグと大差ないではないか。
俺がカカシのダンスを見ても、さほど影響を受けなかったのは……呼び起こすほどの身体能力も、覚醒させるほどの精神的エネルギーも、体には眠っていなかったということだ。
裏表のない浅い精神世界に、リミッターを設ける必要が無いほどの低い身体能力……。
「なんだかなあ……」
俺は、卑下のような、嫉妬のような、嫌悪感のような、変に暗い気持ちに駆られた。
とりあえず、このカカシを放置しておくのは、あまりに危険だ。
俺は両腕で抱きかかえるようにして、カカシを根元から引き抜くと、畑の土の上にそっと寝かした。
二本の紅白旗は、その役目を終えたかのように、もう動き出すことはなかった。
土壁から漏れてくる、なにかを啜るような音と、しわがれた喘ぎ声を聞きながら、もふもふと戯れていると、すっかり日が暮れてしまった。
庭の木にとまった、数羽の小鳥たちが、山の寝床を目指して、夕陽に赤く染まった空へ飛び立っていく。
すると、縁側から、事を終えたらしい二人が、ノソノソと和室へやって来た。
肌ツヤを取り戻し、一回りも二回りも若返ったように見える梅子婆。
それに反して、正一爺の方は、頬がこけて窪み、心なしか、体の肉も一回りほど削げ落とされたように見えた。
「久方ぶりに味わう、SMプレイならぬ魔法プレイは、強烈だったわい」
「ベッドの上の勇者の称号は、いまだに譲れないよう。なんせ学生時代、寮の男子全員を、魔法のテクニックで骨抜きにしちまったんだからねえ……」
すっかり醒めたと見え、二人はいつも通りの落ち着いた所作で、ちゃぶ台に座り人数分の茶をくんだ。
茶を一口すすり、乾いた唇を湿らすと、正一爺は正座をして俺の方に向き直り、真剣な表情で語り始めた。
「ワシはあなたに、深い深い感謝の気持ちを述べなければならぬ。イノシシの件を、見事に鮮やかな手法で解決していただいた上に、昔を想い起こすような、こんなにも素晴らしい経験までさせてもらった」
「いえそんな、俺はただ、自分にできることを、やったまでです。むしろ感謝を述べるのは、こちらの方です。ここまで助けていただいたんですし」
首を横に振ると、正一爺はおごそかに続ける。
「何かあなたのお役に立てることがあれば、遠慮なく言ってほしい。ワシに出来ることならば、なんでもする。どうか、ワシの濁りないお礼の気持ちを、受け取っておくれ」
そう言うと、正一爺は躊躇なく土下座をした。
「そんな、やめてください」
「いいや、止めんっ。あなたに感謝の気持ちが全部伝わるまで、絶対に顔を上げんっ!」
正一爺は頑固に土下座の姿勢を崩そうとしない。
「じゃあ……正一爺さん。俺に、勇者になる方法を教えてください」
途端、正一爺は弾かれたように頭を上げ、凛々しい顔つきで俺を見上げた。
「承知した。本気で指導させてもらう。ただ……決して楽な道のりではないぞ。それでもよいか?」
俺は、覚悟を持って、頷いてみせた。
「よし。さっそく準備に取り掛かろう。ついて来い」
正一爺はシャンと立ち上がると、先とは打って変わり、全身から覇気を放ちながら和室を後にした。
遅れを取らぬよう、俺は急いで正一爺のあとをつける。
後ろを振り返ると、もふもふがだらんと舌ベロを垂らしながら、片腕でピシッと敬礼していた。
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