その18
庭に先日降り積もっていた雪はすっかり溶け、今日は少し暖かく柔らかな風が吹いている。池に続く道を歩いていくと、あのお地蔵様の祠が見えてきた。傍らに、黒い子供ほどの背丈の人影のようなものが見えて、一瞬立ち止まる。その人影がふっとこちらを向いたかと思うと、またあの声が耳元で聞こえた。
「待ってたよ。」
驚いて振り返るが、誰もいない。祠の方に向きなおすと、影は無くなっていた。しばし呆然と立ち尽くして、祠をながめていると後ろから
「どうしました?」
と声がして、
「うわっ」
と、短く悲鳴をあげびくっと身体が反応したかと思うと、全身の力が抜けへたり込んでしまう。
「大丈夫ですか!?」
と、駆け寄ってくる足音の方を見れば、孝之さんだった。
「すみません、ぼんやりしていたので驚いてしまって...」
恥ずかしくて半笑いを浮かべながら、立ち上がろうとすると、彼は助け起こしてくれる。
「驚かせるつもりはなかったのですが、ごめんなさい。体調でも悪いのかと思って、声をかけさせてもらいました」
そう、孝之さんに謝られると、ぼんやりしていた自分が悪いのだと、再度彼に謝った。そして、ふと地蔵の事が気になり彼に聞いてみる。
「あそこにあるお地蔵様は、同じものが全部で12体あると聞いたのですが、みなあのように可愛らしい形なのですか?」
そう彼に聞くと
「ええ、この村にある道祖神様は、みな同じような姿をしていますが、前掛けがそれぞれ違うんです。女神様をお守りする神様なんですよ。そうだ、童話ですが女神様と道祖神様の話が書かれた本があるので、良かったらお貸ししましょうか?」
昨日、読書好きだと昨日言ったのを孝之が覚えてくれていた事が嬉しく、
「いいんですか!?ちょうど、小梅にその本の話を聞いて読んでみたいと思っていたんです。」
と、浮ついた調子で答えると、彼もうれしそうに頷いて、あとで小梅に届けさせるといってその場で別れた。
孝之さんと別れてから、あの可愛らしい地蔵に手を合わせ、もう少しだけ散歩を続けようとまた歩き始めた。池に咲くスイレンはやはり見事で、どんなに眺めていても飽きることがない。しばらく歩いていると、すっと汗が額から流れ、池の周りが妙に暖かいことに気づいた。昨日よりも暖かくなったとはいえ、まだまだ肌寒い気温で散歩するにも冬用のコートが欲しいぐらいなのだが、池の周りでは今着ているコートでは暑いと感じるぐらいの気温だ。不思議に思って、池の周りをよく見るが熱源となるようなものは見当たらない。スイレンが咲いているのだから、池が温泉ということもないだろう。不思議に思ってぼんやりと池の中心にある建物を眺める。
「あの建物が、熱源...かな...」
そうつぶやいて、橋に近づこうとすると、小梅が昼食の準備ができたと呼びにきた。
残念に思いながらも、そういえばあそこは立ち入り禁止だったなと思いなおし、彼女とと共に部屋に戻ると、小梅が孝之さんから預かったという本を手渡してくれた。昼ご飯を食べ終わったらこの本を読もう。少しわくわくしながら、昼食に運ばれてきた膳に目をやる。煮物に添えられたニンジンが桜の形の飾り切りになっていて、もうすぐ桜が咲くころなのだろう。そんな春の予感に少し浮かれた気持ちに浸っていると
「ここから逃げて!はやく!!」
という少年の声が襖の向こうから聞こえる。驚いて襖を開けると、誰もいなかった。
何か緊急事態かと、少し耳をすませてみるが、特に変わった音もしない。少し不安に思いながら、襖を閉じると「チリン」と鈴の音と共に足元に何か落ちた。よく見れば、薬師寺先生からもらった紙袋である。荷物にしまったはずなのに、なんでこんなところに落ちてるんだろうと不思議に思いながら、拾って中身を袋から出すと、小さな白い袋に灰色の糸で桜の刺繍が施してあるお守りだった。自分が大事に持っていたものとあまりにも似ているので、驚いてその場にへたり込んでしまう。心臓の音がいつもより早くはっきりと感じられる。なぜ、薬師寺先生がこのお守りを知っているのだろうか。香蓮が幸運のおまじないだといって作っていたあのお守りとそっくりな、鈴が中に入っている薬師寺先生のお守りを握りしめ、しばらく呆然としていた。
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