第14話 驚くべきその正体は
ああ、信じられないことに、梅子婆が、神秘的な光の繭に包まれているではないか!
梅子婆の足元から、氷のように冷たい風が上に向かって吹き荒れ、銀に染まった髪が、扇のように揺れている。
これは一体、どういうことなのだ?
「秘儀……」
とたんに梅子婆の足元に、青白い光の円が、ブワっと広がった。
二重になった円の内側には、六芒星のような模様、そして、得体の知れない奇妙な文字が浮かんでいた。
なにかの魔法陣だろうか。
梅子婆が胸の前に組んだ両手を、孔雀が羽を広げるように、突進するイノシシの方へ振りかざした。
「氷楼閣ッ!」
突如として、イノシシの目の前に、巨大な氷の塊が出現した。
刺すような冷気をまとうそれは、まるで冬場の霜柱を拡大したかのような、美しい輝きを放っていた。
ドッスンッ!
急には勢いを止めることができないイノシシは、行く手を阻む氷塊に激突する。
……ああ、ビクともしない。
どういう訳だか、梅子婆が出現させたらしい氷の壁は、イノシシの巨大を、ものの見事に跳ね返してしまう。
氷の欠片ひと粒も散らさない!
「これを遣うのは、久方ぶりだねえ。昔を想い出すようで、なんだか燃えてきたヨ」
梅子婆は、まるで別人みたいな鬼の顔に、ニンマリと愉悦の笑みを浮かべて、そう言う。
イノシシは、挫けることなく、眼前の巨大な氷解に立ち向かっていく。
そうこうしているうちに、梅子婆の足元に広がる光の円が、グルグルと高速で回転し始めた。
円から放たれる光は、さらに強さを増していく。
「さて、そろそろ"遷移"の時間じゃよ」
梅子婆が、そこら中の空気を圧縮するみたいに、ふっと腕を下げ両の手のひらを地面にかざした。
ピタリと回転が止まると、魔法陣の模様が変化した。
これから一体、なにが始められるのか……。
ピキッ、ピキピキイィッ!!
ああ、イノシシの猛攻によって、ついに氷の壁に亀裂が走り始めた。
勝利を確信したイノシシは、助走をつけて、渾身の突撃。
バリン、と千枚のガラスが砕け散るような乾いた音を立てて、ついに氷塊が破壊された!
イノシシは、憤怒に身を燃やしながら、氷の粒をまき散らし、こちらめがけて走り込んでくる。
マズい、非常にマズいぞ。もはや俺たちを守るものは、なにもなくなってしまった。
梅子婆は、先と変わらぬ体勢で手のひらを地面に向けたまま、ビクとも動かない。
ああ、このままでは、魔法陣もろとも吹き飛ばされ、四本の鋭い牙に貫かれてしまうことだろう。
イノシシの猛る鼻息がブワっと顔にかかった、その時。
粉々に破壊され宙を舞っていた氷の破片が、まるで意志を持つかのように、ウネウネと小刻みに動き始めた。
それらには、刺すような冷気がない。
その代わり、容赦ない昼間の日差しをテラテラと反射する、独特の輝きがある。
ああ、岩よりもかたく凝固していた氷が、今度は一瞬のうちに、水へ変化してしまったのだ。
水は宙に浮いたまま、変幻自在に姿を変え、空を飛ぶ竜のようにうねりながら、イノシシへ襲い掛かる。
大量の水が塊となってイノシシに絡みつき……またたく間にイノシシの四肢をひとまとめにし、口を縛り上げ拘束してしまう。
それから帯のように姿を変える水は、牙までをも縛り付け、ついにはイノシシを雁字搦めにして身動きを完全に封じ込んでしまう。
俺と梅子婆の前に、水の塊によって無残に縛り上げられたイノシシが、体を横に倒してズズーッと滑り込んできた。
優に成人男性の身長の二倍は超えるであろう体長。
積年の経験や苦悩を思わせる、深く彫りのある大きな顔面。
暗く赤い炎を宿した、潤んだ真っ黒な瞳。
苦しげに、とぎれとぎれに上下する、あばらの骨の浮き出た横腹。
その姿を、近くで目の当たりにすると、やはり桁違いの迫力があった。
だがしかし……巨大な顔から突き出た四本の牙は、今や脅威ではなくなった。
動きを封じられたイノシシにとって、それは、攻撃の為の武器ではなく、単なる飾り。
ビクとも動かぬモニュメントでしかないのだ!
「山のあるじ様よ。なぜ我々の畑を荒らす? なぜそうまでして、怒りに身を震わせておるのじゃ?」
梅子婆は、円の光を絶やさぬまま、手のひらをイノシシの方に向けて、そう尋ねた。
相変わらず銀の髪は、サラサラと美しく風になびいていた。
「ウ、ウ、ウグアアァァ!!」
粘性のある唾をまき散らしながら、イノシシはわめき散らす。
脱出を試みようと、右へ左へ激しく巨体を揺さぶる。
梅子婆が片手をギュッと握ると、水の帯の食い込みがさらに増し、イノシシに多大な苦痛を与えた。
気力とともに、戦おうとする闘志ごと削がれてしまったのだろう。
クウゥンと腹を空かせた狼のような鳴き声を上げ、最後の抵抗むなしく、とうとうイノシシ、いや、イノシシ似のモンスターは観念してしまった。
ああ、それにしても……。
流れるように繰り広げられた、梅子婆とイノシシとの戦闘。いや、力の差は歴然であった。戦闘というよりもむしろ、力ずくの調教と言ったほうがよいかもしれない。
白銀の髪をなびかせ、氷の壁を出現させ自由自在に水を操る、この老婆は一体、何者なのか……。
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