第19話 固有スキルを活かせ!

「あのぅ、なにをやられているんですか?」


 聞こえているのか、それとも聞こえていないのか、カカシはへのへのもへじの表情を変えることなく、降り注ぐ陽光の下でなおも紅白旗を振り続けている。


「もしもーし」


 バサッ、バサッ、バサアァ……。


 駄目だ。このカカシの精霊とは、どうやったって意思の疎通をはかれないらしい。 


 俺は、カカシの低知能ぶりに呆れて、その場から立ち去ろうとした。


 するとその時。

 

 山の茂みの暗がりから、道に迷ったらしい一匹の野生のタヌキが、ピョンと畑の方へ飛び出してきた。

 

 タヌキは、とつぜん陽の光の下にさらされて、しばらくあたふたと山と畑の間を駆けずり回ると、吸い寄せられるようにして、カカシの精霊に目を留めた。

 

 タヌキの黒いビー玉みたいな瞳に、その奇怪な旗振りの様子が映った。

 

 途端、タヌキの様子が一変した。

 赤茶色の毛がピンと逆立ち、喉の奥をゴロゴロと鳴らし、剝き出しになった口元から、鋭い犬歯を覗かしている。

 

 威嚇をしているのか? 

 よく見ると、タヌキの体表から、赤い蒸気のようなものが、陽炎のようにユラユラ揺らいで立ち昇っている。

 その異様な様子はまるで、何者かに取り憑かれ、思考までをも乗っ取られてしまい、狂気に駆り立てられているかのような……。

 

 カカシの背後に神田の姿を見つけるや否や、タヌキがこちらめがけて襲い掛かってきた!

 唾液の付いた牙先が、容赦なく神田の方へ向けられる。

 

 だがしかし……所詮は野生動物。

 大型モンスターの戦闘能力とは比べ物にならない、虚弱な攻撃である。

 俺は、ヒラリと身をかわすと、両手を広げ、人型の影の中にすっぽりタヌキを包み込んでしまう。

 

 タヌキの顔に、怯えの表情が浮かんだ。

 それは、明らかに自分よりも力の強い相手に対して抱く、諦めにも似た色合いだった。

 

 俺の放つ威圧感が、タヌキのそれに勝ったのだ。

 

 キュウと尻尾を縮めて、タヌキはあっという間に山の方へ逃げ帰ってしまう。

 体表から立ち昇る赤い靄は、もう見えなくなっていた。

 

 取り憑かれたように、狂暴化したタヌキ……。いまのは一体、なんだったのだろうか。

 

 すると、俺の脳内で、ある出来事と、ある出来事が一本の線で繋がり、とある仮説を生んだ。

 

 ああ、そうか。謎が解けたぞ。

 正一爺が困り果て嘆いていた、イノシシが山奥から畑に降りて頻繁に暴れるようになったという、その理由が。

 

 俺は真偽を確かめるべく、山の方へ向かった。

 

 先とは異なり、山の中の至る所に、小さくて可愛らしい精霊たちが泳いでいるように見えた。

 苔むした岩の影には、苔を身に纏った緑の精霊が。

 ふんわりとした土の上には、昆虫を模った精霊が。

 グニャリと伸びる木々の枝の先には、腰に木の実をぶら下げる葉っぱの精霊が……。

 

 旗振りのカカシに触発されたのか、固有スキル【精霊遣い】の効果がより強力に発動されているらしい。


「やはり……俺の考えは正しかった」


 思わずそう呟く。

 なぜなら……森に住む精霊たちは、皆一様に、見るからに元気を失いグッタリとしているのだ。

 ケホッ、ケホッ。黒煙まじりの咳をする精霊たち。


 これでは、森の機能を健全に保つことは期待できない。

 自然の循環が失われ、負の連鎖をうみ、やがて森の生態系が崩れてゆきかねないだろう。

 

 ああ、イノシシが畑で暴れ回る理由は、これだったのだ。

 たしか、イノシシは地中の昆虫などを餌にして食べると学校で習ったことがある。

 

 だが……正一爺が薪の火をくべ黒煙を森にまくことで、山の生態系のバランスが崩れ、餌となる昆虫の数が激減してしまった。

 結果、腹を空かせ切ったイノシシは、食料を求めて山を降りることを余儀なくされる。

 そして極めつけは、あのカカシだ。

 奴が、神経を逆撫でするような旗振りダンスを披露することで、飢えと苛立ちが頂点に達し、ついには我をも忘れて暴れ狂う猛獣と化してしまったのだ。

 

 畑の被害は皮肉にも、正一爺が一生懸命に行った防止対策が、引き金となっていたのだ。


「オーイ、そんなところで、なにをやっておる。危ないから、早くこっちに戻ってこい」


 聞き慣れたしわがれた声がする。

 見ると、山の斜面の下、木々の隙間から、こちらに手を振る正一爺の姿があった。

 正一爺の隣には、嬉しそうに尻尾を振るもふもふの姿もあった。


「正一爺さん、イノシシが畑を荒らす理由がわかりましたよ」


「エ、なんだって?」


 正一爺は、耳に手を当て、風に乗った俺の声を必死に聞き分ける。

 そのいかにも老人らしい仕草は、かつて勇者だったという面影を、微塵も感じさせなかった。


「もしかしたら、俺の固有スキルの力で、問題を解決できるかもしれません」


 俺は自信ありげに、そう言い放った。


 今度はよく聞き取れたと見え、正一爺はギョッと驚き目玉をひん剥いた。

 もふもふが真似をするようにワオーンと深く遠吠えをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る