第15話 力の差

「もはや対話もかなわぬと見えた。これ以上、好き勝手に暴れられては、取り返しのつかぬことが起こるかもしれぬ。そうなる前に、ここで責任をもって、お命を頂戴させてもらう」

 

 梅子婆は、皺の刻まれた手の甲をピンと反り立たせる。

 やせ細った白い腕に、血の通った血管が、みるみるうちに浮き出てくるのが、ここから見てもはっきりと分かった。

 足元の円陣がまばゆい光を放ち、これまでのどの攻撃時よりも速く、グルグルと回転を始めた。


「奥義……」


 グッと力を内に溜め込むような、深みのあるしわがれた梅子婆の声。


 すると、途端にあたりの空気がグッと冷え込む。

 微細な氷の粒子が、吸い寄せられるようにして、空中で集まっていく。

 

 ああ、身動き一つとれずに打ち倒れるイノシシの上に、信じられないほどに巨大な氷柱が、何本も出現した!

 

 空中で静止した、日本刀のように先の尖った何百何千もの氷柱は、今にもイノシシの体を串刺しにせんと、落下の時を待っている。

 ああ、梅子婆が指揮者のように手を振り下ろせば……イノシシは苦痛を感じる暇もなく、事切れてしまうに違いない。

 

 縛り上げられたイノシシが、地面に顔を擦りつけ、ウウゥゥと短くうめいた。

 死を悟った瞳には、かすかな灯火が、今にも消えてしまいそうに、揺らいでいた。

 

 俺は緊張のあまり、ごくりと生唾を飲んだ。

 

 すると、その時。


「待てっ! 待たぬかっ!!」


 遠くの方から、聞き覚えのある声がきこえてきた。


 見ると、鍬を抱えた正一爺が、顔を真っ青にしながら、足をもつれさせて、こちらに向かって畑を駆けていた。


「やってはならん、絶対にやってはならんっ! そいつを放してやるんだっ!」


 梅子婆の足元で輝く円陣が、すっと消えてゆく。

 風でなびいていた梅子婆の髪が、次第に落ち着いてゆく。

 

 イノシシの頭上で待ち構えた巨大な氷柱が、水蒸気となって、雲一つない青空へ消えていった。

 

 ゼエゼエと肩で息をする正一爺が、俺たちの許へやってきた。


「殺してはならぬと、あれだけ強く言っただろう」 


 正一爺にしてはすごい剣幕で、梅子婆に言いつける。


「平気じゃ。一切傷はつけておらん」


 ついには水の拘束まで解かれてしまう。

 イノシシは、四肢を器用に使って巨体を持ち上げると、ぶるぶると体を震わした。

 ちょうど蹄の上あたりに、水で縛られた跡が、くっきり赤く残されていた。

 

 正一爺は、俺と梅子婆の前に歩み出ると、両手を広げて、イノシシに叫ぶ。


「山へ帰るんだ。今度こそ殺すことになってしまうぞ。さあ、早く行きなさい」


 イノシシは一度、ガッガッと悔しそうに前足で土を蹴ると、正一爺を睨んで、ゆっくり山の方へ歩いて行った。

 

 その瞳には、敵意や殺意の他に、たしかに畏れのようなものが混じっていた。

 

 ……逃げた、のか。もしやあのイノシシは、正一爺を見るや、己の実力では敵わぬと悟って、尻尾を巻いて逃げ出したのか。

 

 ああ、そうか。だから山で襲撃された時、正一爺ではなく俺だけが狙われ、奇襲に失敗したイノシシは、そのままどこかへ立ち去ってしまったのだ。

 

 あのモンスター、一体どれほどのレベルとステータス値だったのだろう。

 俺に『鑑定』らしき能力があれば、その姿を捉えるだけで、一目瞭然だったのに。

 

 そして、謎の魔法でイノシシの猛攻を容易く受け止めてしまった、梅子婆。さらには、その姿を見せるだけで、イノシシを萎縮させ山へ逃げ帰らせてしまった、正一爺。

 

 田舎でのんびり自給自足の暮らしをしているだけであると思っていた彼らの正体は、一体……。


「とんでもない事に、巻き込んでしまったねえ。お詫びもかねて、ここらで昼飯にするかのう」


「そうだな、ひさしぶりに大声を出して、あばらが痛いわい」


 二人はすっかり、元の姿と元の口調に戻っていた。


「あの、ええと、さっきの魔法みたいなものは……」


「もちろん、見られてしまった以上、説明せねばならんな」


「婆や、止めておくれ……」


 首をふる梅子婆。

 正一爺は、すっかり諦めたと見え、がっくり肩を落とした。


「昼飯を食べながら、婆と爺の昔話を聞かせてやろうかの」


 そう言うと、梅子婆は、のっそりのっそり家の方へ歩き始めた。 


 ふと俺の足元に、変な感触があった。

 見ると、例の米粒のような姿の精霊が、紐のような手で楽しげに緑のボンボンを振りかざしていた。


「ステータスオープン」



ーーーー

神田陽介

種族:人間

レベル:1

攻撃力:3

防御力:3

素早さ:3


固有スキル<状態:使用中>

精霊遣い


特殊スキル一覧

なし

ーーーー



 『レベル1』

 残酷なまでにくっきりと視界に浮かび上がったその数字が、神田の胸を強く締め付ける。


「そんなダンスだけじゃ、あのイノシシの足元にも及ばない。そうだろう?」

 

 米粒の精霊は、なおも楽しそうにボンボンを振るだけであった。

 

 ハアとため息をつくと、俺は、二人の後を追った。

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