その24
次に孝之さんが案内してくれたのは、薬師寺先生の家の前にあるお地蔵様だった。祠の傍らには立派な杏子の木が植えられていて、沢山のつぼみを付けている。これまで見てきた祠は綺麗に手入れがされていたのに、ここの祠だけツタが絡みつき、お地蔵様の顔は隠れている。ツタの茂みの向こうに、何かきらっと光るものが見えた気がしてしゃがんでみたが、お地蔵様の顔はやはり見えなかった。像は緑色の前掛けを付けており、今朝供えられたであろう新しいお供え物がされている。
「この道祖神様は、医療をつかさどる神様で村人が健やかに過ごせるよう、守ってくださっている神様です。」
と、孝之さんは立ったまま説明してくれた。
確かに薬師寺先生はお医者様だ。緑色は薬草などを扱う神様だからだろうか。他人には優しいけれど、自分には無頓着なその様子がいかにも薬師寺先生っぽいと思い、思わず口元が緩む。
ふと、右手の甲が暖かくなった気がして目をやると、右手の痣がより濃くなっていて驚いた。しかし痛みはないので、さほど大事ではないだろうと判断し、次の機会にでも聞いてみようと思った。
「そろそろお昼の時間ですし、戻りましょうか。」
そう孝之さんに言われ立ち上がると、すでに歩き出している彼の後を追う。大岡家の玄関までくると、小梅がにこやかに出迎えてくれ、お昼の準備ができていると、以前薬師寺先生とお昼ご飯を食べた客間へ案内される。あの嫌な記憶が蘇ったが、今度は見間違えないようにしっかりとしておこうと、気を引き締めてテーブルに着いた。
食事を終えて部屋で独りになると、どっと疲れが出て畳に寝転んでしまった。畳の優しい冷たさが心地が良い。ゆっくり目を閉じ、深く息を吸い込むと、襖の向こうでパタパタと子供が駆けていくような軽い足音がした。親戚の子供でも遊びに来ているのだろうかと思いながら、息を止めて耳を澄ますと、一度通り過ぎた足音が戻ってきて襖の前あたりで音が止まる。慌てて起き上がり、襖をみるが開く気配はなかった。しばらく襖を睨んでいると、
「覚悟はできた?だから戻ってきたのでしょう?」
子供とも大人とも判断しかねる鈴のような声で、誰かが問うてきた。
「なんの事でしょう?」
訳が分からず聞き返してみるが、クスクスと楽しそうに
「待っているからね。」
という言葉を残し、襖の向こうに感じていた気配がすっと消えた。全身がこわばって、心臓の音が早いのがわかる。懐にいれていた、薬師寺先生から貰ったお守りを取り出して握りしめると、一気に身体の力が抜けて、畳にへたり込んでしまった。
結局その日は何もする気になれず、寝る前に頭を整理しようと、その日自分の身に起きたことを綴る。あの声が言っていた覚悟とは何のことなのだろうか。戻ってきたと言っていたが、自分はこの村に来るのは初めてのはずだ。誰かと間違えたのだろうか。そう、色々考えてみるが、らちが明かない。明日は、孝之さんも忙しいと言っていたし、この村で自分と似たような背格好の人がいるか調べてみよう。
「きっと声の主は、その人と自分を間違えたに違いない。」
そう、自分に言い聞かせる様に呟いて布団に入ると、心地よい暖かさに直ぐに眠気がやってきて、寝てしまった。
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